2011年7月17日 (日)

祇園祭

しばらく京都に住まっているが、祇園祭期間中は四条界隈を敬遠していた。
人ごみが嫌いだし、暑いし。

今晩、NHKで祇園祭宵山の実況中継を放送していた。
毎年やってるのかな?
今年も別に見に行くつもりはなかったが、テレビを見ていると、急に気が変わった。

保存会だかなんだかのおじさんがおもしろいことを言っていたのだ。
これまで祇園祭が千年の長きにわたり祭りが続いてきた理由とか。

元来、京都の町衆とは強力な経済力を握った自治組織だったという。
それが、政治的、経済的に行政機構に取り込まれ、力をそがれていった。
その流れの中で、唯一守り続けたものが「祭り」だったという。
「祭り」とは宗教儀式であり、現実と彼岸をつなぐものであり、われわれの「こころ」の拠所となるものなのだろう。
豊臣も徳川も、町衆から「祭り」は奪えなかったということか。

さらに、そのおじさんは次のようなことを言っていた。
日常の99%は「無(価値)」であり、残りの1%にこそ人生の「真実」がある。
その1%が「祭り」だ。
「神」と「人間」と結ぶ儀式なのだ。
そのことを子供たちに伝えていくことが、「祭り」を続けていくために必要である。
言葉による教育ではそのことは伝えられない。
実際に祭りに参加して、現場で作業をして、肌で感じ取っていくしかないのだ。
そのこと自体に大きな意味がある。

・・・う~む、深い。

日常の99%は無価値と断言してしまうのもすごいが、地元の保存会のおじさんが「祭り」にこれだけの意義を見出して取り組んでいるというのが、感動ものだった。
ほとんど宗教家のような発言ではないか。
これは、見に行かねばなるまい。

というわけで、晩飯ついでにふらふらと歩いていってみた。
新町通りを上がっていったのだが、五条を越えたあたりから人が多くなり、仏光寺あたりから道の両側に露店が並んで、すっかり街はお祭りモード。
なかなか進まない上に、暑い。
巨大な鉾やら山やらが豪華絢爛な装飾を纏い、路上に鎮座している。
これが明日には市中を引き回されるのかと思うと、ちょっとすごいかも。

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四条通りに出ると、時間も遅いせいか、ちょっと人ごみもすいてきた感じで、歩きやすい。
道が広いので、風も通り、暑さも和らぐ。
山やら鉾やら、それぞれの前に説明の看板が立っている。
数百年前からずっと続いているのもあれば、百何十年ぶりに復活したものもあるようで、それぞれに歴史あり、という感じ。
先のテレビでも触れられていたが、これらの山鉾は、それぞれが属する街の誇りであり、象徴なのだと思うと、感慨も深い。

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写真なんか撮ってみたけど、まぁ、ぼけぼけで何が写っているのかよくわからない。
雰囲気だけでも伝わるかな。

そのまま、西へ歩くと、堀川通りでホコテンは終了。
そのまま大宮まで行って、晩飯。
四条大宮といえば、王将の聖地。1号店。
「ブッキム丼Aセット」を注文。
なんだ、「ブッキム」って?
と思ったら、豚キムチのことらしい。
なかなか美味。七条店でも出していただきたい。

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再び、四条通りを東へ。
もう人もまばらで、露店も店じまい。
祭りの後の、疲労感が漂う街並。

実際に現場で見ると、テレビで保存会のおじさんが言っていたような宗教的な雰囲気はあまり感じられないが、「祭り」の雰囲気は味わえた。
普段とは違う異界の空気を僅かながら呼吸できたような気分である。

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2011年1月11日 (火)

年末年始の雑感

今さら謹賀新年というのも気が引けるが、今年初めての記事なので、とりあえずあけましておめでとうございます。

年末年始にいろいろ感じたこと思ったことなど徒然に・・・。

12/29 プチ忘年会

とあるバンドのライブに誘われていたのであるが、この日は仕事納めだったので、観戦かなわず、打ち上げのようなものにのみ参加。
帰宅は午前3時過ぎ。久々によく飲んだような気がする。

12/30 プチ忘年会2

前日の痛飲がたたりほぼ一日廃人状態。
もともとアルコールに強いわけではないのだが、ますます弱くなってきたようだ。
夕方から、現在構想中のとあるユニットメンバーと会食。
今後の展望を議論する。

12/31 紅白歌合戦

例年の通り、今年もテレビでの観戦。
来年こそは、NHKホールのステージ上で新年を迎えたいものだ。
やはり今回も、ほぼ同じような人が同じような歌を歌っていた。
いろいろ評価はあるのだろうが、個人的にはいきものがかりがよかったな。
紅組トリのドリカムは、どうにもいただけなかった。
なんであんなへんてこな曲にしたのだろう。
「ダーウィンが来た」のテーマソングを最後まで聞けたのはちょっとよかった。
桑田佳祐のパフォーマンスは、以前出場したときのNHKの仕打ちに対する意趣返しという感じ。
桑田は、30年以上日本の音楽シーンで現役感を維持しつつ活動している数少ないミュージシャンとして偉いとは思うが、どうも音楽的には好きになれない。
ところで、今回も白組の勝ちだった。なんでかな。
Superflyはてっきり出場しているものと思っていたけど、出てこなかった。
(実は結構すきなのだ)
ゲストに岡田元監督や駒野なんかを連れて来て、ワールドカップを回顧しつつ歌わしたらたいそう盛り上がったのに、と思うと残念。

1/1 元旦

日中、テレビでサッカー天皇杯の名勝負みたいなのを放送していた。
数年前の京都サンガvs鹿島アントラーズだ。
思えば、サンガの全盛期はあのころだったのだろう。
今年からJ2だが、がんばっていただきたいものだ。
できれば、今年は西京極にも足を運びたいものだ。

1/2 箱根駅伝

なんとなくテレビを見ていると、学生さんが走っている。
陸上競技にはまったく興味がないので、さっぱりわからないが、寒い中がんばる若者を見るのはすがすがしい気分だ(?)。
選手の方々は、普段は10000メートルやらマラソンやらを走っているのだろうか?

1/3 「あしたのジョー」

来月、実写版映画が公開されるという。

これまで、見た限りでマンガ原作の実写版映画で期待を上回ったものは極々少ない。
近年では「デトロイト・メタル・シティ」くらいだろうか。
従って、本作も過大に期待しないことにしている。

数年ごとに本作を読み返して、新たな感動に浸るのであるが、今年も読み返してみた。
さすがに表現の古さは否めないが、それでも短いマンガの歴史に残る名作であろう。

ホセ・メンドーサとのタイトルマッチ開始直前の武道館控え室での白木葉子とジョーのやりとりに、不覚にも涙してしまった。
すっかり涙腺が弱ってきたのだろう。

今回は映画化されることを念頭に、映画のストーリーの核となると想像されるジョーと葉子の葛藤を中心に読んでみたのである。
平行し、反発する二人の思いと言動は、思わぬところでごくまれに交差する。
そして最後の最後にそれはぴったりと寄り添う。
などと書いてしまうと、安っぽいラブロマンスのようだが、決してそうは読ませないところが、ちばてつや(梶原一騎?)のすごいところなのだろう。
恐らく、今回の映画では、メンドーサ戦まで描くことは難しいだろうから(というか2時間そこそこでは絶対に無理)、このような結末は見られないはずだ。

スポ根ものの代表のように語られることの多い本作である。
そういう側面も間違いなくあるのだが、ひとりの青年の成長と挫折の物語でもあり、死と贖罪の物語でもあり、高度成長期の日本の抱えた矛盾を象徴する社会的アイコンでもあり、多様な読み方のできる、ある意味「神話的」な物語である。
優れた「物語」とはそういうものなのであろう。

ところで、本作をはじめ、「マンガデータ主義」を標榜し、多くのマンガ作品を統計的に読み解き、「水原勇気0勝3敗11s」などの著作で知られる豊福きこう氏が死去していたらしいことを最近知った。
彼のマンガの読み方にはいろいろ評価もあろうが、徹底的にテキストに依拠して作品を分析するある種アカデミックな姿勢は素晴らしいと思っていたので、残念なことである。

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1/4 初詣

今年も例によって晴明神社に詣でてきた。
詣でるごとに、なにやらきれいになっていくなぁ。
近くに生息するイギリス犬は今年も健在だった。

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1/9 ひきこもり

前日、プチ新年会と称し、会社の部下を連れて焼肉屋さんに行った。
想定外の出費にショックを受けて、この日は完全に自宅で廃人状態。
一日、一歩も戸外に出なかったのは、初めてではないか。

1/10 「江」

去年の「龍馬伝」は、近年の大河ドラマでは屈指の出来だったと思う。
ほこりっぽく、暗い画面は、従来のNHKドラマの印象を大きく変え、人物描写に深みを与えていたのではないか。
音楽もよかったな。
昨年末から散々番宣を繰り返していたが、今年の大河はどうもイマイチな予感。
果たして実際にはどうか、初回を興味津々で見てみた。
・・・う~む、やはりイマイチかなぁ。
戦国ものもこう何回も繰り返されると、もうええやんという気分になる。
ちょっとは別の時代に目を向けてもいいのではないか。
大河ドラマに特有のバストショットがやたらと多いカメラワークは、大画面テレビが普及した昨今、どうにも鬱陶しい上に、薄っぺらい感じ。
まぁ、まだ初回だし、今後を期待しよう。

ふと思ったが、「あしたのジョー」全編を大河でやったらどうだろう。
サイズ的にもちょうどよい感じだと思うが。
20年後、我々がご隠居になるくらいの年代なら可能かもしれない。

1/11 「タイガーマスク」

最近、「伊達直人」さんの善行がこの世知辛い世の中を暖めてくれている。
「マンガ『タイガーマスク』の主人公、伊達直人を名乗る~」と報道されているが、よくよく考えてみると「タイガーマスク」のマンガ版を読んだことがない。
最終回に不慮の交通事故で死んでしまう、というのは知っているが、それに至るドラマはよく知らない。
これではいけない、と思い、近所の某大型書店に行ってみたが、置いていなかった。
絶版になっているのだろうかと訝り、ネットで調べてみたら、そんなことはなく、普通に手に入るようだ。
というわけで、さっそく発注。
さて、どんなドラマが読めるか、楽しみである。

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2010年2月23日 (火)

オリンピックに思ふ

開幕直後から日本選手のメダル獲得が続き、大いに盛り上がりを見せるかと思われたバンクーバー五輪も、そろそろ半分を過ぎた。
特別の興味はないのだが、まぁ、普通に中継を見たりしている。
それでも、なんだか、もひとつ盛り上がってこないのは、わたしだけか?
思うに、NHKの放送のテーマソングがな~んかもひとつだからかな、と。

もともとスキーもスケートもしない人なのだが、というかそもそも体を動かすことで楽しみを得るということがない人間なのだが、スポーツ中継を漫然と眺めるのは嫌いじゃない。
それにしても、冬季五輪は想像を絶する競技が多い。
時速100kmを超えるスピードで小さなソリに乗っかって氷の溝を滑り降りるとか、巨大な滑り台から100m以上も体ひとつで飛んでしまうとか、およそどんな感じか推し量るべくもない競技が目白押しだ。
4回転ジャンプなんて、どうやってやるのかさっぱりわからないし、実際演じているのを見ても、4回まわっているのかどうかもよくわからない。
自分でちょっとやってみたいな、と思える競技がほとんどないのは冬季五輪の特徴だ。
あれは、恐怖感との戦い、ある意味で我慢大会なのではないかと思ってしまう。
あ、カーリングはちょっとやってみたいかも。
夏季五輪だと、基本は走ったり、泳いだり、ボールを投げたり蹴ったりだから、なんとなくわかるんだけどなぁ。

開幕直前には、スノーボードの某選手の服装について、いろいろ世間が騒いでいた。
国の代表として、国際大会に出場するのだから、それなりに節度をもった態度で臨んでほしい、と思うのは常識的な感覚だろうと思う。
直後の謝罪会見?も見たけど、あれはちょっとオトナの態度としていかがなものか、と思った。
ところが、バッシングが一通り収まると、今度は「実はいいヤツなんだよ」的な報道がされていた。
なんとなく、ひょんなことでメダルなんか取ってしまったら、取材がやりにくくならないように、マスメディアが予防線を張ったように思えてならない。
なんだかなぁ~、という感じだ。
もし、彼がメダルなんか取ってしまったら、きっと服装の乱れも、プラス評価に転じたんだろうな。
「オレ流を貫きメダル獲得!」な~んて。
しかし、それって、問題点がすりかわってるよなぁ。
服装が乱れていても、成果を出したらOK、みたいな価値観を奨励することになる。
金メダルを取ろうが、世界記録を出そうが、ああいうだらしないかっこで公式の場に国の代表として現れることがイカンのではないか。
そういうのを是とするメンタリティって、金儲けのためなら何をしてもOKという価値観と紙一重だと思う。
彼個人のことより、周りのオトナの思惑がなんとなくイヤな感じだった。
この国の品格はどうなってしまったのだ。

オリンピックもそうだが、こういう国際競技会になると、にわかに愛国者となる人々がいる。
それは国民として自然な感情だし、こういう機会に日の丸と君が代の美しさを再認識するのはよいことだ。
我が国が世界に誇るべきものはたくさんあるが、これらもそのひとつであろう。
過剰なものを排し、単純だが奥深い。
侘び寂びの美意識、これぞこの国の宝であろう。
そんなわけで、この国の美意識をほどよく知るに適した書籍を紹介してみたりして。

左は「歴代天皇事典」(高森明勅監修 PHP文庫)。
天皇の歴史は、まさしく日本の歴史である。
天皇親政が行われたのは、日本の歴史において決して長い期間ではない。
しかし、日本の文化、精神の支柱としてこの国を支え続けた王家の意義は深い。
こういうことを言うと「右翼」だのなんだのと言われそうだが、好むと好まざるとにかかわらず、この国に生まれ育ったものとしてはその意味を考えてみるのも一興であろう。
電車の中で読むと、ぐっすり眠れるという優れた通勤の友でもある。

右は「へうげもの」(山田芳裕 講談社)。
安土桃山~江戸初期の武将、古田織部の伝記的マンガである。
これを読むまで、この人のことはなんにも知らなかったのであるが、なかなかおもしろい。
特に千利休との絡みはなかなか興味深いものがある。
新しい日本の美意識を生み出そうと試行錯誤七転八倒するさまは抱腹絶倒である。
などと書くと、小難しいように感じられるかもしれないが、そこはそれ、メジャー商業誌の連載作品だから適度なエンターテイメント性もあって、上質な娯楽作品になっている。

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2010年1月 5日 (火)

初詣

天候もよく、時間も空いていたので、初詣に行った。
晴明神社である。
言わずと知れた希代の陰陽師、安倍晴明の屋敷跡である。

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子供のころから王朝説話好きだった話は以前にも書いたことがあるが、そんな中で平安時代に大活躍したこの陰陽師の名前を知った。
一条戻り橋の下に式神を隠していたとか藤原道長にかけられた呪詛を見破ったとか、そういう逸話を読んで「かっこいい」と思ったものである。
その影響を受けて、陰陽道や神道に関する書物を読んだり、その延長で西洋の神秘思想にも関心を持つに至って、現在に至っている。

20年ほど前に京都に居を移した折には、初詣といえば晴明神社と決めていた。
その頃は、街中にひっそりと佇む感じの小さい神社で(鳥居は当時から立派だったが)、なおかつ手入れの行き届いた瀟洒で落ち着いた感じが非常に心地よかった。

ところが、小説、マンガ、映画で取り上げられて急激に安倍晴明の認知度が上がり、あっという間に観光寺社と化してしまった。
初詣に行こうものなら、観光バスで乗り付けた観光客の団体で溢れかえって、落ち着きのないこと甚だしい。
そんなわけでしばらく足が遠のいていたのだが、昨年久しぶりに詣でてみると、幾分観光寺社の雰囲気は残っているが、だいぶん以前の落ち着いた雰囲気が戻っていた。

というわけで、今年も詣でてみた。
陽光暖かく、新春にふさわしい晴れ晴れとした空気に、心も体も洗われたような気分になって帰ってきた。
また来年も行こう。

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~~~(^o^)~~~

閑話休題。

昨年末のよた帝ライブでの機材トラブルを反省して、対策を考えた。
ギターの音が出なくなった直接的な原因は、間違いなくエフェクターを接続しているパッチケーブルの劣化であるが、対策としてパッチケーブルを新調するだけでいいのか。
数えてみると、コンパクトエフェクターを全部で九つつないでいる。
そのうち一箇所でもケーブルの不調が発生すると、とたんにシステム全体が機能しなくなる。
この次、いつ同様のトラブルが発生するかもわからない状態を継続するのは、根本的な対策になっていない、と思うに至った。

というわけで、久しぶりにマルチエフェクターの導入を検討した。
これならエフェクター間の配線を心配する必要はない。
しかし、以前、マルチを使用していた時期に感じていた不満、すなわちシステムとしてのフレキシビリティおよび操作性の欠如と基本となる歪みのダメさ、これが解消されない限り、またまた頓挫する可能性がある。

操作性に関しては、マルチはどれも似たり寄ったりで、結局は使い手の姿勢の問題であろうかと思うが、歪み音に関してはどうしても譲れない(ような気がする)。
現在、歪み系のメインに使用しているVoxのOver the topは非常に気に入っていて、なかなかこれを換えようとは思えない。

で、いろいろ調べてみたら、Voxのマルチが某通販サイトで安く売り出していた。
ちゃんと真空管が入っていて、なんかいい感じ。
というわけで、さっそく購入。
ちょっといじってみたが、モデュレーション、ディレィなどは、やっぱりマルチなりの使い勝手の悪さがあるが、アンプシミュレーター部分はなんとなく使えそうだ。
次回のライブは足元をすっきりして臨みたいものだ。

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2010年1月 3日 (日)

謹賀新年

遅ればせながら、新しい年を迎え、まことにめでたき限りかな。
今年もよろしくお願いいたします。

残念ながら、自宅でテレビを見ながら新年を迎えてしまったのであるが、来年こそは渋谷で年を越したいものである。
紅白歌合戦をここ数年続けて見ているが、流行歌に触れる機会がない日常を送っているので、一年の歌謡界の趨勢が一年単位でまとめて確認できるという点で、なんとなく重宝な番組である。
毎回出てきて同じ歌を歌っている人が出てなかったり、去年と同じ歌を歌っている人がいたり、全然知らない人が出てきたり、まぁ、いろいろと興味深い。

年始にテレビでグランド・ファンクのライブをやっていた。
再放送のようだが、74年ころの演奏で、ライブレコード(Caught in the act)になっていたのとほぼ同じ雰囲気の演奏だ。
ちょっとだけ初期の映像も放送していたが、マーク・ファーナーはまさに「野人」だなぁ。
あれだけ歌いながら跳ね回ってギターもちっきり弾くのは相当な「野人」ぶりだ。
やっていることは簡単そうだけど、なかなかああいう風には弾けない。ある種の天才なのだろう。
このあたりのリズムの異様なタイトさ加減はイギリスのバンドにはないもので、
「R&Bをベースに白人的ポップ感覚を織り込んだハードロック」
などと言葉で書いてしまうと、例えばイギリスでいうとハンブル・パイあたりがそういうカテゴリーに入ってしまうのだろうが、聞いた感じはまるっきり違う。
やっぱりアメリカのバンドなのだなぁ。

同じ時間帯でシン・リジーやらジェネシスやらもやっていて録画したので、ぼちぼち見てみよう。
シン・リジーはちょっとだけ見たが、フィルの晩年(ジョン・サイクス加入後)のライブで、目の周りにクマが張っていて、痛々しい。
最後まで見ると、なんか泣いてしまいそうだなぁ・・・。

さて、よたろう帝國の今年の予定ですが、とりあえず4/24にライブの予定が入っております。
場所はネガポジ、またしても自主企画イベント。
今回はぐっと王道プログレ色も濃く、出演バンドも「水鏡」(from東京)と「荘園」。
詳細はこれから決めていきますが、また忙しい年になりそうじゃわい。

というわけで、新年のご挨拶に?昨年末のライブから一曲動画をアップします。

よたろう帝國 「黒い宴~Le Sabbat Noir」

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2009年4月15日 (水)

犬学校→

世の中には腑に落ちないものが、当たり前のように平然と存在していることがごくごくまれにある。
例えば「東京駅の『神』」などもそのひとつである。

先日、またしてもそういう腑に落ちないものを発見してしまった。

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「犬学校→」

なんという魅惑的な響きであろう。
しかも「→」がなかなかアクセントをきかせている。
果てして、「→」の先に何があるのかというと、実は某一級河川の堤防があるのだ。
その堤防に不法占拠と思しき小屋があるばかりで、「犬学校」らしきものは存在しない。

いや、「犬学校」とは、そもそも何なのだ?
この不可解な施設について、しばらく考察してみようと思う。

というわけで、この項続く(^^;

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2009年3月 2日 (月)

裁判所に行ってみる。

これまでの人生、いろいろあったようで、実は割と平凡な小市民として生きていた。
まぁ、大部分の人がそうであるように、わたしも法廷なんてものは、映画やテレビで見るもので、実際にこの目で裁判を見るなんてことはこの先ないだろう、なんて高を括っていた。

ところが、裁判所に行って、裁判というものを体験することになろうとは・・・。
とはいえ、裁判員に指名されたのでもなく、原告や被告として法廷に立ったわけでもなく、ましてや判事検事弁護士になったなんてこともなく、ただ一傍聴人として傍聴席に座って裁判の成り行きを見守っていただけなんだけど。

裁判の内容については、差し障りもあるので、ここでは伏せておくが、仕事関連ということにしておこう。
事前に弁護士の先生に訊いてみた。
「傍聴に行ってもいいですかね?」
「あ、全然大丈夫ですよ」
「予約とか手続きはいるんですか?」
「いや、当日裁判所に行っていただければ別に手続きはないです」
「『○○先生、がんばれ~!』とか言ってもいいですか?」
「あ、それやったらつまみ出されますよ」
というやりとりの末、傍聴に行くことにした。

開廷の時間がよくわからなかったので、当日、9時に裁判所に行ってみた(ちゃんと確認しておけよ)。P1280086 P1280088

入り口の自動ドアをくぐると、ただっぴろいロビーになっている。
ひと気がない・・・。
同じ官公庁でも市役所とか県庁とかと違う。
しかし事務室の中では、なんだか職員の人たちが忙しそうに立ち働いている。
ただ、案内カウンターの人は暇そうだ。このあたりは一般の官公庁と同じだ。
「今日の裁判の予定とかわかりますか?」
と訊くと、ほぼ無言でカウンターに置いているバインダーを指した。
そのバインダーに今日の裁判の予定が書いてあった。
一日にこんなにたくさんの裁判をやってるのか。ほとんど30分に一回。
しかも開廷時間は10分とか、そんな単位だ。
その上、法廷の数も想像以上だ。
一階と二階でそれぞれ10以上の法廷がある。
世間でこれほどの数の事件が起こっているのか。
しかし、その大半が民事訴訟で、しかもお金の貸し借り、払え払わぬの争いが多い。
のほほんと生きている自分の知らぬところで、これほどに法廷闘争が繰り広げられているとは・・・。
感慨を深めて、傍聴すべき裁判の時間を確認すると10時半開廷だった。
ありゃあ、だいぶん時間が空くなぁ。
というわけで、裁判所の内部、周囲を探検してみた。P1280089_3

ひと気のない廊下を歩いていくと、どこからとなくテレビの音声が聞こえてくる。
売店からだった。
やっぱりあるんだな、こういう施設が。
大きな病院にある売店みたいな感じで、店番のおばさんが二人、ヒマそうにテレビを見ていた。
実際ヒマなんだろう。 P1280091_2

タバコが吸いたくなったので、喫煙室に入ってみた。
建物は新しく、とても清潔に手入れされているのだが、ここだけ妙に小汚い。
まぁ、喫煙室ってタバコの煙で壁面が薄汚く汚れているものだが、それにしても、他との落差が激しい。
きっと喫煙室だからあまり掃除とかしていないんだろう。
喫煙者の立場って不当に貶められているような気がする。

「人事課能率係長」という役職の人がいるのだな。P1280092
ということは「人事課能率係」という部署があるのだろう。
なんの「能率」なんだろうか。
謎だ。

さて、ここが当該の法廷だ。
法廷の様子を写真に取るのはご法度らしいから、閉廷後に撮影したものだ。
書記の人がいたので、「こらこら。写真撮ったらダメ」とか怒られるかと思ったが、何も言わなかった。
たぶん閉廷後だからOKなのだろう。P1280093

裁判そのものは、あっと言う間に終わった。
開廷直前に弁護士の先生と合流して、法廷に入っていった。
先生は、なにげに傍聴席と法廷を区切る柵(一部が押し戸のようになっている)を押し開けて、柵の中に入っていく。ほんとに何気なく、という感じだ。
まぁ、弁護士の先生は、これが仕事で常時10件程度の裁判を抱えているらしいから、いちいち気合を入れたり、天を仰いで十字を切ったりはしない。当たり前か。
原告代理人が左側、被告代理人が右側に座り、開廷を待つ。

その直後、判事3名が奥の壁の向こうからすっと出てきた。
これまた何気なく不意に現れた感じだ。
おもむろに開廷を告げ、裁判は始まった。

まず原告代理人が訴状を読み上げ、判事が争点を被告代理人に確認する。
いくつかの争点について判事が双方に確認、意見の有無を訊き、そして次回の日程について決めたら、それで閉廷。
あっけないなぁ・・・。
ものの10分もかからない。
裁判ってこんなものか。
後で弁護士の先生に訊いてみたら、やっぱり初回はあんなものらしい。
次回は来月。
しばらく裁判所通いが続きそうだ。

ところで、アメリカは訴訟社会ときく。
なんとなく想像の話だが、アメリカ人って自分の権利を主張することが好きな国民ではなかろうか。
だから、訴訟が好きなのだろう。
一方、イギリス人は裁判が好きな国民みたいな気がする。
ああいう形式を重んじることを大切にしているような感じ。
あくまでこれも想像なんだけど。

そういえば、「インドへの道」というイギリス映画をだいぶん前に見たことがある。
植民地時代のインドで、支配者階級の英国人女性と被支配者階級のインド人男性の淡い心の交流の物語か、と思ったらいきなり社会派映画になってしまうというなかなかヘヴィーな映画だった。
ただ、映画の各所に見られるインドの風景、風物は目を見張る美しさがあった。
それはさておき、この映画のクライマックスは裁判のシーンで、鬘を被った判事がなかなか印象的であった。
それ以来、イギリス人は裁判好き(しかも格式ばった)、という先入観ができてしまった。

さて、「裁判」を英語で言えば、"The trial"。
まさにその言葉をタイトルにした曲がある。
Pink Floydの傑作"The wall"に収録されていて、全曲のクライマックスに位置する曲である。
ロックスターとして名を成した主人公"Pink"が錯乱の果てに法廷で裁かれるという悪夢のような曲だ。
フロイドの曲としてはめずらしくメンバー以外の人が作曲にクレジットされている(プロデューサーのボブ・エズリンだ)。
「ザ・ウォール」って大ヒットして名作の誉れ高いが、レコードだけ聴いても実はよくわからない。
映画版を見て、はじめてストーリーが理解できた人も多いかと思う。
わたしもそうだった。Trial2
まさしく悪夢のようなジェラルド・スカーフの手になるアニメーションによって繰り広げられる「ピンク」の裁判は「壁」の破壊によって終わる。
オペラ風のコーラスとオーケストラを配したアレンジは、フロイドの楽曲の中で異色であり、非常な盛り上がりをみせ、強い印象を残す。
なるほど、ロジャーが、もうやるべきことはやり尽くした、とフロイドをやめたのも頷ける。Trial29

・・・そこで、ピンク・フロイドを味わい尽くそう、というイベントを挙行することになりました。
いやぁ、長い前振りだったなぁ。

そんなわけで、「プログレ普及会」の第二回総決起集会を敢行します。
今回は趣向を変えて、お題は「リック・ライト追悼 ピンク・フロイド・セッション~目標は『狂気』全曲演奏」。

日時:2009/03/14(土)
場所:京都 烏丸丸太町 陰陽(ネガポジ)
時間:開場:午後6時半 開演:午後7時
チャージ:¥2000(ドリンク、フード別)

フロイドの名曲を普及会メンバーで演奏します。
セッションと言いつつ、きちんとリハもやって臨みます。
ぜひ観戦に来てください。

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2007年5月 1日 (火)

パソコンが逝ってしまった・・・。

とうとうメインで使っているパソコンがぶっ倒れてしまった。
起動時に再起動を繰返すようになり、どうもおかしいと思い、OSを再インストールしたが、どうもこれが失敗したらしく、とうとううんともすんともいわなくなった。
やむを得ず、某パソコンショップに持ち込んで、修理依頼。しばらく入院されることとなった。
店員さんによるとIE7をインストールしたことが原因の可能性もある、とのこと。某R氏の推測を裏付ける証言である。やめときゃよかったな、IE7。

そんな訳で、今現在、昔々のノートパソコンを引っ張り出してきて、なんとかネット環境だけは整えた。
やっぱりメールだとか、オークションの連絡だとか、ネット環境がないといろいろ社会生活に差障りが出てくるからなぁ。
ちゃんと動いている時は非常に便利だが、一旦使えなくなると頗る不便である。

メインのパソコンがないと、新曲の作成やら、なんやらかんやら、連休中にしようと思っていたことが滞って困る。さいわいパソコンが動いているうちにデータのバックアップは取っておいたので、大きなダメージはないが。

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2007年2月 8日 (木)

【解決編】東京駅の「神」

以前から気になって気になってしかたなかった「東京駅の『神』」。
去年の夏にこのブログに記事を書いたので、ご記憶の方もあるだろう。
先日、東京出張のおりに、とうとう真実が判明した。

年に何回かの東京出張。
幸いなことに、ゆるい用件が多いので、お気楽なものである。
前回は時間切れで、「東京駅の神」の真相を解明できなかったので、今回こそは、と意気込んでいた。
(そういうことに意気込むのもいかがなものか)
昼前に新幹線で東京駅に着いて、時間に余裕があったので、ホームを巡視してみた。
そうしたら、あるある。
あちこちに「神」が鎮座ましましているではないか。 20070125kami0_2

ホームをふらふら縦断し、ときどき立ち止まり、柱を眺めては腕を組んで「う~む」と唸るヒゲオヤジは世間の善男善女にどのように映ったのだろうか。
不審者と思われたのだろうな、きっと。

丹念にホームの柱をチェックしていくと、ところどころ「神」以外のものもある。
「南」だとか「中」だとか。
明らかに位置関係を示す文字である。

20070125naka_1 20070125minami_1


中には「駅」などといういわずもがなの表示もある(ちょっと表示形式が違うけど)。20070125eki_3

やはりこの表示は何かの位置関係を示しているのであろう。
それにしても「神」とはなんだ?
「南」とか「中」は、何かを基点にして、そことの相対位置関係を示しているものと想像できる。
何かを基点にした相対位置関係が「神」と表示されるべき場所とは?
「天国」か?
んなわけないか。

さらに、いずれも柱に取り付けられた箱に表示されている。
この箱の中身は依然謎のままだ。

ホームを一周して東端の「神」の前で、途方に暮れて佇んでいると、おりよく駅員さんが通りかかった。
「あの、すいません。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」
「はぁ?何でしょう」
「いや、変なこと聞きますが、この柱に『神』って表示されていますよね?これは何でしょう?」

このときの駅員の表情は忘れられない。
訊かれていることがとっさに理解できない様子で絶句している。
目を丸くするという表現があるが、このときの彼はまさしくそうであった。
訊かれてはならないこと、話してはいけない秘密を指摘されたかのようであった。

内心「しまった。触れてはいけないことを訊いてしまったのかも・・・」と思い、言葉を変えてさらに尋ねた。
「いや、この箱に『神』って貼られていますよね。他にも『南』とか『中』とかありますでしょ。何のことかな、と思いまして」
駅員さんはやっと質問を理解した様子で、ややうろたえながらこう言った。

「あ、これは車内の点検が終了したときの合図をするものです。『神』は『神田』の略です」

「神田」の「神」!!

「ということは『南』とか『中』とかは・・・」
「『南神田』、『中神田』です」
永年の疑問が一瞬にして氷解した瞬間であった。

おおお、そうだったのかぁ~!
「ととと言うことは、この中に『神様』を祀っているとか、そうことではなく・・・」
「ええ、そういうことではなく、『神田』の『神』です」
思わず口走ったわたしに彼は憐れみの目を向け、冷ややかに答えた。
おりしも通りかかった掃除のオバチャンがくすくす笑いながらこちらを見ている。やや恥ずかしい。

「しかし、なんで神田なの?ここは神田じゃないでしょ」と執拗に食い下がる。
「ここは東京です」と当たり前のように答える。そんなことはわかっておる。
どうやら、東京駅構内で神田地区、南神田地区だとか、エリアわけがされているようである。
あまりこんなことを深く突っ込んでも、ますます不審がられるので、ここらへんで勘弁しておいた。

そうだったのか。
そりゃ、京都や名古屋にはないよな~。
と非常に得心して仕事先に向かったのであった。
謎が解けたのはうれしかったが、夢が壊れた一抹の寂しさも感じた。

仕事中(とある会議に出席していたのであるが、当然ウワの空)、ずっと複雑な気分で過ごした後、お茶の水の楽器屋街に立ち寄って帰途についた。

20070125kami_1 既に日は沈み、あかりの灯ったホームであらためて「神」を眺めた。
以前のような神秘性をなくし、ただの「記号」となり果てた「神」は、どことなく寂しげである。

ふたを開けて中身を拝見してみた。
なるほど、押しボタンが一個とその下に「車内点検」「神田」と書かれたシールが身も蓋もなく貼られているだけであった。20070125kanda_3

消えてしまった「神」へのせめてものはなむけに以下の画像を作ってみた。
東京駅ホームのどこかに、密かにこういうものが隠れていて、駅員には見えないだけで、実は新幹線の安全運行を司っていればいいのに、と思いつつ・・・。

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2007年1月 1日 (月)

謹賀新年。

なんとなく昨年は終わってしまい、どうということもなく今年が始まってしまった。

とはいえ、つつがなく新年を迎えられたことを慶ばねばなるまい。あと何回新年を迎えられるかわからないが、そのたびごとに慶ぶ気持ちが強くなっていくのだろうか。
少なくとも、ここ数年、そんな気分である。

なんだか新年早々辛気臭いことを書いていますが、どうにかこうにか生きてやっていけているのも、周囲のみなさまのおかげ。
今年もよろしくお願いいたします。

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