2012年7月22日 (日)

ローリング・ストーンズ ベスト・ソングズ100

最近、レコードコレクター誌がこの種のベストなんとかをしきりにやってるなぁと思ったら、創刊30周年企画の一環らしい。
ストーンズも結成50周年だそうで、めでたいことである。
ストーンズかぁ~。意外に思われるかもしれないが、わしは実はストーンズ大好き少年だったのだ。
とはいえ、ストーンズにたどり着くには若干紆余曲折があって、高校生になってからだ。
だから、洋楽原体験にはストーンズは含まれていない。

話はそれるが、洋楽原体験はやはりラジオから流れてくるヒット曲であり、ちょうどその時期(1974年前後)、ストーンズにはキャッチーなヒット曲がなかったように思える。
ちょうど、「イッツオンリーロックンロール」のころだなぁ。
"Time waits for no one"は、妙にメロウで子供心にピンとこなかったし、"It's only rock'n'roll"の猥褻な感じは妙に騒々しく感じたものだ。
やっぱりその魅力を理解するのは小学生にはちょっと難しかったのかもしれない。
その後、ギター志向の音楽の聞き方をするようになって、ますますストーンズから遠ざかっていった。
当時は、まだまだジミヘン、クラプトン、ベック、ブラックモアあたりがギター小僧のヒーローだった。
キース・リチャーズのかっこよさなどわかろうはずもない。
ブルースロック経由でバディ・ガイやらジョニー・ギター・ワトソンやらまで遡って、そこからやっとストーンズにたどり着いた。
そんなわけで、リアルタイムのストーンズは「女たち」あたりからだ。
わしの年齢からするといささか遅いような気がする。

このような私事はさて措いて、今回のレココレ誌のランキングである。
これってかなり偏ってないか?
上位10曲のうち、70年代の曲が2曲、8曲は60年代って?
まぁ、主にレココレ誌のライターが選んだみたいだから、しかたないっちゃあしかたないのだろうが、なんか納得しかねる。
そりゃあストーンズの全盛期は「ベガーズ・バンケット」から「メイン・ストリートのならず者」あたりというのはその通りだとは思うが、「ベスト・ソングズ」(わざわざ「ズ」と濁るところがこの会社の出す音楽誌のいやらしいところだ)と銘打っているのであるから、曲目単位で考えればもっといい曲があるじゃろう、と思った。
・・・と思って「エモーショナル・レスキュー」やら「アンダーカバー」やら「ダーティ・ワーク」やらを引っ張り出して聞いてみようとしたら・・・。
ありゃ、CD持ってないや(^^;
これでは、偉そうにストーンズを語る資格もないわい。わっはっは。

知人のN村氏は、ストーンズおよびブルースフリークで、ロバジョンを敬愛するあまりデルタブルースの弾き語りでライブをしたりしている人なのだが、彼に
「ストーンズの最高傑作は?」
と質問してみたところ、
「それは愚問や」
と一刀両断された。
たぶん彼らの作品に優劣なんぞつけられないと言いたかったのだろう。
「じゃ、一番好きなストーンズのアルバムは?」
「それも愚問」
たぶん彼らに対する愛情はどの作品にも等しく注いでいると言いたかったのであろう。
「では、確実に答えられる質問じゃ。彼らの作品で一番回数多く聞いたのは?」
「それも愚問やな」
・・・;

往々にして、ストーンズ命な人とストーンズ話をすると、このような禅問答のようなことになってしまい話が続かないことがある。
かくも深いものなのだな、ストーンズ愛とは。
「『山羊の頭のスープ』が一番好きじゃ」などと普通に言えてしまうわしなんぞは、ストーンズフリークなどと名乗れんな。
ちなみに同アルバム収録の"Can you hear the music?"が一番好きな曲なのだが、そういうことをいうとN村氏に鼻で笑われるのであろう。
だから、私家版ストーンズ・ベスト・ソングスをここに書くのは差し控えようと思う。

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2011年10月25日 (火)

【温故知故】Budgie / If I Were Brittania I'd Waive the Rules

ブリティッシュB級鋼鉄王バッジーの6thアルバム(1976年)である。

昔々にラジオで聴いたけど、曲名がわからず、何年も聴けないままに過ごした曲ってのが、たまにある。
その曲を気に入ってしまっていたら、ずっと気になり続けることになる。
「あ~、あの曲なんちゅータイトルだったっけ~」
個人的にそういう曲の筆頭だったのが、実は、バッジーのこのアルバムのタイトル曲であった。
これを確認できたのが、つい昨日だったので、かれこれ30数年かかったわけだ。

とあるサイトの情報によると、この曲がNHKFMでかかったのが1977年だったそうだから、今をさること34年ほど前だ。
たしか、そのときのラジオのDJは「バッジーのズームクラブ」と曲紹介をしたはずだ。
この前後、この番組ではハードロック特集をやっていて、いろいろとエアチェックしたものだ。
それらのカセットテープは、しばらく繰り返し聞いて、その後のわたしの音楽的嗜好に大きく影響を与えた。
確か、ブラック・サバスなんかも同じ番組で初めて聴いたと思う。

当時は、言うまでもなく、現在のように洋楽の情報が簡単に手に入る時代ではなかった。
ましてや、中学生くらいだったら、入手できるレコードも限られている。
同世代の人なら皆経験しているだろうが、数少ない洋楽好きの友人の間で、それぞれが入手したレコードを貸し借りしあって、少ない情報を補い合ったものだ。
そんな状況で、わざわざバッジーをレコードを買うヤツなんてそうそういない。
というか、そもそも普通のレコード屋さんで売っていたのかどうかも疑わしい。
実際、レコード屋さんで新品を見たことがないような気がする。
そんな中、ラジオの情報は貴重だったし、正しいものと信じていた。
だから、その曲は「ズーム・クラブ」だと信じて疑わなかった。

それから10年ほどたって、大学生になり経済的にも余裕ができると、中学生のころ好きだったけどレコードを買えなかった作品を中古屋さんや輸入盤屋さんで買いあさったものだ。
先般、記事にしたクラトゥをはじめ、スティーヴ・ヒレッジ、プロコル・ハルム、ビーバップ・デラックス、ロリー・ギャラガーなどなど。
ある日、某中古屋さんでバッジーのベスト盤を見つけた。
「おぉ、これはまさにあのバッジーか。あ、ズームクラブも入ってる」
と勇んで買って帰って聴いてみた。
「あれぇ、こんな曲じゃなかったけど・・・」
わかる人にはわかると思うが、例の曲は同じバッジーでもまるっきり傾向の違う曲なのだった。

とはいえ、名曲"Breadfan"で始まるこのベスト盤、ゴリゴリのハードロック全開で、それはそれで気に入った。
"Zoom club"、"In for the kill"など名曲ぞろいのこのレコードは愛聴盤となったが、それでも「違う」。
それ以降、CDの時代になって、バッジーも入手しやすくなったので、何枚か買って聴いてみたが、どうも違う。
バッジーといえば、重戦車のような突進型変態ハードロックの初期の印象が強烈で、記憶にあった例の曲とは、あまりにかけ離れていた。

だから、あの曲はバッジーの曲だったというのは勘違いで、まったく別のバンドだったのだろう、と思っていた。
記憶にある例の曲を言葉で表現すると、
「ハードなギターリフで始まり、甲高いボーカルで、せわしないリズムパターンを繰り返し、ころころと曲は展開していき、チャカポコしたギターのカッティングで賑々しく終わる」
というものだ。
確かに重戦車バッジーとはだいぶん印象が違うな。

ところが、だ。
冒頭に書いたようにとあるサイトに、当時の当該番組のオンエア曲の一覧が掲載されていて(よくぞこれほどまでに詳細に・・・と感心したが)、それで確認すると、確かにあるある。
しかし、これは聴いたことのない曲だ。
さっそく某通販サイトで発注。
だいぶん待たされて、昨日めでたく入手した次第。
30数年ぶりに聴いてみると、さきほど説明したとおりの曲だった。よかった。

本作は、バッジーの全盛期から下り坂にさしかかった時期の作品のようで、かつての重戦車バッジーの雰囲気はあまりない。
しかし、ハードなギターリフとどたばたしたリズムと、あの甲高いへにょっとしたボーカルはまさしくバッジーだ。
ブラック・サバスと同傾向のバンドに扱われがちなバッジーであるが、まぁ、確かに似た雰囲気はあるけど、おもむきはいささか異なる。
サバスみたいに「どろっ」とした暗さがあまりないのよね。歌メロも妙に明るいし。
そこが、このバンドの個性になっている。
本作では、その「どろっ」としていない部分が前面に出て、初期の重さが乏しく、ある意味極めて個性的な音楽ではある。
だから、いわゆるヘヴィーメタルを期待するとおおいに肩透かしを喰らう作品であるが、いかにもイギリスのハードロックらしいひねくれた感性は健在だ。
彼らとしては新機軸なのだろう、ファンク調のリズムパターンも取り入れたり、ギターオーケストレーションに挑んでみたりするだが、ちっとも垢抜けないところが、いかにもブリティッシュな感じでいいな(このあたりがB級呼ばわりされる所以なのであろう)。
そういう意味では、フォーク調で歌メロがややメランコリックなアコースティック曲は、初期から一貫した彼らの持ち味になっている。
これはちょっと興味深い特徴だな。
しばらく、バッジーにはまりそうな気がする(今さら?)。

Budgie

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2011年10月 7日 (金)

【温故知故】Klaatu

先日の記事で「ニュートリノ」について言及した。
「ニュー」だからといって「新しい」という意味ではない。
「トリノ」だからといって北イタリアの都市ではない。
「トリノ・オリンピック」だからといって、ツバメが金メダル、スズメが銀メダル、カラスが銅メダルを取ったりしたわけでもない。
従って、大阪に「新大阪」があるように、横浜に「新横浜」があるように、トリノに「ニュートリノ」があるわけでもない(と思う、たぶん)。
ちなみに「ニューキョート」はウチの近所のパチンコ屋さんの名前だ。

そんなことはどうでもよく、いや、さらにどうでもよい話だが、わたしが「ニュートリノ」という言葉を初めて聞いたのは、1976年のことだったはずで、そのときは「新しい(イタリアの都市の)トリノ」だと思っていた。
標題に記したKlaatu(クラトゥ)なる妙な名前のカナダのバンドのデビュー作の最後に収録されている長尺曲のタイトルが、「リトル・ニュートリノ」というものだった。
これは、発表当時(だと思う)、NHKのFM(渋谷陽一のヤングジョッキーだったか)でオンエアされたときのことである。
ラジオで耳にしたものだから、「新トリノ」だと誤解したとしても責められまい。

クラトゥというバンドはデビュー当時、「ビートルズのメンバーが変名で発表したものだ」という噂がまことしやかにささやかれ、かなり話題になったと記憶している。
このほど、「ニュートリノ」つながりで久々に聴いてみた。
最初にラジオで聴いてから10年くらい後にレコードを入手したときもそう思ったが、
「これって、どこがビートルズ?」
まぁ、百歩譲って「ビートルズ」の影響が濃い作風であることは認めるが、何といっても、歌声が全然違う。
しかし、だからといって、このバンドの魅力が失われるわけではなく、叙情的で親しみやすいメロディと大掛かりでいささか偏執狂的なアレンジはなかなか個性的で、70年代後半の爛熟したロック音楽のある種の極北とでも言おうか。
はっきり言って名作でしょう。

ところで、「リトル・ニュートリノ」という曲は、ビートルズ臭さはほとんど感じられず、シンセサイザーを多用した、単調ながらも重厚でドラマティックなプログレ曲である(どうにも矛盾した表現だが)。
ボーカルにボコーダーみたいなエフェクトがかけられていて、どことなくクラフトワークっぽくもある。
ただ、クラフトワークのような乾いたユーモアみたいなものは感じられず、北東ヨーロッパ的叙情が溢れている。
「ニュートリノ」などという現代物理学用語を冠し、電子音にまみれた音楽であるにもかかわらず、冷たいながらも温かみのある不思議な感触のサウンドである。
いったいどんなことを歌っているのだろうか?気になる。
同時期にイーノやフリップ翁など悪い友達に唆されてベルリン3部作なんか作っちゃったデヴィッド・ボウイをちょっと思い起こさせる。
ちなみに、本作には、後にカーペンターズがカバーして有名になる"Calling Occupants Of Interplanetary Craft"も収録している。

実は手元のCDはデビュー作「3:47 EST」とセカンドの2in1。
むしろ2ndアルバム「Hope」の方が、変態度が高く、ある意味ビートルズ的ではある。
なんだか、映画のサントラみたいな組曲があったり、叙情性と変態性を無理矢理同居させたような曲があったり、拍子抜けするようなポップスがあったり、そういう予測不能で、めくるめく展開が心地よい。

確かに、部分的にはビートルズの影がちら見えするが、ただのエピゴーネンではなく、独自(というか空前絶後?)のスタイルは貴重だ。
ビートルズ云々を離れて評価されるべきバンドだったと思ふ。

Klaatu

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2011年8月 7日 (日)

【温故知故】Deep Purple Made In Europe

故あって、最近、古いハードロックばかり聴いている。
誰がどういう基準でそういうふうに呼ばわっているのかよくわからないが、世の中にはB級バンドというのが多々あって、最近聴いているのはそう呼ばれているバンドの作品が多かったりする。
Budgie、Three man army、Hard stuff、May Blitzなどなど・・・。

では、A級ブリティッシュ・ハードロックってのがあるとすれば、それは誰だ?
Led Zeppelin、Deep Purple、Black Sabbath、Bad Companyあたりか?
洋楽情報の乏しかった70年代、ほぼリアルタイムで新譜が日本で発表され、ラジオでオンエアされ、雑誌の表紙を飾った人たちという感じかな。
どうもそういう定義付けができそうだ。

そう思って聴くと、B級と言われる人たちの音楽はよく言えば「個性的」、悪く言えば「大衆性に欠ける」と言えまいか。
つまりは「アングラ」っぽいのかな。
そのあたりがマニア心をくすぐるのだろう。

で、超A級ブリティッシュ・ハードロックの代表たるディープ・パープルの第三期ライブ盤である。
最近、NHKで「ディープ・ピープル」という番組をやっていて、どういう番組かの説明は割愛するが、その番組で毎回ディープ・パープルの曲がちょこっとかかる。
そのたび、あぁ、パープルかっこいいなぁ、と思うのである。
常々、「パープルは第一期が最高!二期とか三期とかしょーもない。四期に至っては評価に値しない」などと暴言を吐いているが、実は本心ではない。
やはり、子供のころの原体験というのは侮れないもので、いまだに「紫の炎」のイントロを聴くと全身にアドレナリンが分泌される気がするし、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のギターソロは弾けてしまったりする。
要するに、パープル大好きなのだ。

Deep_purple_made_in_europe

そんなパープルであるが、最初に聴いたレコードが本作、「メイド・イン・ヨーロッパ」であった。
発売された当初、最新作だということで買ったはずだから、76年?
小学生のころだな。
買ったとき、既に解散していたのか、その寸前だったかは記憶にないが、少なくともリッチーは脱退後という認識はあったと思う。
もう少しパープルに関する基礎情報があれば、代表作「ハイウェイ・スター」とか「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が収録されている「ライブ・イン・ジャパン」か「マシーンヘッド」を買っていたのだろう。
ただただ当時最高のハードロックを聴きたく思い、レコード屋さんに行って最新作を買ってきたのだと思う。

当時、初めて聴いた印象はおぼろげに残っている。
ドラムがかっこよいと思ったはずだ。
そのころから、バンドをするならドラマーになりたいと思うようになった。
中学で知り合ったロック好きの少年たちとバンドやりてーと悶々としていたころ、ちゃんと楽器の弾ける人は仲間うちには皆無だった。
実際に自分たちでバンドをするとなったら・・・と考えると、まぁ、それぞれの家の経済状態やら、練習する環境、友人間の力関係など、いろいろ課題はあった。
やっぱり、ドラムを持つには、大きい音を出しても大丈夫な住環境も必要だし、楽器も高価なのでそこそこ裕福な家の子でないと無理なのではないか・・・。
などと、子供の割りに分別臭いことを考えて、ギターかベース担当に変更。
幸い、兄が持っていたフォークギターが家にあったので、ギターは多少弾けるようになっていた。
仲間内のリーダー格の男がマッカートニー好きで、「俺はベースを弾く」と譲らなかったので、結局ギター担当ということになった。
その数ヶ月後には、新聞配達をして稼いだ数万円で、ヤマハのSGモデル(旧タイプだ)とテスコのアンプを入手し、ギター弾き人生はスタートするのだが、それは措いといて。
ちなみに、彼の家は郊外の広い家で、友人たちのたまり場になっており、後に最初期の「よたろう帝國」の練習場となった。

どうでもいい昔話はさておき、本作である。
皇帝宅ライブラリーのパープルCD化率は意外と低く、本作も久しく聴いていなかった。
70年代ハードロックリバイバルの嵐に吹かれて、やっとCDを入手し、久しぶりに聴いてみた。

今回、某通販サイトで検索してみたら、昔ながらの5曲入りしか売っていない。
しかも、入荷待ち状態でだいぶん待たされた。どうも納得いかんな。
パープルのライブといえば、「ライブ・イン・ジャパン」がハードロック史に残る名盤とされ、リマスターやらエクステンデッドバージョンやら、いろいろ出されているのに、本作はいまだにLP一枚分の収録時間で、昔ながらのフォーマットで流通している(別タイトルで同時期のライブは他に何点か出ているようではあるが)。
ちょっと扱いに差があるな。
世間的には第二期が最高で、他はオマケみたいな認識があるのかもしれない。
確かに第二期の演奏は凄まじいモノがあるが、バンドとしての整合性、完成度からいうと、第三期だって決して劣るものではないと思う。
「紫の炎」を始め、佳曲も多い。

リッチーのギタープレイに関しては、二期のような爆裂感には欠けるが、微妙なトーンコントロールと特異なスケール、絶妙な指捌きで、他を寄せ付けない圧倒的な存在感を醸し出している。
まさに「神技」というべきであろう。
新加入の二人のボーカルはそれぞれ個性的で、勢いがある。
ブルージーでエモーショナルなカヴァーデイルと高音シャウトがかっこいいヒューズ。
ヒューズはソウル、ファンク好きで知られるが、パープルではハードロック的なシャウターとしての印象が強い。
スティーヴィー・ワンダーがハードロックバンドで歌ったらこんな感じになるのかもしれない。
カヴァーデイルのぶつぶつしてねっとりした歌い方って、ときとして、やや鬱陶しいと感じることもあるので、一作くらいヒューズのみリードボーカルでアルバムを作ってみてほしかったものである。
トラピーズが、曲、演奏ともにいまひとつなだけに、なおさらね。
また、ベーシストとしても相当やり手で、部分的にはグローヴァーのボトムをしっかり支えています的なプレイと比べて、かなり自由度の高い演奏をしている。
ペイスのドラムに関しては、やっぱりパープルの要だなぁ、と納得の演奏。
よくも悪くも、パープルがヘヴィーロックにならないのは、彼のドラムのなせる業、と思う。
ロードに関しては、この人は、第一~二期で燃え尽きてしまった感があるが、手堅いプレイを聴かせている。

これらの優れたミュージシャンの個性が存分に発揮されている本作は、ハードロックバンドのライブ盤として傑作の域に達している。
「ライブ・イン・ジャパン」の破天荒なスリルはないが、音楽的な充実度ではいささかもひけをとらない。
もっと評価されていいと思うが・・・。

本作と同時に発注したのであるが、本作の着荷が大幅に遅れてしまったために先に聴くことになったのが、「嵐の支社」もとい「嵐の使者」。
リッチーが投げやりに演奏しているとか、カヴァーデイル、ヒューズのソウル、ファンク趣味が爆発とか、いろいろ悪評高い作品で、ついぞ今まで聴く機会がなかったのだが、聴かず嫌いはいかんな。
というわけで、発売以来37年目にして初めてきちんと聴いてみた。
なんでそれほど評価が低いのかよくわからんかった。
これは、ひょっとして大傑作ではないのか。
「紫の炎」よりこっちの方がアルバム作品としてはずいぶんよくできている。
というか、パープルのスタジオ作品って結構やっつけ仕事的なのが多い中、これは丁寧に作りこまれた印象だ。
ステレオタイプなハードロック曲は少ないが、パープルの新境地への試みは成功している。
ファンク調の曲でのリッチーとロードの演奏に若干ぎこちなさと違和感を感じる部分はあるにはある。
古臭いブルースロック風のギターソロとか。
しかし、巷間で言われるような投げやりな感じではなく、まぁ、熱気むんむんっ!という感じでもないが、案外丁寧に演奏しているのではないかな。
そういうところも含めて、聴きどころは多い作品である。
とはいえ、リッチーは不本意だったのだろうな。

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ちなみに、リッチーのパープル脱退の直接原因というのが、後にレインボーでカバーすることになる「黒い羊」という曲(70年初頭の英キーボードトリオ、クォーターマスの曲)をパープルで演奏したいと提案したところ、メンバーたちににべもなく却下されたことだとされている。
レインボーのバージョンもかっこいいが、この時期のパープルでのカバーが実現したら、どんなになっていたか興味津々。
原曲がいいだけに、相当いい感じになっていたのではなかろうか。
ちょっと惜しい話ではある。

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2011年6月28日 (火)

クリス・スクワイアの逆襲 : Fly from here / Yes

Fly from here / Yes

Fly_from_here

イエスの新譜が出た。
"Magnification"以来10年ぶりとのこと。
しょっちゅうコンピレーションや発掘ライブ音源などが出ていたので、そんなに間があいているとはついぞ思わなんだ。
メンバーは、スクワイア、ハウ、ホワイト、まぁ順当。
意外にもジェフリー・ダウンズが参加している。
この人は、エイジアがらみでこのあたりの人たちと仕事をしていることが多いので、実は「意外」という印象はあまりなかったのであるが、よくよく考えてみると、"Drama"以来になるようだ。
30年ぶりだな~。
ボーカルはアンダーソンは病欠?で、Youtubeでスクワイアが発掘したというヴェノワ・ディビッドという人。
で、プロデュースがトレバー・ラビンじゃなくってトレバー・ホーン。
おぉ、この面子は、ほぼほぼ"Drama"イエスの復活ではないか。

本作に関する各種レビューを読むと、"Drama"イエスの復活と大々的に報じられている。
クリス・スクワイアの遺恨試合であるかのような言いっぷりである。
発表時の評価が、よほど不本意だったのだろうか。

以前は"Drama"はアンダーソン、ウェイクマン不参加作品なのでイエスとは認めん、という保守的なリスナーも多かったと思うが、それ以降の音楽性の拡散振りを見るにつけ、「古き良きイエス」を体現した傑作と評価が高まってきている(と思う)。
"Drama"は、アンダーソン、ウェイクマン脱退後、「ラジオスターの悲劇」で一世を風靡したバグルスの二人組み(ホーン&ダウンズ)を取り込んで、テクノ+プログレの新機軸を目指した作品としばしば評される。
とはいえ、聴いた感じでは、バグルスっぽいテクノ色は薄味で、むしろ楽曲の骨格は初期("The Yes Album"のころかな)のようにがっしりとして、ハードロック的な豪快さに溢れている(と思う)。

そんなわけで、"Drama"イエスの再現を期待して聴いてみた。
後半の数曲は、なんとなく録音しました、みたいな感じでいささか統一感に欠ける嫌いはあるが、冒頭の組曲では、いかにもイエスらしい音楽が聞かれる。
なかなかいいな、これ。
しかし、"Drama"の続編かというと、そんなでもなく、意外にも、むしろ"ABWH"を想い起こさせる。
おっかしいなぁ~。メンバーは"H"しかかぶっていないのだが・・・。
気のせいかな。

新加入のディビッドは、確かにアンダーソンっぽい雰囲気もあるが、「そっくりさん」というほどではない。
下手なボーカルではないと思うが、とりたててすごいこともない。
どことなく、"Drama"でのトレバー・ホーンに通ずるものがあるような気もする。
写真を見る限り、風采の上がらない普通のおっさんでしかないのだが、これからどうなってゆくのだろう。

というわけで、期待はちょいと裏切られたが、老いてますます盛んなスクワイア爺さんでした。

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A Scarcity of Miracles / A King Crimson ProjeKct

ついでに・・・というわけでもないのだが、同時に発表されたのが、英プログレ業界のもう一方の雄、キング・クリムゾンはロバート・フリップ翁の新プロジェクトの作品も入手。
「キング・クリムゾン最終形態ついにその姿を現す!」な~んて相変わらずの煽り文句で、過大に期待を膨らませてしまうのが、門徒の悲しい習性か。

メル・コリンズが参加している以外は、いわゆるクリムゾンのメンバーは不在なので(トニー・レビンがゲスト参加している)、"ProjeKct"名義にしているのであろう。
ボーカル、ギターのジャッコ・ジャクスジクという人は、確かマイケル・ジャイルズの娘婿だったのではなかったか。
この人は「21世紀の精神異常バンド」で来日公演をしているので、見たことがあるはずだが、あまり印象にない。

で、聴いた感じは、ゆったりとしたジャズ・ロック?
エイドリアン・ブリュー在籍時の、ちょっと叙情的でメロディアスな曲みたいなのをコンテンポラリーなジャズ風のアレンジでやってみました的な、なんと言っていいのかわからない作品。
フリップ翁は「ヌーヴォー・メタル」をやめちゃったのかな?
決して聴き苦しい音楽ではないので、損した気分にはならないけど、これが「キング・クリムゾン最終形態」と言われても、いささか納得がいかない。

ところで、近年クリムゾン関係諸作のジャケ絵は、同じ人が描いているような気がするが、本作も同じような感じのイラストだ。
青木繁の有名な絵(なんだったけなぁ?)をアンリ・ルソーが描いたような。
ちょっと不気味だが、結構好きだな。

【以下、6/29に追記】

・・・と書いてはみたものの、改めて聴きなおしてみると、

>"Drama"の続編かというと、そんなでもなく、意外にも、むしろ"ABWH"を想い起こさせる。

てなことはまるでなく、タイトルとなっている組曲に関しては、楽曲、アレンジ、サウンド、演奏ともに"Drama"の続編といっても差し支えない。
"ABWH"とはだいぶん違う。
あえて、似ている点を挙げれば、
「イエスに関与したメンバーが『イエスらしさ』を追求して製作した音楽」
という雰囲気が漂っている点だろうか。

今後、アンダーソンが復帰することになったりしたら、この作品の扱いはどうなるのだろうか。
"Drama"なみに冷遇されてしまうとすれば、ちょっと残念かも。
いずれにしても、スクワイアの底力を感じさせる力作である。

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2011年6月13日 (月)

【温故知故】Over the Rainbow

先月号のレコードコレクター誌はレインボウの特集であった。
リッチーやロニー、コージーについて、レインボウ以前、以後の活動について誌面を割いて詳しく解説するのは当然だろう。
しかし、それ以外のメンバーについて、ほとんど言及がないのは、いかがなものか。
2nd"Rising"がハードロック史上に燦然と輝く名盤たりえたのは、キーボードプレイヤーの活躍があってこそだと思うが。
そのキーボードプレイヤーはトニー・カレイ(ケアリーとかカリーとかいろいろ呼ばれているが本当はどうなのだろう)である。
"On Stage"でも素晴らしいプレイを聴かせていたのに、あっさりクビになって、惜しいものだ。
3rdでも弾いていたら、あの作品の評価もずいぶん変わったのではないかと思う。

"Rising"の聴きどころは、レコードだとB面の2曲、"Stargazer"と"A light in the black"であろう。
特に、後者での高速8ビートに乗せてぶりぶりと駆け回る長尺シンセソロは、その直後のクラシカルな高速アルペッジオのアンサンブル(いやぁ、ここのコージーは最高にかっこよい)によるクライマックスを導く。
この後に続くリッチーのソロも彼のキャリアの中で最高の部類に属するものであろう。
楽曲、演奏および歌唱、アレンジ、サウンド・プロダクション・・・録音作品の質を維持するのに不可欠なこれらの要素が、恐らく最高の形で残されたのがこの"Rising"という作品ではないか。
トニーの功績は大きい。

"A light in the black"でのトニーのソロは、パトリック・モラーツによるイエス"Sound chaser"などと並びロック界におけるシンセソロの金字塔だと思う。
"Tarot woman"の導入部のシンセソロも、まぁありがちといえばそうなのだが、劇的な効果を生んでいる。
そういえば、トニーもモラーツも、一世代前の名プレイヤー、例えばジョン・ロードやキース・エマーソンと比べて、クラシック嗜好に乏しく、ジャズやブルース臭いところが特徴かも(トニーはアメリカ人だからな)。

Tony_carey

それはさておき、今回入手したのは、このトニー・カレイのソロ作品である。
89年の作品とのこと。
彼がレインボウをクビになってからどこでなにをしていたのか、ほとんど知識がなかったので、もちろんどういう音楽なのかも存ぜぬ。
ジャケ写真を見て、まぁハードロックはやっていないだろうな、とは思った。
でも、ひょっとして一曲くらいは、ハードインストがあって、ぶりぶりとシンセソロを聞かせているのではなかろうか、と期待はしていた。

ところが、全編アダルトな感じのボーカルナンバー・・・。
結構、歌うまいな。
演奏もほとんど一人でやっているのか。多才な人だな。
案外、いい作品かもしれん。
・・・う~む、往年の熱演は期待していなかったし、予想通りの結末だが、なんだか一抹のさびしさを感じたのであった。

ところで、近年、トニーを含むレインボウOB(とリッチーの息子と)でOver the Rainbowなるバンドを結成したとのこと。
ちょっと期待してみたりして。

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2011年6月 8日 (水)

【温故知故】「過ぎ去りし夏の幻影」と「産児制限」

HMVから誘惑メールが来た。
洋楽CDのバーゲンとな。
こういう機会に、レコードは持っているけど永らく聴いていない作品とか、前々から聴いてみようと思いつつ機会を逃していたCDをぽちぽちと注文してしまう。
な~んか、店の思うツボだなぁ。

そんなわけで、ジャーマンロックの有名どころを2作。
とは言っても、ひとつはベスト盤だけど。

Novalis

Sommerabend / Novalis

76年発表の本作、かつては「過ぎ去りし夏の幻影」という邦題がつけられていたという。
実に秀逸なタイトルだ。あたかも音楽が聞こえてくるようだ。
直訳すれば「夏の夜」ということらしいが、ドイツのような高緯度の地域では、われわれが思い描く「夏の夜」とはいささか趣きが違うのだろう。
ジャケに描かれた仄暗い宵のような雰囲気なのだろうか。

ジャーマンロックといえば、スコーピオンズに代表されるハードロック、メタル系かカン、ポポル・ヴーなどのようなプログレというか前衛色の強いものが想い起こされる。
なんだか、理屈っぽい感じか。
しかし、このノヴァリスは、端正なアンサンブルと抑制の効いた歌唱で、その先入観を裏切る。
ドイツ語による歌唱に引きずられた印象かもしれないが、なんかカクカクした感じで、イタリアン・ロックのような自由闊達なのびのびとした雰囲気はない。
よくレビューで語られているが、朴訥としたロマンティシズムとでも言おうか。
楽曲は「宮殿」クリムゾン風の白玉バッキングキーボードで彩られたメロディアスなものだが、クリムゾン的大仰さ重苦しさ禍々しさは乏しく、もっとこじんまりとした感じ、室内楽的といってもよいかもしれない。
しかし、ぱっと聴いた感じではジェントルなのだが、意外にも個々の楽器は結構ちからの入った演奏をしている。
特にギターは、ギブソン系の歪んだ音でザクザク弾いていて、なかなか気持ちよい。
エフェクターなんかの機材も乏しかった時代だからなのだろうが、アンプ直結っぽいストレートな音だ。
同傾向のドイツのバンドにヘルダーリンというのがあるが、ノヴァリスの方がよりハードロックっぽいのではないかな。

Birthcontrol

The very best of / Birthcontrol

活動期間の長いバンドのようだが、本ベスト盤に収録されているのは、72~75年という短い期間の楽曲である。
恐らく3作品からの抜粋なのだろう。
バースコントロールは、ハードロックバンドともプログレとも紹介されているが、まぁ、両者の境界が曖昧というかそもそもそんな区別がなかったころの音楽である。
こちらは、ドイツっぽい理屈っぽさや実験性がやや感じられるが、どたばたとした仕掛けの多い演奏とパワフルというか妙に力みかえった歌唱のどことないアンバランスがおもしろい。
特に、ちょっとしたスタジオギミックというか、ミキシングでのエフェクト処理が露骨で、時代を感じさせる。
ドラマーが中心メンバーだったせいか、ドラムの音量が大きめで、うるさいといえばうるさいのであるが、ダイナミックであるとも言えなくもない。
キーボードは達者な演奏を聞かせるが、特にシンセサイザーがまだまだ新奇なものだったせいか、アナログシンセのぽよんぽよんぶにょ~とした音でのソロがしつこくって、これもまたよし。
クラフトワークやタンジェリンドリームとの距離はそんなに遠くないという気もしなくはないが、メンバーが体質的にフィジカルな人たちなのだろう、全体に暑っ苦しい感じだ。
そいういう点では、同時期同国のフランピーというバンドに似ているような気もする。

・・・という具合に、同時期のドイツのバンドを2連発で聴いてみた。
どういうわけか、ミキシングの感じがよく似ている。
ライブ感のある音作りとか、楽器のバランスとか。
この時期、この国での流行なのだろうか。

ジャーマンロックといえば、先述の通り、エクスペリメンタルなものを想い起こすが、こういう直球勝負みたいなバンドもいたのであろう。
当たり前といえば当然なことであるが、こういう新しい知見を得るのもまた愉し。
かくして「温故知故」の細道は続くのであった。

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2010年10月22日 (金)

Bad Company at なんば Hatch

中学生のころ、初めて人前で演奏したのが、"Can't get enough"だった。
どういう経緯で実現したのかよくおぼえていないが、文化祭のイベントだった。
会場は中学の体育館、PAなんてものはないから、ひどい音響だったはずだ。
カセットテープに録音したのがあったはずだが、現存しているのかどうかも定かではない。
たしかこのときのセットリストには、他に"Rock steady"とか"Live for the music"とか"All right now"とかもあったはずだ。
チューリップとかやりたがるメンバーに無理矢理コピーさせたように思う。

当時、同級生の間で人気のロックバンドは、キッス、クィーン、エアロスミスの御三家?だった。
フリー、バドカンというとよくいえば渋い、普通の感覚だといささか地味であったことは否めない。
しかし、好きだったなぁ~。
バドカンの1~3枚目はほぼ全曲コピーしたぞ。シンプルだったから、初心者でも真似はできた。

そういう昔話はさておいて、行ってきましたよ、バドカン35年ぶりの日本公演。
直前まで大阪公演があるとは知らずに、あぁ、東京まで行くのはちょっと無理かな、と知らんぷりを決め込んでいたが、あれ、大阪公演あるやん。
では、さっそくチケットをゲット。
しかし直前にミック・ラルフスが病欠と聞き、ありゃ、これじゃバドカンだかフリーだかわからんなぁ、と思いつつ払い戻しなど考えもせず、この日を迎えた。

実はポール・ロジャースは15年ほど前の来日公演を見ている。
あのときは、確かロジャースのソロ"Muddy water blues"のツアーで、演目はジミヘンの曲を交えた渋めのブルースロックであったが、ギターがニール・ショーンでなんとなく違和感があった。
しかし、今回は正真正銘のバドカンである。
本来のロジャースのあるべき姿が拝めるはずだ。

会場に着くと、予想通りかなり年齢層の高い人々が集まっていた。
若者は皆無と言ってよかろう。
うんうん、これでこそバドカンじゃわい。小僧どもにあの渋さがわかってたまるか。

前座はスティーブ・ロジャース。
ポールの息子のはずだ。
アコースティックギターの弾き語りだが、父親譲りなのかなかなか渋い声をしている。
ちょっとエスニックっぽい曲調でこれはこれで楽しい。
が、はよ終われ、と思っていたのも紛れもない事実。すまぬ、スティーブ。

再び客電が落ちて、どよめきとともに始まったのは"Rock'n'roll fantasy"。
うわぁ、いきなりかぁ~。
ポールは伸びやかな声でステージを動き回り歌う。
溌剌とした動きは、今年還暦を迎えたとは思えない。元気なジイサンだ。
サイモン・カークは、見た目年相応の老け具合だが、スティックを振り上げる高さは往年のフリーのライブビデオで見られるのと変わりない。
スネアの一撃に魂が籠もっている(ように感じたのは多分に思い込みだろう)。
ベースの人は、若いころのギーザー・バトラーみたいだ。
ギターの人は見た感じ普通のジイサンなのだが、ところどころでタッピング奏法なんか披露して、ほほえましい。
でも、ミックが見たかったなぁ・・・。
ボズがいないのが惜しまれる。

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ボズ・バレルって人は、なかなか不思議な経歴の人で、もともとシンガーだったのだが、キング・クリムゾンに加入したときにフリップ翁に無理矢理ベースを弾くように強要されたらしい。
クリムゾン時代にはシンガーとしてもすばらしい仕事をしているにも関わらず、バドカンではベース一筋。
まぁ、ロジャースという不出世のシンガーがフロントにいるからしかたないといえばしかたない。
で、バドカンでは、クリムゾン時代の色は一切出さず、サイモン・カークと鉄壁のリズムセクションを形成していた。
こうやってバドカンとして来日公演なんかするってわかっていたら、もう少し長生きしてほしかった。

"Honey child"、"Run with the pack"と元気なハードロックナンバーが続くが、会場はおとなしい。
先日のLoud Parkと比較したらいかんが、ああいう粗暴な振る舞いをする人はいないので、落ち着いて聞いていられる。いいことだ。
"Burning sky"でちょっとクールダウンした後、"Oh, Altanta"をやったのは、ちょっと意外だがうれしい。
地味な印象の曲だが、実は大好きだったりする。
ロジャースのシャウトしつつも丁寧な歌いっぷりは、"Desolation Angels"収録曲では白眉だと思っている。
さすがにレコードで聴かれる若いころの声の張りはなかったが、それも渋さが増したと思えば文句もでない。
ただ、残念なのは、特徴的なサビでのギターのオブリガートが省略されて普通のコード弾きになっていたところ。
ボーカルとギターの微妙な掛け合いがいいんだけどなぁ。
ミックは、こういうボーカルを引き立てるバッキングが絶妙だ。
返す返すも今回の病欠が惜しまれる。聴きたかったなぁ。
ところで、"On my way back to Georgia”と歌うところを"On my way back to Osaka”と歌っていたのはお約束か?

引き続き、ロジャースのアコギ弾き語りによる"Seagull"。
うわぁ~涙が出てきた。
歌詞がいいのよね、この曲。
しみじみとくるなぁ。これでこそロジャースじゃわい。

「次の曲は、ボズに捧げるよ」と言って始まったのが"Gone, gone, gone"。
これまた地味目の曲だが、初期バドカンではほとんど作曲者にクレジットされていないボズが作った数少ない曲だ(共作だったかも?)。
ひょっとしたらこれ一曲かもしれん。
残念ながら、手元にある"Desolation Angels"には作曲者のクレジットがないので確認できないが、たしかそうだったと思う。

途中、へんてこりんなブルース曲を挟んで(新曲だ、とか言っていたような・・・)、後半戦は一気に全盛期の名曲オンパレード。
特に"Shooting star"は会場大合唱で大盛り上がり。
ロックスターを夢見る少年が一発当てて成り上がったけど、睡眠薬中毒で死んでしまう、という悲しい歌だが、どうしてもポール・コゾフの鎮魂歌のように感じてしまう。
実はコゾフの亡くなる前に作られた曲なんだけどね(ロジャースはジミヘンのことを歌ったと何かで読んだ気がするけど、違ったかもしれん)。
ボズもいなくなって、この歌を歌うロジャースの胸中はいかばかりなものだったろうか。
客席(スタンディングだったけど)で、目頭を熱くしてしまった。

"Can't get enough"、"Movin' on"と1stから景気のいいロックナンバーを連発して終了。
"Movin' on"の出だしのギターリフがなんか変だったような気がする。"Honey child"かと思った。
気のせいかな。
ここまで、ほぼ1時間ちょっと。短い。短すぎる。
アンコールは、"Bad company"は当然として、"Ready for love"はちょっと地味だったか。
いや、ロジャースの美声を満喫できたので、文句は言いませんが。
やはり体力的に限界なのかな、でも、もうちょっとやってほしかった。
"Good lovin' gone bad"も、"Deal with the preacher"も、"Early in the morning"も聴きたかったぞ。
まぁ、あまり観客が跳ね回るような音楽ではないので、こんなものかとは思うが、汗もかかずに終わってちょっと拍子抜け。

P9120015

案外早く終わり、まだナンバの地下街が営業していたので、ふらっと「黒門カレー」という店に入って晩ごはん。
チキントマト煮込みカレーをオーダー。
いや、これうまいやん。
木曜日の晩ごはんはカレーと決めているのだが、いつもの「すき家」のカレーとは比較対象にならん。ちょっと高かったけど。

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2010年10月17日 (日)

Loud Park 10 その2

Loud Park 10の観戦記は、だらだらと続くのであった。

神戸ワールド記念ホールのアリーナは、鋼鉄王モーターヘッドのもたらした興奮冷めやらぬ様子であった。
ここで既に1時間半くらいは立ちっぱなしなので、ちょっと座って休憩したいところである。
しかし、いよいよヘッドライナー、オジーの登場なのだ。
一番前から人垣4枚目という好位置を手放すわけにはいかない。

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ステージ上では、てきぱきと転換が進み、MESABOOGIEのアンプの壁が積み上げられている。
ふと頭上になにかしらの気配を感じて上を見ると、ステージ上方に天井から吊るされた照明設備に人がしがみついてなにやら調整している。
それも一人ではなく、2~3人はいるようだ。
これは相当怖い仕事だなぁ。落ちたら怪我ではすまんなと思って眺めていたのだが、結局降りてくるところは見かけていないので、恐らく終演まで天井からぶらさがっていたのだろう。
ひょっとしたら、ライティングって手動なのか。

そうこうするうちに舞台は整い、オジーの登場を待つばかり。
アリーナ前方は既に押し合いへし合いのダンゴ状態。
その上、みんな汗ばんでいるので、前後左右の人々の表面からにじみ出る液体が自分の皮膚に接触して気持ち悪いことこの上ない。
後ろから押し寄せる人の波に抗いながら立っていると、呼吸困難になりそうだ。
実際、顔を顰めて撤退していく人もいた。付き合いでこの場にいあわせたのであろう。

Image_ozzy

バックステージから舞台袖に移動するオジーの姿がちらっと見えた。
「おおぉーっ!」と喚声が上がり、「オジー!オジー!」と連呼する聴衆。
マイクを通して「おーおーおおおおおおー」と歌声が会場に響く。
あ、これはサッカーの試合でひところよく聞かれた「おーれーおれおれおれー」のメロディだ。
アリーナもそれに呼応して大合唱。
あぁ、どんどんアドレナリン濃度が上がっていく。

そして、いよいよメンバーがステージに上がると、興奮は最高潮。
一曲目は「月に吠える」(馬鹿だもん)だ。
演奏よりも周囲の観客の歌声がうるさい。
後方からの押しあがりはますます強くなり、前後左右の密着度が急上昇。
うわぁ~。

生オジーを見るのは実は2回目だ。
初来日のときの京都公演以来だ。あのときはランディ・ローズの急逝直後だったなぁ。
MTVもPVもなかった時代だから、海外のミュージシャンの演奏する姿を見る機会は滅多になく、ましてやその当時のオジーは元ブラック・サバスのボーカリストというだけで、現在のような明るいエンターティナーとしてのイメージはなかった。
雑誌などによると、黒魔術の儀式を執り行うとか、ニワトリを生きたまま頭から喰いちぎるとか、蝙蝠を生食して食あたりで死んでしまったとか、記者会見でバケツ一杯の豚の臓物を会見場にぶちまけたとか、そういう情報ばかりが垂れ流されていたので、どういうパフォーマンスを見せてくれるのか、大いに期待したのだが、いたって普通のライブで拍子抜けした記憶がある。
しかし、にこやかに両手ピースサインを掲げ、頭上で手を叩き、スローな曲では妙な体操のような動きを見せ、"I love you!"を連呼する彼は実に楽しそうで、むしろ心温まるほがらかなライブであった。
このあたりが、この人が多くの人に慕われる理由なのかもしれない。

30年近くたって、小太りのオヤジが小太りのジイサンになったが、やはり同じだ。
楽しそうだねぇ。変わっていない。
メタルの帝王などという殺伐とした雰囲気はまるでなく、やっぱりにこやかだ。
「ミスター・クロウリー<死の番人>」、「アイ・ドント・ノウ」など初期曲に交えて「ブラック・サバスの曲をやるよ~」と演奏したのは、
"Fairies Wear Boots"だよ。
初期サバスでは、もっとも好きな曲だったりする。うれしい。

バンドのメンバーもよく動いて、楽しそうだ。
ドラムの人はとにかくオーバーアクションで、ほほえましい。
ベースの人がやたら唾を吐くのがちょっと気になった。扇風機の前に立っているので、風で長髪が口に入るからかな。
ギターの人は、「えへん、おれってうまいやろ」みたいな感じで、ちょっと鼻についたが、まぁ、ギタリストってそういうものだ。
でも、ランディーのソロプレイはほぼコピーに徹していたのが高感度高し。
キーボードの人は、う~ん、目立たなかった。

しかし、よくステージからものの飛んでくるライブだ。
オジーの飲みさしのペットボトル(あれはCrystal Geyserだったか)とか、ギターのピックとか、ドラムスティックとか、オジーの持ってきたバケツからの水とか。
どれもわたしの近くに飛んできて、ちょっとずれていたら手に入ったかもしれない。
バケツの水はきっちりかぶってしまいましたが。

途中、ギター ソロ~ドラムソロを延々と続けてくれて、ちょっと退屈してきたが、「アイアンマン」で復活。
ブラック・サバスを代表するアイオミ先生ならではのあのリフを、会場みんなで大合唱。
その後、「クレイジー・トレイン」でエンディングに向かって疾走する。
そういえば、なぜか2ndからの曲は演奏してないような気がするな。
アンコールの一曲目は、聞いたことのないバラード曲。なかなかいい曲だ。
周りの人はみんな歌っていたので、知らないのはわたしだけ?なのだろう。
オジーらしい訥々とした歌いっぷりが素晴らしい。
そして最後は、あぁ~やっぱりこれかの"Paranoid"。

Ozzy_2 

終わったら既に9時を回っていた。
1時間半ほどのステージだったが、3時間以上立ちっぱなし、跳ねっぱなしでだいぶん足が弱ってきたので、これ以上やられてもちょっと困るという状況である。
みな、ぐったりした感じでポートライナーの駅に向かう。
外の空気はひんやりして気持ちよかった。

三ノ宮について、さて晩飯食おうと思って重い足を引きずって駅の東側の飲食店街に行く。
土地勘もなく、疲れていたので、以前に行ったことのあるところに行こうとしたのである。
で、吉野家で牛丼。
どこの吉野家も、最近はなんとなくやる気が感じられないなぁ。
カウンターに前の客のこぼした飯粒がついていたり・・・。
味とか値段以外にもするべきことがあるだろう、吉野家よ。

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Loud Park 10

2007年に続いて2回目の参戦となった今年のLoud Park。
今年はロニーの急逝もあって、ひょっとしたら、今回見逃すとオジーもレミーも二度と見られないかもしれん、という焦りにも似た気分でチケットを入手。
いろいろ私的な事情があって予定が立てられない状況であったが、ええいままよとばかりにぴあのサイトでぽちっとな。

今回のラインナップは、
TURISAS
LOUDNESS 
KUNI 
SPIRITUAL BEGGARS 
ANGRA 
AVENGED SEVENFOLD 
MOTORHEAD 
OZZY OSBOURNE 
・・・である。
よく知らないバンドも多数出演。
LOUDNESS って、あのラウドネスなんかな。オフィシャルサイト見るとどうもそうらしい。
現地に着いたときにはもう出番が終わっていたので、確認できず。

今回は、モーターヘッド、オジー・オズボーンは当然ながら、アングラに大いに期待していた。
90年代のメタルはさほど詳しくないのだが、なぜかアングラは何枚かCDを持っている。
ブラジルのバンドだそうだが、典型的なメロディック・メタルで、割と好きだ。

会場は神戸ワールド記念ホール。
初めて行く会場だ。
三ノ宮からポートライナーに乗り換えて行くらしい。
JRで三ノ宮まで出て、昼食を摂ってから現地に行こうかな、と思ったが、とりあえず近くまで行ってみようと思ったのが失敗。
最寄り駅を降りてみると、いやぁ、展示会場のような施設があるばかりで、飯屋がない。
ホールは駅と目と鼻の先で、ちょっと歩くとすぐに着いてしまった。
しかたないので、ひもじさを堪え会場に入ることにする。
入り口でグッズを売っていた。
モーターヘッドのTシャツは売り切れ・・・残念。
しかたないので、オジーので我慢する。
なんか不本意な現実の連発で、ちょっとめげてしまった。

一応指定席は確保しているのだが、結構広い会場の後ろのほうの2階席で、しかも椅子が小さく落ち着かない。
遥か彼方で演奏しているのが見えるという寂しい状況だ。
隣の席のヤツも寝てるし・・・。

20101017_loudpark_1

SPIRITUAL BEGGARSの演奏を席で見ていたのだが、いかんせん遠くでがちゃがちゃと演奏されても、なんだか退屈で、うとうとしてしまった。
なるほど、指定席って休むためにあるのだな、と納得。
というわけで、アングラの演奏はアリーナに降りていって観戦。
いやぁ、やっぱりアリーナで間近で観ると、全然気持ちの入り方が違う。
俄然テンションが上がってくるぞ。
超高速チューンで、クラシカルなフレーズを決めまくり、あまつさえ、バイオリン奏者も擁している。
ボーカルもハイトーンがよく伸びて美しい。
中盤でほとんどのメンバーがパーカッションを叩いてサンバ調のリズムでバイオリンソロをやってみたり(MCで「ブラジルからの贈り物だ」みたいなことを言っていたような気がする)、緩急自在な演奏で飽きさせることはなかった。
アングラの演奏が終了したので、一旦指定席に戻り休憩。

Image_angra

AVENGED SEVENFOLDって、全然知らないのだが、どうもドリーム・シアターをやめたマイク・ポートノイが参加していると司会の人が言っていた(ような気がする)。
この日のためにカスタムメイドのドラムセットを用意して、世界初公開とか言っていたような。
後ろの方で観ていたので、あまり感動はなかったが、演奏も曲もよかった。
アリーナで観ていれば、また印象も変わったのだろうと思うと、ちょっと残念かも。

しかしだ。
モーターヘッド、オジーの連発は何が何でもアリーナ前方に出撃しようと思っていたので、ここで限られたエネルギーを消費するわけにはいかない。
もう十分初老の域に達しているので、若者に混じってアリーナ前方でのりのりって、体力がもたないだろう。

AVENGED SEVENFOLDの演奏が終了すると同時にアリーナに出撃。
まだ人垣が薄いうちに前方に立ち位置を確保して、開演を待つ。
周りを見ると、2007年のHeaven and Hellのときよりずっと年齢層が下がっているような気がする。
結構多いのだ、若者が。
もう熱気むんむんっ!
天井からMotorheadのロゴ垂れ幕が下がってくるだけで、会場はどよめく。
スタッフの人がサウンドチェックを念入りにやっているが、ベースのチェックをしているのは、いたって普通の禿げたじいさんだ。
レミーと同年代なのかな。見た感じ、ジェスロ・タルのデイヴ・ペグみたいな感じの人だ。
そんなじいさんがレミーセッティングのベースをぶりぶり弾くもんだから、違和感たっぷり。

ほどなく、客電が落とされ、レミーのお出まし。
いやぁ~、相変わらずの悪人ヅラだわい。
「わしらはロックンロールでぶっ飛ばすぜぃ」みたいなMCとともに演奏が始まる。
一曲目はIron fistだったように思う(どの曲もほぼ同じなので区別がつかない)。
前の出演者のような華麗なテクニックも演出もなく、ひたすら単調なエイトビートを繰り返す。
で、あのレミーのダミ声だ。
会場は阿鼻叫喚、興奮の坩堝。
モッシュなるものを初めて経験した。いやぁ、ちょっと怖かった。
ギターの人が「盛り上がってるか、オーサカ!」みたいなことをしきりに言うが、ここは神戸だ(と小声で突っ込む)。
たぶんロンドンから見れば、大阪も神戸も京都も一緒なのだろう。
ドラムの人がやたらとスティックを上に放り投げる。
くるくると回って、再び受け止めて叩き続けている(ように見える)。なかなか器用な人だ。

演奏開始直後は、なんだか音圧が低い気がしたが、徐々に改善されていい感じになってきた。
途中、ギターの人が一人でステージに残り、延々とソロを弾く(が、たいしたことはしていない)。
恐らくレミーの休憩タイムなのだろう。
ベースをかき鳴らしながら再登場したのだが、音が鳴っていない。
先ほどの禿げたじいさんが慌てて駆け寄って、ベースにプラグを差し込んでいた。
シールドささってなかったんかい!
しかも気付いてなかったんかい、レミーよ(やっぱりどうかしてるな、このオヤジ)。

モーターヘッドが、このように単調でガサツで下品な演奏をするのは、彼らの初来日(82年だったかな)のときに経験済みなので、あぁ、なんも変わってないなぁ。
などと、目頭が熱くなる気分になる。
演奏は後半に突入し、やってくれました、Ace of Spade。
一気に会場は大合唱。
押し合いへし合い汗まみれ。
とどめの一発はOverkill。
きっちり3回エンディングもやってくれて、うひょうひょと大満足。

21世紀の現在からすると、もはやヘヴィーでもメタルでもない古風なハードロックにしか聞こえない彼らであるが、それでも、というかそれだからこそというべきか、一層の凄味を感じさせる演奏であった。
変わらないものの強さみたいな。
偉くなってもチンピラみたいな。

(後半戦に続く)

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