2011年10月23日 (日)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

フィリップ・K・ディック作の1968年発表の古典SFであり、サイバーパンク映画として根強い人気を誇る「ブレードランナー」の原作である。
「ブレードランナー」は、ずいぶん昔にテレビでみたことがあるくらいで、いや、レンタルビデオだったかもしれないが、妙に薄暗い画面と奇天烈なアジア風の街の風物が強く印象に残ったが、それほど思い入れのある映画ではない。
なぜ、改めて原作を読んでみようと思ったかというと、これが原因である。

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「ハルシオン・ランチ」

「無限の住人」で知られるマンガ家、沙村広明の作品なのだが、これがまた秀逸。
この作家の画力は相当なもので、それだけでも「買い」だが、2巻で完結というコンパクトさもちょうどよく、なんといっても設定だけで引き込まれる。
大雑把にいうとSFコメディなのだが、いたるところにシニカルでダークなお笑いが散りばめられている。
「むげにん」は徒に延長戦を戦い続けている感じだが、その合間を縫って、ときどき短編集や連作(しかもどれもおもしろい)を発表しているこの作家の力量を思い知らされる。
ストーリーについては、本稿から離れるので割愛。

で、本作中に「官能洞穴(タンホイザーゲート)」という言葉が出てくる。
気になるなぁ。
「タンホイザー」とは、ワーグナーのオペラのタイトルであり、その登場人物である中世ヨーロッパの騎士の名前だそうだ(実はストーリーとかあまり知らない)。
実はこの「序曲」というのがまた名曲で、雄大で勇壮な曲想はワーグナーの傑作だと思う。
だいたい、ワーグナーの管弦楽曲って、大仰で重厚で、ある意味わかりやすく、悪く言うと通俗的であまり通受けしない印象なのだが、大好きだ。
こういうのを聴くと、オーケストラの指揮者ってやってみたくなるねぇ。

まぁ、それはさて措き、「タンホイザーゲート」って何だ?
調べてみると「ブレードランナー」で使用されて広まった言葉らしい。
あぁ、そういえば、原作の小説のタイトルって、ちょっと変わった名前だったよなと思い、読んでみようと思った次第。

本屋で探してみると、あるある。
小松左京とはえらい違いだ。
しかもカバーがなんともかっこいい。
文庫本のカバーとしては衝撃的といっても過言ではないかも。
というわけで、即買い。

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内容は、第三次世界大戦後、放射性物質が降り注ぐ殺伐として荒涼としたアメリカ、サンフランシスコが舞台。
人々は、ムードオルガンなる装置により感情をコントロールされているという奇妙な世界で、人造人間アンドロイド(映画「ブレードランナー」では「レプリカント」と呼ばれているが)が危険な労働などに使役されているという。
裕福な階層の人々は地球外の天体(火星とか)に移住し、地球に残された下層階級の人々は放射能汚染に怯えつつ、電気仕掛けの動物をペットとして飼育している。
生身の動物は貴重で、大金をはたいてそれらを購入し、飼育することが地球の人々の憧れ、ステイタスになっている。
主人公、リック・デッカードは、逃亡したアンドロイドを処分することで生計を立てている専門の警察官「バウンティ・ハンター」であるが、電気羊を飼っていて、そのことが劣等感になっている。
いつもシドニー社の動物の価格表を携帯し、生身の動物の価格を憂いているらしい。
駝鳥が3万ドル、子馬が5千ドル・・・あぁ、オレの手には届かない、なんてな感じで。
映画みたいにかっこいい雰囲気はまったくなく、なんだかさえないサラリーマン風なのだ。
ちなみに彼がアンドロイド一体処分して得られる給料は1千ドルである。
そんな彼が、火星から逃亡してきたアンドロイドのグループを処分する戦いを描いたものである。
確か、映画「ブレードランナー」では、女性アンドロイドと恋仲に陥ってしまうような描写があったような気がするが、本作ではむしろそれはアンドロイドのハニートラップだったりする。
しかし、その過程のすったもんだで、人間とアンドロイド、生き物と電気動物の区別、意味合い、どちらが自分の帰属すべき仲間なのか、アイデンティティーが混乱してゆくという、なかなか深いストーリーである。
この奇妙なタイトルの意味はこのあたりにある。

読後にどんよりとした気分になった。
バーチャルリアリティが普通に身の回りに存在する現代って、この作品の世界とさほど距離はないと感じる。
そんな世界で、人間が人間らしく生きることはどういうことか、なんてな愚問に対する回答が示されているわけでは、もちろんない。
しかし、この長大な寓話が現代人に示唆することは重く深い。

なお、本作中には「タンホイザーゲート」なる言葉は出てこなかったようだ。
う~む、原書をあたらねばならぬのか?

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2011年9月28日 (水)

果しなき流れの果に

先日、ニュートリノが光よりも早く移動していたことが観測されたというニュースがあった。
ほんとだとすると、アインシュタインの相対性理論を覆す大発見だそうだが、ことの真偽はこれから検証せねばならないようだ。
特殊相対性理論によると、移動速度が光速に近づくと、時間の流れはどんどん遅くなって、光速に達すると時間は止まるそうだ。
従って、移動速度が光速を越えると、時間が逆行するのではないかという。

タイムマシンの原理は、ものすごく早く移動する物体に乗って、その物体が光速に近づくと、外側の時間の流れよりも内側の時間がゆっくり流れるので、その物体から外に出たとき、未来に到着しているはずである、というものらしい。
しかるに、このニュートリノは光速より早く移動しているわけだから、こいつがスイスから発射された時刻よりイタリアに到着した時刻のほうが前になっているということになる。
これにて、過去への乱舞(大気の海で)が可能になると・・・。

はて?
さっぱり実感できないが、そんなようなことをテレビが教えてくれていた。
(ほんとにこんな理解でよいのかどうかはよくわからない)

このニュースを聞いたのは、おりしも、ちょうど先日物故された標題の小松左京の大昔の作品を読んでいた最中なので、なんだか妙な気分になった。

「果しなき流れの果に」

う~む、いかにも古典SFっぽい秀逸なタイトルだ。
先日、小松左京が亡くなったと聞き、あぁ、そういえば、昔っから読もう読もうと思いつつ、気がついたら本屋さんで見かけなくなったなぁ、と思ったのがこの作品。
亡くなったので、追悼フェアでもやるかな、と思ったが、そういう気配もなくひと月、ふた月と過ぎた。
近所の大型書店でもさっぱり見かけないので、結局某ネット通販で入手。
いやぁ、かれこれ50年近く前の作品なのだが、今でも十分おもしろく読めました。
あちらこちらに意味ありげにばら撒かれた伏線らしきエピソードは最後まで放置されていたり、用語や言い回しがさすがに昔ふうだったり、突っ込みどころはあるのだが、かなり強引なストーリーと頭でっかちな感じの妄想の力技で読ませる作品だ。
作者の若さに任せた勢いが感じられる。

内容を乱暴に要約すると、古くは白亜紀からいつとも知れない未来まで、縦横に出没する登場人物たちの奇想天外な戦記ということになるのだろう。
後に「日本沈没」や「復活の日」で結実する壮大なモチーフの萌芽もうかがえ、作家論的にも興味深い作品である。
な~んて、偉そうに言ってみたが、実は小松作品を愛読したのは30年以上も前の話。
はっきり言って、ほとんど忘れかかっている。
前々から、「日本アパッチ族」などは再読したいと思ってはいたのだが(読んだのは子供のころだったからね)、どういうわけか小松作品は文庫本で手軽に入手しにくい状況が続いている。
60~70年代のSF作家の作品ってそういうのが多いような気がする。
こういうのって、あまりいいことではないと思うのだが・・・。
エンターテイメント作品として軽く扱われているのかな。
海外の作家はそうでもないのだけどなぁ。

余談だが、海外のSF作品といえば、J・P・ホーガンを一時期よく読んだものだ。
ホーガン作品で、名作の誉れ高い「星を継ぐもの」が星野之宣がマンガ化していて第一巻が出ている。
これも先が楽しみではある。

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ところで、今気づいたのだが、「果てしなき流れの果てに」ではなく、「果しなき流れの果に」というのが正確なタイトルだ。
「て」が抜けている。
これは、何らかの作者のメッセージ?

・・・んなわけないか。

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2010年10月11日 (月)

僕らが作ったギターの名器

「僕らが作ったギターの名器」(文春新書) 椎野秀聰著

永年ギターを弾いて暮らしているが(とはいえ、それで飯を食っているわけではないよもちろん)、あまりハードウェアには興味がない。
そこそこいい音が出て、弾きやすい楽器ならば、それほどスペックは気にしないで弾いている(だからダメなのか)。
とはいえ、ギターを弾き始める前(あぁ、もう30年以上前の話だ)は、楽器屋さんでパンフレットを集めてきて眺めては、こういうのが弾きたいな、ああいうのがほしいな、と夢見る小僧だった。

だから、70年代後半の国産ギターの数々はよくよく憶えている。
ヤマハ、グレコ、フェルナンデスはちょっといい感じ。
グヤトーン、フレッシャー、ウエストミンスターは廉価版。
トムソン、トーマスはさすがに対象外。
ギブソン、フェンダーは手の届かない高嶺の花。
やっぱりハードロックやるならレスポールタイプ、ストラトは若干軟弱な感じ。
・・・そんなイメージだったなぁ。

新興のブランドもいろいろあったな。
トーカイとかキャメルとか。
そんな新興ブランドの中でちょっと異色な感じだったのが、HSアンダーソンだった。
コピーモデル主流の当時、微妙にオリジナリティを発揮したデザインは印象的だった。
そのブランドをプロデュースしたのが、この本の著者、椎野氏だったとは、この本を読んで初めて知った。
さらに、ESP、Vestax(ってギターじゃないし)などのブランドを立ち上げたのも椎野氏だと知って、ひょっとしてこの人、ものすごい人だったの?と今さらながら驚いている。

本書は、著者のギター開発に関わった人生を通して、「よい楽器」とはどんなものか、「よい音楽」とは何だ、ということを書き綴ったものである。
普段、ギターのスペックをみるときでも、あまり木の材質など気にしないのであったが、当然ながらそれらによって音は違ってくるし、出したい音によってそれらの選択は変わってくるものであるはずである。
そういうところには無頓着な自分は、つくづくギタリストではないな、と感じてしまう。
一方で、ギターの音は木の音が基本、という自分の信条は間違ってないなぁとは思った。
ギターと自分のやっている音楽とのかかわりを見直すきっかけになりました。

ところで、日比谷カタン氏の弾いている年代もののアコースティックギターが、どうやらサックスで有名なセルマー社が製作していたマカフェリというギターらしいということがわかって、ちょっと納得。
マカフェリはジャンゴ・ラインハルトの使用していたギターであり、著者が30年以上前に出会ったパリのビストロでシャンソンの伴奏でマカフェリを弾いていたギタリストとの短いエピソードは、なんだか軽く胸を熱くさせるものがある。

楽器は単なる工業製品ではないという極々当たり前のことを再認識させてくれ、また、「ものづくり」とはどういうことなのかについて考えさせてくれる意義深い本であることよ。

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2010年8月28日 (土)

悪の経典

今年に入って、「プログレ」復興の動きが目に付く。
先週も東京で、ルネッサンス、スティーブ・ハケットなどが出演した規模の大きな野外ライブがあったと聞く。
秋にはキース・エマーソン&グレッグ・レイクが来日する。
書店の音楽関係書籍の棚にはプログレ解説本やレコードガイドが目に付く。
ロックの古典化が顕著になってきて久しいが、その流れもいよいよ「プログレ」にまで及んできたかと思うと感慨深いものがある。

この勢いに乗って、E&Lの来日公演も大いに盛り上がってほしいものである。
どうやら公演は東京のみで、しかも10月上旬の平日みたいなので、さすがに経理関連業務従事者には過酷な日程であり、今回はあきらめざるをえない。
残念だ。
そういう個人的事情とは何の関係もないが、彼らの来日公演を援護射撃するかのごとく表題の本が出版された。
相当売れているようで、普段足を向ける書店ではたいてい平積みになっている。

・・・とは言っても、当然ながらE,L&Pの「恐怖の頭脳改革」に収録された「悪の経典#9」とは関係なく(まったく関係ないわけではないのだが)、貴志祐介の新刊小説である。
「うちの学校には怪物がいる。」
と帯にデカデカと書かれ、「ピカレスクロマンの輝きを秘めた戦慄のサイコホラー」と説明されている。
な~んか、おもしろそう。
先日、毎週愛読している某週刊誌での書評を見て、さっそく近所の書店に買いに行った。

実はこの著者の小説はかつていくつか読んでいる。
「黒い家」は怖かったなぁ。
保険金詐欺をめぐるサイコな人々と保険屋さんとの闘争を描いた作品であるが、いや、怖い怖い。
舞台が京都で、なんとなくリアルに雰囲気がわかるので、なおのこと。
他にこの人の作品をいくつか読んだけど、これが一番おもしろかった。
やはり、一番こわいのは人間ですか、と。
だいぶん前にホラー小説にはまっていた時期があって、いろいろ読んだけど、超常現象を扱ったものより、あっちの世界に行っちゃったような方々が活躍する作品の方がだいぶん怖かったな。

で、読んでみましたよ。
とりあえず上巻だけ買ってみて、おもしろかったら下巻も買おうと思っていたが、上巻は読み始めたその日のうちに読了してしまった。
翌日、さっそく下巻を買ってきて、これまたその日のうちに終了。
おそらく上下同時に買って帰っていたら、一日で読了していただろう。
とはいえ、エンターテイメントとしておもしろかったのかというと、う~む、微妙だなぁ。
ストーリーには激しい吸引力があるので、目が離せないのだが、読後感がどうもスカッとしない。
もやもやもや~としたものが残ってしまう。
まぁ、この人の作品はそんな感じのが多かったような気もするし、サイコホラーとはそういうものなのだろう。
まだ出たばっかりで、これから読もうと思っている人もたくさんいると思うので、あまり先入観を喚起するようなことは書かないでおこう。

ところで、さきほど「悪の経典#9」とは関係ないと書いたが、実は関係なくはない。
作中に登場する高校生のバンド(普段はドリーム・シアターのコピーをやっている)がE,L&Pの「悪の経典#9」を演奏しようとするシーンがあったり(どの部分なのか気になるところだが。やはり「第一印象パート2」だろうか)、ヘビメタ教師のブログが引用されたり、著者の音楽嗜好を垣間見せる描写がある。
「クリムゾンの迷宮」という作品もあったし、きっとこの人も「プログレ」好きなのだろう。

写真は、某書店で売っていた著者のサイン本(恐らく直筆だと思う)。
8/5の日付が入っているが、買ったのはその一週間後くらい。
どうせ買うならサイン本がよかろう、と思って買ってみた。
サイン会で売れ残っていたのだろうか・・・。

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2007年10月21日 (日)

筋肉少女帯と封印作品

うむむ、意味ありげなタイトルだな。
筋少の封印作品といえば、「ドリフター」「岡田ロック」などが有名だが、今回はそういうことを書くわけではない。
ひさびさに最近の読書感想文を書こうとしているのだ。

安藤健二著「封印作品の謎」「封印作品の闇」
大槻ケンヂ・橘高文彦・本庄聡章・内田雄一郎著「筋肉少女帯自伝」

う~む、見事にトレンディな読書傾向だ(どのへんが?)。
普段、江戸川乱歩だとかラブクラフトだとか、いまさら感想文を公にするのも憚られるような本ばかり読んでいるので、たまにこういうのを読むと、何か書きたくなるな。

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「封印作品の謎」「封印作品の闇」

世の中に「封印作品」と呼び習わされてる一連の映像作品、書籍が存在する。
何らかの理由で、公開がなされていない作品の総称である。
まぁ、「発禁本」「放送禁止歌」などと似たようなものであるが、なぜかそういう言い方をする。
本書でも取り上げられていて、「封印作品」の代名詞となっているのが、「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」だ。
実は、わたしはこの作品が公開されていないということをだいぶん昔に知って、かねがね疑問に思っていた。Huuinn2_3 Huuinn_2

あれは中学生のころだから30年くらい前の話だ。
近所の友人の弟(小学校低学年だった)の持っていた「ウルトラセブン大百科」みたいな本を目にして、
「お。懐かしいな。ちょっと貸して」
子供向けの本のわりに資料が充実していて、巻末に作品リストなんか載っていて、脚本、監督などのクレジットがある。
その中で、「第12話は現在欠番をなっています」みたいな注釈があり、リストが空欄になっている。
ウルトラセブンはリアルタイムで見ていたし再放送も繰り返し見て、登場する宇宙人、怪獣の類もほとんど知っていたのだが、第12話がどんな話だったか、さっぱり思い出せない。
そのときから、第12話の謎は心に引っかかり、永く疑問に思っていた。

時は過ぎ、インターネットなるものが普及して、何気に円谷プロ関係のファンサイトを見ていると、第12話についての言及があった。
「なるほど、そういうことで欠番になったのか」
と納得したものだ。
しかし、それも噂、伝聞の域を出ない記述で、真相は依然不明であった。

似たような話で、結構社会問題になったので、ご存知の方も多いと思うが、「ちびくろさんぼ」絶版事件がある。
これは本書では扱っていないが、基本的な構図は同様である。
手塚治虫、藤子不二雄などの日本マンガ史はもちろん戦後の文化史に大きな業績を残した著名なマンガ家の作品も、危うく封印されるところだったそうだ。
というか、本書によると、実際に一時的に出荷停止になたものも多かったらしい。また、実際に封印されて、今や手に取ることもできない作品が少なからず存在する。
そいうえば、手塚、石ノ森などの復刻作品には、たいてい巻末に編集部からの「おことわり」が記載されており、「人権擁護の観点から不適切な表現が含まれるが、差別を助長する意図で書かれたものでなく、時代背景を考慮して一部修正の上、出版するものである」というような文言が付け加えられるようになった。
この種の「おことわり」は乱歩などの小説にも見られる。

本書は、「謎」と「闇」で2冊一組の趣で、この種の作品が封印された真相をジャーナリスティックに追究したものである。
通常、この種の作品を扱った文章は、特撮マニアだとかその種の人が噂、伝聞に基づきおもしろおかしく書いていることが多いが、本書の著者は元新聞記者で、きちんと取材して書いている。
なにぶん微妙な問題を扱らねばならない題材だが、よくがんばって書いたなぁ、と思う。
同業者(出版人ってことね)の、ある意味で隠したい事情のある作品を扱っているわけだから、そりゃ微妙だわなぁ。きっとあちこちから圧力があったのだろう、と思わせる記述もある。

著者の視点は、この種の本にありがちな興味本位、面白半分のものではなく、極めて真面目なものである。
ファンや読者の立場に立ち、素朴に「なぜ、あの作品が今は見ることができないの?」という疑問を解き明かす。
とはいえ、著者自身はこれらの作品の特別なファンではないことは明言している。これが、私情、推測を交えないジャーナリスティックな本書の雰囲気を生み出している。
個人的には、非常に好感の持てる態度だ。
結果的に、表現の自由と差別の問題を考える上で、なかなか貴重な資料となっている。言語表現に携わる人は、一読の価値はあるだろうと思う。

しかし、そういう表現の自由と差別のせめぎ合いが原因で封印された作品ばかりではない。
共著である作品で、両著作権者の意思の齟齬が原因となったケースも取り上げられている。こちらの方が、読者としてはやりきれない思いにとらわれる。
個人的にはあまり興味がなかったから、たいした感慨も抱かなかったが、例えば「オバケのQ太郎」封印の真相には、なんだかなぁ・・・と感じた。
世に出された作品は誰のものなのか、という問題も興味深いというか深刻な問題である。

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「筋肉少女帯自伝」

立て続けにちょっとヘヴィーなノンフィクションを読んで、暗澹たる気分になったので、ちょっと気分を変えようと、買いに行ったのが本書。
「自伝」と銘打ってあるが、実際はインタビュー集だ。
わたしのごく親しい人は既に周知の事実であるが、実は筋少大好きなのである。
順風満帆に見えた90年代筋少も、実は内部にいろいろ問題を抱えていたことは既に大槻のエッセイなどで繰り返し語られているので、さほど目新しいことではないが、本書では、それらが他のメンバーの発言によって裏付けられた点に興味深いものを感じた。
まぁ、ファンの人以外には、まったくおもしろくないと思うが、ファンの人には、楽しめる内容だと思う。
個性的なメンバーを擁するバンドであるから、各人の音楽観なども垣間見える。ファン必読であろう。Kingshowjiden

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2006年12月 2日 (土)

「パーミリオンのネコ1 殺戮のための超・絶・技・巧」

以前、感想文を書いた囲碁マンガ「入神」の作者・竹本健治の小説作品である。
「入神」が結構よかったので、この作者の小説も読んでみようと思い、それとなく捜していたのであるが、案外見つからなかった。
ところが、あるところにはあるもので、某BOOKOFFで複数発見し(しかも100円棚)、背表紙だけ確認してレジに持っていった。
ウチに帰って黄色い袋から取り出してみると、「あれ、こんな本買ったっけ?」。
表紙まで確認してなかったのだが(それもどうかと思うが)、いかにもアニメのノベライズみたいなイラストにちょっと引いてしまった。
という訳で、あまり期待もせずに読み出したこの作品である。

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いかにもマンガ的だなぁ~、作者はマンガ家志望だったと聞くがそのためかな、と思いつつ読み進めていった。そんな話なので、トントンと読み進み、短期間で読み終えてしまった。作者の後書きを読むと、もともとこの作品はマンガ原作として書かれたものだそうだ。なるほど。
「入神」もそうだったが、この作者は、登場人物のプロフィールを短いエピソードで上手に語るので、ストーリーに入り込みやすい。ただ、本作はシリーズものの第一巻なので、主人公の出自などについては、謎めかせており、続編に興味を持続させる効果を狙っているようである。
ところが、まぁ、この主人公だけど、人物造形が非常に類型的で、かつ謎をちりばめすぎたため、得体の知れない(が、なんだか薄っぺらい)人物にしかなっていないのが、ちょっと残念である。まぁ、続編でその謎は解き明かされていくのだろうが、個人的にはそこまでの興味は持続できない(とはいえ、同シリーズのを同時にもう一冊買ってるんだよねぇ、困ったな)。

ストーリーはこんな感じ。
宇宙のとあるところで惑星間で跳梁跋扈する凶悪犯罪者を「処理」することを仕事とする一種の警察組織があり、主人公である「ネコ」はその組織の美貌の女性辣腕捜査員である。日々神経と肉体をすり減らし、自らの生命を危険に晒しつつ惑星間を飛び回る日々を送っている。
彼女が新たについた任務は、サイ能力(超能力)を駆使し、テロ行為を続ける「サイス(大鎌)」なる男を始末することである。彼が潜むとされる惑星に乗り込み、ひょんなことで知り合ったノイズという男を協力者として、彼女はサイスを追いかける。しかしサイスはその姿を現さず、捜査は壁にぶち当たる。彼女を察知したサイスはサイ能力による攻撃を徐々にエスカレートさせ、逆にネコは追いつめられてしまう。果たして、ネコとノイズの命運はいかに。
・・・という話です。ね、いかにもマンガ的でしょ?

話の中では、不幸を背負った少女が出てきて、ネコと彼女をだぶらせ、ネコの過去を示唆する場面があったり、ノイズが弾くピアノ曲(フランツ・リストの「ラ・カンパネラ」である。少なくとも、これで、登場人物が地球人であることがわかる。なお、タイトルの「超絶技巧」に引っかけているのだろうが、いまいち引きが弱い)がなにかネコの過去にかかわりがあることを示唆する場面があったり、まぁ、伏線をいろいろ張ってはいるのだが、本編中では、それらの伏線は結実していない。シリーズ全体を読めば、その伏線も「おお、そうだったのか」と納得できるのかもしれないが。
またサイスが起こしたテロ行為の動機もはっきりしない。不治の病により死んでしまった妹のことが語れるが、それとテロ行為とはどうしても結びつかない。よくよく読めばわかるのかな?さくさくっと読み飛ばしたせいかもしれない。

と、まぁ、突っ込みどころ満載の小説であるが、全体としては勢いがあって、主人公と脇役のキャラも立っていて、エンターテイメントとしては、そこそこ楽しめる。しかし、やはりこれはマンガで表現すべきお話だな。文章を読んで、その場面のイメージが脳内で再現できる人向けです。そういう意味ではマンガ読み向け小説でしょう。表紙のイラストを描いた人(末武康光・後書きによると大友克洋の「AKIRA」のスタッフだった人らしい)が作画する予定で、だいぶん進んだらしいけど、掲載予定誌が発刊前にボツになってしまったそうで、そういう意味では不幸な作品ではある。

ちなみに、わたしの脳内では、ちきんと「童夢」のころの大友画で再現されていたので、あとで「あ、なるほど」と思った。活劇場面の描写がいかにも大友画を文章化したようなものだったからである。このあたりにも作者のマンガ好きが感じられる作品である。

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2006年11月20日 (月)

「七百万ドルの災難」

さて、今回はまたまた趣を変えて、海外ミステリー小説の感想文でも書いてみよう。
J・P・ホーガンみたいに著作をいくつか読んだことのある作家のものだと、安心して買うこともできるのだが、古本屋さんの100円棚で、内容もわからずに面白そうな本を選ぶのは、結構難しい。

700million 本書「七百万ドルの災難」(ジェイムス・マグヌスン著)は、な~んも予備知識なしに、手にとって裏表紙に書いてある簡単なあらすじをたよりに買ってみた本である。
タイトルやそのあらすじだと、なにやら犯罪小説のようでもあり、コメディーのようでもあり、なんとなくエンターテイメントっぽい印象を受けたのだが、果たしてどんなものか。

読後感の悪さでは、近来稀に見る小説である。400ページ弱の結構な長編小説であるが、終始主人公自身に起因する軽率な行動によってもたらされる後ろめたさと不安感が濃密に漂い、実に深~い閉塞感で、何度読むをやめようかと思ったことか。それでも、徐々に追い詰められていく主人公が、どんな結末を迎えるのかが気になって気になって、ついつい最後まで読んでしまった。
読んでしまって「ありゃ~、これはないよなぁ~」とため息が出てしまった。なかなか読書という行為でこういう感慨を抱くことは少ない。そういう意味では貴重な体験であった。
まぁ、こんな感想を書いてしまったら、この拙文を読んで「じゃ、オレも読んでみよう」なんて誰も思わないだろうから、ストーリーも紹介しておこう。

ベン・リンドバーグは、若いころは新進の脚本家として注目を集めたこともあったのだが、今ではテキサスの地方大学で米文学の教鞭をとるしがない助教授であった。生活は決して裕福ではなく、妻と2人の子供を抱え、自動車の修理代すら満足に払えない状態であった。そんな彼がひょんなことで、飼料店の地下室に隠されていた700万ドルのはいったクーラーボックスを見つけてしまう。彼はその大金を自分の生活の向上に使おうと思い、要するにネコババしてしまう。元来小心者なので、ネコババするのに、またいろいろ悩み、策を弄するのであるが、このプロセスが、なかなかまどろっこしい。
そうこうするうちにダニエル・スイーニーなる学生に秘密を知られてしまい、奇妙な共犯関係?が成立する。また、大金を奪われた組織の影がベンの周りにちらつき始め、ベンは心理的にどんどん追い詰められていく。疑心暗鬼になったベンはスイーニーも信じられなくなり、袂を分かってしまう。
しかし、組織は実力行使に出て、まずスイーニーに暴行を加え、次にベンの娘を誘拐して、金のありかをベンに問いただす。彼の愚行を難詰する妻をおいて、娘を奪還にベンは向かう。普通なら、主人公の英雄的行為によって読者はカタルシスを得られる場面であるべきなのだが、当然ながら、正義はこちら側にないので、なんとも言いがたい気詰まりな気分を味あわせられることになる。
結局、事態は収拾するのであるが、な~んとも後味の悪い結末を迎える。

・・・拾ったものをネコババしたらダメですよ~という教訓小説なのかな、これは。
主人公が徐々に追い詰められていく過程を手に汗握り読み進めていくことが、この作品に対するあるべき態度なのだろうが、それにしても、あまりに結末が救われない。人生って、結局そんなふうにバッドエンドなんですよ、ハッピーエンドなんてありえない、と信念を持っている人には楽しめる小説だと思います。そういう人には、お勧めしておきますね。

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2006年11月11日 (土)

「創世記機械」

さて、久しぶりの記事である。
最近マンガネタが続いているので、あたかもわたしは「マニアックなマンガばかりを収集しているハードコアなマンガ読み」であるかのごとき印象を世間に与えてしまっているようであるが、そんなことはないのだよ。

という訳で、今回は「字のいっぱい書いてある本」の感想文だ。J・P・ホーガンの1978年の作品である。日本語版は1981年が初版になっている。
Souseiki J・P・ホーガンといえば、「ハードSF」の作家として語られているようであるが、まさに、ハードで、サイエンスである。
この人の本は、だいぶん前に(といってもオトナになってからだが)、知人に借りて読んだ「星を継ぐもの」に始まる「ガニメアン」シリーズが初めてだった。そのあまりに奇想天外なお話と、それにもかかわらず、非常に説得力のある(なるほど、そういうことがあってもおかしくない、と思わせる)科学的説明で、ぐいぐいと引き込まれたものである。その後、彼の著作は何冊か読んだが、どれも適度に小難しくって、適度にエンターテイメントしていて、完成度の高い小説だと思った。
「ガニメアン」シリーズとは、木星の衛星であるガニメデから来訪した宇宙人と地球人との交流を主題とした3部作で(続編もあるらしいが)、非常に読後感のよかった印象がある。だいぶん前に読んだので、細かいストーリーは忘れてしまった・・・。
ちなみにこのシリーズの第二作目は「ガニメデの優しい巨人("The Gentle Giants of Ganymede")」というタイトルで、「おぉ、ジェントル・ジャイアントではないか」と反応するのは、プログレ者たるもののお約束である。
ついでに本作「創世記機械」も原題は"The Genesis Machine"であり、まぁ、そのまんまの直訳であるが、プログレ者の琴線に触れるタイトルである。

簡単にストーリーを紹介しよう。
情報通信関係の合衆国政府系研究機関(ACRE)で物理学の研究をしているブラッド・クリフォードなる青年科学者が、とんでもない理論を思いつく。それは時間と空間を超えてエネルギーを出したり入れたりすることのできる座標点に関するモノで、文中には詳しく説明がされているのであるが、わたしのような科学素人には、その説明が科学的にどの程度「ほぉ、なるほど」と思わせるモノなのかはよくわからない。少なくとも素人のわたしが「ふぇ~、なんかよくわからないけど、そうなのね」と納得するくらいの説得力はあった。こういうと、あまり説得力のない説明だったかのように思われるが、そんなことはないぞ、たぶん。
ブラッドは、その理論を論文にしたため、公表しようとするが、その研究機関から「待った」がかかる。彼の研究が軍事的に利用できると見抜いたACREの上層部は、その理論の公表を阻止し、ブラッドに理論の軍事転用に協力するよう圧力をかける。頑固で理想家肌のブラッドは憤慨してACREと対立し、とうとうクビになってしまう。
その間、ほぼ同時に別の研究機関で、とある実験中に不可解な現象を観測した科学者、オーブ・フィリップスは、その現象が、実はブラッドの理論で説明できることを知り、ブラッドにコンタクトをとる。このあたりの描写に今で言うところのインターネットやテレビ電話が使われていて、まぁ、SFだから当然とは言えるが、先見性を感じるところである。
二人の失業科学者は、友情を深め、ひょんなことから国際科学財団に職を得た。この団体は政治機関から完全に独立していて、科学者の自由な研究活動が保証されているのである。ブラッドとオーブは、そこで、自らの理論を証明するべく大規模な実験設備を作り、とうとう居ながらにして地球の内部、月の裏側などを観測をすることに成功する。
一方、当時の世界情勢は、ソ連が分裂し、中共、西アジア諸国などの共産主義国家と結託し、西側自由主義陣営を脅かす、という典型的な東西対立状態で、インドでの内戦を端緒に一触即発の危機的状況に陥っていた。
ACRE(ワシントン=合衆国政府)側もブラッドの理論がとんでもない成果を生み出したことを察知し、国際科学財団に圧力をかけ、その技術を軍事転用させるべくブラッドたちの活動を妨害しはじめる。科学は人類に平和と幸福をもたらすべき、と純粋に信じているブラッドは、妥協を余儀なくされた財団の姿勢に怒り、悩み、そして、ひとつの決断をする。
オーブたちの心配をよそにブラッドは、大々的に彼の理論を軍事転用する手段を開発し、ACRE(ワシントン)側に協力する姿勢をみせる。ブラッドの開発した兵器は、空間を超えて特定の地点にいきなり強大なエネルギーを放射して破壊し尽くすという、まさに「悪魔の兵器」とでも言うべきシロモノであった。
そして、インド内戦の激化に伴い、いよいよ東西全面戦争の局面を迎え、東側の核ミサイル攻撃が開始された。その攻撃を迎え撃つために、とうとう「J爆弾」と呼ばれたこの兵器が発動されたのであるが、その行き着く先は・・・?世界は終末を迎えるのか?

という手に汗握る展開なのですが、いや、結末は読んでのお楽しみ、ということで。
激しい立ち回りや戦闘シーンなどの描写もなく、話は淡々と、一人の研究者であるブラッドとその回りの日常を中心に進んでいくので、きわめて静かな印象である。しかし、ところどころに登場する(似非?)科学的説明や主に会議のシーンでの登場人物の長広舌がポイントになって、話に深みを与えている。
と書くと、なんかつまらない小説みたいだけど、そんなことはないぞ。う~ん、いわゆる活劇ものではないので、そういうのを期待すると、すごく読みづらいかもしれない。
現在では実現不可能な技術が、もし実現したら、という仮定での、一種のシミュレーションものという感じはする。だからこそ、作者の世界観、人間観が色濃くにじみ出て、読後に、ずっしりとしたものが残ります。読み応えあり。

また、エピローグが、しみじみします。物語からだいぶん後の世界での出来事なんですが。これがあるとないとでは、全体の印象がかなり違っていたと思います。人によっては、このエピローグは不要と感じるかもしれませんが、これは作者の科学観、世界観をストレートに語っている部分だと思います。

あまりディテールに触れると、ネタばれになりそうなので、多くは語れないが、昨今の感覚的刺激を強調するあまり、な~んか表層的で、読み応えのない「ミステリー」ものに飽きてしまった人には、お勧めしておきます。
まぁ、かれこれ25年以上前の小説なので、なにかと古びてしまった部分はありますが、古典なんてものは、そういうものでしょう。
かなり違うという気もしますが、かのピンク・フロイドの元ベーシスト、ロジャー・ウォーターズのソロ作品「Radio K.A.O.S」を思い出しましたね。影響受けたのかな?んな訳ないか。

ちなみに、「創世記機械」というタイトルですが、ちょっと見、なんのことかわかりませんが、最後まで読むと、「あぁ、そういうことなのね」としっかりと腑に落ちます。

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2006年10月16日 (月)

「木島日記」

先般「寄生人」の感想文で言及した大塚英志の著作である。
Kijima0 大塚英志という名は、「多重人格探偵サイコ」なるマンガの原作者として知られるが、残念ながら、わたしはこの作品をちきんと読んだことがない。BOOKOFFで立ち読みした程度である。
また、「ルーシー・モノストーンの真実」(三木・モトユキ・エリクソン著)というノンフィクション作品で、ルーシー・モノストーンの存在を過大に神格化し、紹介した文筆家として言及されていたのが印象に残っている程度で、特に関心のある作家ではなかったのだが、なんとなく文字の多い本を読みたくなってBOOKOFFの100円文庫コーナーで手に取ったのが本書である。

舞台は昭和初期、軍国主義の台頭する不穏な世情のもと、民俗学者折口信夫は、ひょんなことから「八坂堂」なる古書店に迷い込み、木島なる仮面の男とまみえる。そして、次々と猟奇的で不条理な出来事が折口の周囲で起こるようになり、そのいずれもが木島が関与している。折口の周囲で起こる不思議な出来事が本書に語られているのであるが、どれもこれも荒唐無稽文化財みたいな話で、「んな、あほな」と思いつつも引き込まれてしまう、そんな小説である。
たとえば、知的障害のある子供を集めて人間コンピューターを作ってしまう話や、月から来た?少女の自殺と呪術によるその蘇生の話など、およそ説明しづらいストーリーの短編連作が収録されている。
その種の奇怪な話が好きな人には、ちょっとだけお勧めしておきます。
もともと同名マンガの原作のノベライズのようで、そのマンガ作品も読んでみたが、作画担当の森美夏という人の絵が、かなり独特なので、ちょっと世界に入りづらかったなぁ。
達者な絵なんだけど、斬新すぎて、パッと見て何が書いているのかわかならいコマが多々ある。Kijima
むしろ、小説作品の方が、「よくわかる」というのは、よくよく考えてみると、そうかもしれないと思わせる。
というのは、物語の世界の中での単位時間あたりに、読者に与えられる情報量(および情報の質)が、だいぶん違うからではないかと。もちろん、マンガの方が情報量は格段に多い訳です。しかも、その情報は、ほとんどが視覚から認識するものだから、「物語り」という言語表現に変換して理解しようとすれば、そこで読者の頭の中で、視覚で認識した情報を言語に置き換える作業が発生する。これは、案外難しい作業で、特に本作のように、いろいろと衒学的なプロットやら、常識を逸脱したストーリーやら、異常な設定の登場人物群やら、非常に込み入った情報を一度に与えられると、読者は、よほど頭を整理してかからないと「よくわからない」状態になってしまう。
(普段なにげなく読んでいるマンガだけど、結構いろいろ頭使って読んでるんだと思う)
はっきり言って、本作については、マンガ版だけを読んでいたら、きっと「なんかわからん」話としか思えないのではないか。少なくともわたしはそうだった。小説版を先に読んでいたので、話は概ね(正しく)理解でき、そこそこ楽しめたが。
そんな訳で、もしこの感想文を読んで、本作に興味を持つ人がいたら、小説版を先に読むことを勧めておきます。

どうでもいい話だが、小説版の表紙に記載されている作者名のローマ字表記の字体が、Art of tranceなるテクノユニットのロゴに酷似している。まぁ、よく見かける字体という気もしないではないが。Kijima01 Artoftrance 左が「木島日記」文庫版の表紙、左がArt of tranceのCDジャケ。

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