2011年2月12日 (土)

タイガーマスク

やっと読めた。

某通販サイトで注文してから、入手するまでは案外早かったが、なかなか読了できなかった。
文庫本サイズで読みにくいということもあったが(悲しいかな、小さい字が読みにくい。老眼が入ってきたのだろう)、やはり、ページあたりのコマが多く話運びがゆっくりしているのと、説明的な書き込みが多く、スピード感を殺しているところが主な原因だろうと思う。

残念ながらプロレスにほとんど思い入れがないので、実在の名レスラーが活躍していても、さほど感動することもなく、淡々と読み進めることができた。
しかし、馬場、猪木はもちろん、「吹けよ風呼べよ嵐」ブッチャーや「スピニング・トー・ホールド」ファンクス、「スカイハイ」マスカラスなど、なじみのあるレスラーが登場し、ややリアルタイムな雰囲気が感じられた。
そういえば、キャメルのCapturedも誰かの入場テーマ曲になっていたなぁ。誰だっけ?(調べてみると前田日明だそうだ)

辻なおきの絵は、劇画以前のリアル少年マンガ風のもっちゃりした感じで、さすがに現代マンガに慣れた目で見るといささか古さは否めない。
ストーリーもなんとなくご都合主義的色彩は拭えないし、後半はやっつけ的に進行し、あれよあれよという間に交通事故で不意に亡くなって終わってしまう。
作品の大部分は試合のシーンで、半裸のマッチョたちが血みどろになってくんずほぐれつ飛び交う絵がこれでもかと続く。
鬱陶しいといえばそうとも言えなくもないが、丁寧に描かれたレスラーたちは、それはそれで見応えがある。

実在のレスラーとの試合(これは普通の試合)や虎の穴が派遣する悪役レスラーやインディーズ系?の奇天烈な覆面レスラーとの奇想天外なデスマッチ(合法的殺人といえよう)が次々と行われ、試合と試合の合間に、タイガーマスクこと伊達直人が素性を隠してちびっこハウスを慰問し、大判振る舞いをする。
ときどき、必殺技を開発するために姿をくらましたりするが、基本はその繰り返し。

さて、話題となっている寄付行為だが、タイガーは決して余ったお金を恵まれない子供たちに与えているのではない。
文字通り命を懸けて稼いだファイトマネーのほとんどを自らの生活を省みず与えているのである。
それが可能なのは、幼少のころから虎の穴で鍛えられたプロレスラーとしての技術と屈強な肉体があってのことだ。
そのような無償の善意を支えているのは、一体何だったのか。
伊達直人少年失踪のきっかけとなったのは、彼の育った「ちびっこホーム」(「ちびっこハウス」の前身)が借金のカタに他人の手に渡ってしまうことであった。
その後、彼は「虎の穴」に拾われ、レスラーとしての修行生活に入ってゆくのだが、そこでの地獄の訓練(入門者のほとんどが卒業できずに死亡してゆくという)に耐え抜いたのも、恐らく金銭至上の価値観に対する怒り、大金を稼げるようになって孤児たちの生活の場を取り戻すという執念があったからであろう。
卒業後、当初はファイトマネーの50%を「虎の穴」に送金するという契約を守っていたが、「ちびっこハウス」の危機に際しその契約を破り、その結果、次々と刺客を送られ、命を狙われることになる。
それでも、「ちびっこハウス」への援助はやめず、暴力団を撃退し、プールを作り、雛飾りを贈り、自らの試合に招待を続けた。
さらには、全国の孤児たちが幸福に暮らせる総合エンターテイメント施設?「ちびっこランド」の建設に着手する。
まさに命懸けの奉仕だ。
しかも、これらの寄付行為は、ひょんなことでハワイの親戚から莫大な遺産を相続した「キザにいちゃん」伊達直人の酔狂で行っていることになっている。
つまり、タイガーその人が経済的援助を行っていることを健太たち、ちびっこハウスの孤児たちは知らない。

う~む、善意もここまでくると、ほとんど宗教的色彩を帯びてくる。
直人の正体に気がついているルリ子さん(と若槻先生)が崇拝に似た感情を抱くのも無理のないことだ。
そもそも殉教者のようなこのような命懸けの奉仕が誰にでも出来るわけはない。
だからこそ、伊達直人を名乗る市井の善意は価値があるのだろうと思う。

タイガーが飛行機に覆面着用で搭乗していたり、「虎の穴」本部に馬場、猪木らが大挙して押しかけたり、「それはないやろ~」という突っ込みどころも満載ではある。
直人の妄想の中のビキニ姿のルリ子さんが、意外にマッチョだったり(^^;)
そういう壮大なホラ話での笑いを凌駕してあまりある感動がこの物語にはある。
伊達直人は、完全無欠のヒーローではない。
試合中にも「どうしてこんな苦しい思いをしてまで・・・」と苦悩するひとりの青年である。
そんな人間くささがこの浮世離れしたファンタジーに血肉を与えているのだろう。
案外、深い話だ。

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2010年10月12日 (火)

進撃の巨人

進撃の巨人(著:諌山創)

マンガが日本を代表する文化の一ジャンルとして認知されて久しい。
いろいろなメディアでマンガの新刊が紹介されるようになって、これまで思いもよらなかった作家の作品に興味を持つことが多くなった。
少し前の話だが、この作品は某雑誌社系週刊誌(保守オヤジ系)の書評欄で紹介されていた。
いしかわじゅんなどが評者をしているコラムなのだが、このいしかわじゅんって人は、本人の書くマンガにはあまり関心がないが、マンガを読む目は相当鋭く、評論などを読むとなるほどと思わせてくれることが多い。
そのいしかわじゅんが「面白い」と断定していたのが、この作品。

書店で何気なくマンガ棚をふらふらと見てまわり、好きな作家の作品や、表紙、背表紙が訴えてくるもので判断して買ってくるという買い方をしているとどうしても選択肢が狭くなり、ハズレも多くなる。
そういう経験を重ねた結果、やはりそれなりの人が薦める作品にはそれなりのものがある、という当たり前の結論に達して、最近は書評買いをすることが多い。
本作品も、掲載誌は「別冊少年マガジン」、単行本は「講談社コミックス」なので、普通ならノーチェックのジャンルである。

で、「面白い」と断定されたこの「進撃の巨人」であるが、確かにおもしろい。
いしかわじゅんだけでなく、結構いろいろなところで評判がよいのもうなずける。
どんな話かというと、巨人が人類を捕食するという悪夢のような世界のお話。
どこの世界か、いつの時代かもはっきりしないが、ディテールは意外と細かい。
世界に突然出現した巨人によって人類の相当数を捕食された人類は、城塞によって囲われた土地で巨人の襲撃に怯えながら暮らしている。
物語は、安全とされていたその城塞都市の壁を超大型巨人が破壊し市街地に侵入し、主人公の少年の母親が喰われてしまう、といういきなりトップスピードな展開で始まる。
主人公の一見熱血漢的少年(しかし何かしら謎めいている)と、主人公に寄り添う少女(並外れて強力)、この二人を中心に同期の新兵、先輩兵士、街の人々とのドラマと、ところどころでフラッシュバックのように現れる回想シーン、講義の形で挿入される巨人の生態、人類との戦いの歴史、コラムの形で叙述される解説などにより、多面的に物語世界を構築し、伏線盛り沢山でこれからの展開を大いに期待させる。
いしかわじゅんも指摘しているとおり、画力という点ではやや不満を残しつつも(しかし、巨人の造形はなかなか不気味でいい)、月刊誌掲載ならではの力の入った世界観の造り込みによって、荒唐無稽なストーリーに強引に引き込まれる。
若い作家であるが、読ませる技術はすばらしい。

ところで、人類を捕食する「天敵」をストーリーの中心に据えた点では、名作「寄生獣」(岩明均)を想起させる。
以前にも書いたが、「寄生獣」が「天敵」との戦いを軸に、主人公の日常世界で話を完結させ、ある意味リアリズムに徹した作風とはまるっきり異なり、「天敵」の存在する「世界」の叙述を徹底させている点で優れてファンタジーな作品と言えるであろう。
そういう意味で非常にコンテンポラリーな作風である。
別世界における物語を、細部の描写にこだわってリアリティを持たせ、物語を構築するという手法は、マンガの世界では比較的新しいものではないかと思う。
続刊が待たれる作品である。

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2010年2月 3日 (水)

「マッドメン」

先般、キング・クリムゾンの歴史的ファーストアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」のリマスター盤が発売された。
「あぁ、また同じCDを買わねばならないのか・・・」と思った人も多いのではないかと思う。
かくいうわたしもそう思いつつまだ買っていない。
よくよく考えてみると、リマスター盤が出たからと言って、同じCDを買いなおすことは滅多にないな。
(というかここしばらくCDをほとんど買っていない・・・めずらしいことだ)

実は、同じような事情が、一部のマンガ家にもあって、このブログでもしばしば触れている諸星大二郎もそんな漫画家のひとりだ。
近年、この人の評価がどんどん高くなってきているようで、数年前に自選短編集「汝、神になれ鬼になれ」「彼方より」を出したあたりから、再発が続き、今では多くの旧作が新刊で読めるようになっている。
あまつさえ、「西遊妖猿伝」も再開された。
よろこばしいことだ。

さて、表題の作品であるが、諸星作品としては、若干地味な印象ではある。
しかし、内容は初期の伝奇ものの集大成とでも言うべき濃厚な味わいである。
異文化の衝突と新たな神話の創造。
あぁ、この一言だけでも、血沸き肉踊るではないか。

先日、京都市内某大型書店にふらりと立ち寄ると、なんと、本作が大判新刊で書棚に燦然と輝いている。
しかも「完全・最終版」だと。
これは買わねばなるまい。
マンガ本に2800円の出費は、決して安くはないが、信者としては避けて通れない道である。

大雑把にストーリーを紹介すると、ニューギニアの少数民族の族長の息子コドワが先進国にやってきて繰り広げる活劇(なのか?)が前半である。
うむ、これではまるで「ジャングル黒べえ」みたいだな。
本人の手による「あとがき」でも、「ごく平凡な少年漫画」のつもりだったとのことだから、あたらずとも遠からず、か。
後半は、ニューギニアを舞台に、世界創世の神話とコドワと波子の奇想天外な冒険譚と新しい神話の創造。
あたかもニューギニアに伝わる神話を題材にしたかのようであるが、そこは作者のお得意の作り話で、読者を幻惑する。
しかも、めずらしく恋愛テイストも絡め、エンターテイメントとしても一級品の出来ばえ。
ひょっとしたら最高傑作かもしれない。

特に、ヒロインである少女、波子の可憐に健気に森を駆け抜け、タコの木の男たちに陵辱(?)されつつも、村の住人を扇動し、コドワの命を救おうと奮闘する様は心打たれるものがある。
普通の日本のお嬢さんが、数々の試練を乗り超え、森の精霊と見まがうばかりの強さと美しさを身にまとう過程は、本編のテーマのひとつである「死と再生」の物語を象徴的に表現している。
「西遊妖猿伝」の竜児女、「暗黒神話」の弟橘、「稗田礼次郎」シリーズの渚、美加、「ゼピッタの気ままな旅」のゼピッタなどなど、諸星作品に登場する数々の人間系ヒロインの中でも出色の造形である。

そんなこんなで、今回も「「完全・最終版」の帯に踊らされてまんまと買わされてしまった。
これで、「マッドメン」3冊目だ。うむむ。
ちなみに写真に見られるちくま文庫版も「完全版」だ。これは91年初版なので、もう20年近く前か。

Ts3g0140 左から、今回出版された光文社版、集英社版(06年)、ちくま文庫版(91年)

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2009年11月16日 (月)

「空の巻き貝」とか。

引き続きマンガねた。

これまたサブカル棚から見つけた作品。
逆柱いみり。う~ん、名前からしてかなりのインパクトだ。

以前、知る人ぞ知るマンガ読みの達人、はかせに推薦してもらった作家である。
せっかくだからと新品で探していたのだが、案外近くに売っていた。

「赤タイツ男」 2004年
「空の巻き貝」 2009年

わりと最近の作品である。
若い人かと思ったら、ほぼ同世代の人だ。
2作とも青林工藝舎から出ているとなれば、およそ作風は想像がつくような気がするが、しかし想像を遥かに超えるインパクトである。

こういうのは「シュール」だとか「不条理」だとかついつい「サブカル」用語で説明したくなるが、この作家に関しては、そういう「説明」はほとんど無意味である。
ただひたすら描きたい風景と光景を描き散らかしただけという印象。
青林堂関連といえば「つげ義春」がお約束の作家であり、陰影だらけの風景描写にその影響らしきものがうかがえるが、どう見ても現実の世界の風景ではない。
国籍、時代すら判然としない魔巣窟のような風景がみっちりとした描線で延々と描かれている。
また、人物の描写には80年代のヘタウマ系作家の雰囲気が漂っている。異様な表情の怪人たちはポリネシア美術風である(どことなく後期の杉浦茂を思わせる)。
こういう風景の中、妙にのっぺりとした人物(とか動物?とか)がひたすら移動していく。
あるときは逃走しながら、あるときは伸びきったタイツに引っ張られながら、あるいは巻き貝に乗って帰路を辿りつつ。

このようなマンガに日常的な語彙での「意味」などあるわけがない。
「意味」を考えてもわかりようがない。
そこにあるのは、悪夢のようであり桃源郷のようであり苦痛のようであり陶酔感のようなものである。
読後に「あぁ、どうしたらいいんだろう」という喪失感のような達成感のような奇妙な感覚を抱くことになる。

これまでそれなりの数のマンガを読んできたが、こういう感覚は滅多に得られるものではない。
何度読み返しても飽きることはない。
絵を眺めるだけで十分楽しめる。
いいものを勧めてもらったものである。

「空の巻き貝」には半透明のオビがついてあり、主人公の二人の少年のパンツが描かれているのだが、これを取ると当然ながらなかなかお茶目な絵になる。
やるなぁ。

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2009年11月15日 (日)

「芋虫」

ひさびさのマンガねた。

近年、「サブカルコミック」なるジャンルが確立したとみえて、そこそこ大きい書店にはそれ専門の棚もできている。
探す手間が省けてありがたいことである。

「サブカル」って何が「サブ」で何が「カル」なのか、その定義はよくわからないが、ま、とにかく花輪だとか丸尾だとかの作品が並んでいる様は、なんだかわくわくする。

さて、その丸尾先生であるが、先年江戸川乱歩原作の「パノラマ島綺譚」でえらい賞をとったらしい。
あの作品は、よかった。
乱歩の作品には、狂人の妄想を現実化したような空間の描写がしばしば現れる。
小説で読む場合、絢爛でグロテスクなその文章に基づき、我々は自分の脳内にそのイメージを具現化していくのであるが、さすがにイメージしきれない部分、ぼんやりとして靴の上から水虫を掻くような部分があった。
まさに「パノラマ島綺譚」などはその最たるもので、「な~んかよくわからんけどすごいなぁ」と思いながら読んだものである。
丸尾版「パノラマ島」は、その「な~んかよくわからんけどすごい」ところを見事な筆致で余すところなく描き切っていた。
さすがである。

先日、丸尾先生の乱歩シリーズ第二弾(なのか?)「芋虫」が店頭に並んでいた。
豪華ハードカバーだ。装丁にも気合が入っている。
しかし、前作とはうって変わって、知る限りの乱歩作品の中でもっとも奇怪で陰湿で土着的で「イヤ~な感じ」の作品が原作である。
「あ~、あのイヤ~な感じを丸尾絵で読まされるのかぁ~」と思うと、恐ろしくもあり、憂鬱でもあり。
でも、怖いもの見たさの期待感満々で買ってしまったよ。

で、読んでみてどうだったかというと、予想通りといえば予想通りなのだが、やっぱりこれはすごいなぁ。
そこまで描くかぁ~というところまでびっしり描きこまれた廃人と化した傷痍軍人とその妻の日常と妄想。
リアルグロテスクの極北かな。
やっぱり丸尾はすごい。

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2009年3月25日 (水)

「地獄くん」

ひさびさのマンガネタである。

またしても大田出版のQJマンガ選書シリーズだ。
どうもこのシリーズには惹かれるものがあるな。

Digokukun

さて、今回はムロタニ・ツネ象の「地獄くん」だ。
なんとも形容のしようのないタイトルだが、どうしても読みたくなる類のタイトルだな。
本書は’67年から複数の少年マンガ誌に掲載されたものを集めたものである。
60年代後半というと、水木しげるに代表される妖怪マンガが流行っていた時期になるので、本作もその流れの中で作られたものであろう。
ムロタニ・ツネ象って、なんか聞いたことのある名前だな、と思っていたら、60年代には少年マンガで活躍した人らしい。
「ピッカリビー」の作者といえば、あぁ、なんとなく知っている、という人もわたしと同世代の人には多いかと思う。
70年代以降は学習マンガの分野で作品を残しているようで、現在でも現役だそうだ。

「地獄くん」とは、表紙写真を転載してるが、この奇妙な人相の少年のことである。
作中でははっきりとは語られていないが、どうやら閻魔大王の孫らしい。
全部で6編のエピソードが語られるが、どれも悪いオトナによってひどい目に遭わされている少年少女を、どこからともなく出現した地獄くんが救うという話である。
救い方も半端じゃなく、殺された母親を生き返えらせたり、大ケガを3秒で治したり、火災現場に飛び込んで逃げ遅れた少年を耐火性のプラスティック容器に詰めて救い出したり、それはもう大活躍なのだ。
しかし、それにも増してすごいのが、悪いオトナの懲らしめ方である。
その徹底ぶりはただごとではない。
手をちぎりとってしまうなんてのは序の口で、ちぎった手を頭にくっつけてしまったり、違法ドライバーをタイヤに変えてしまったり、大地獄鳥に乗っけて地獄に送るわ、一万円札に閉じ込めてドブに流すわ、ムチで絞め殺すわ、もう、残虐の限りを尽くすのである。
少年マンガの勧善懲悪のレベルを遥かに超えている。
このような残酷な処分を下した後、「こんなオトナになってはだめだよ」みたいな作者のコメントをもって作品は締め括られているのであるが、それにしてもなぁ、ちょっとやり過ぎではないか、と。
本書の巻末の解説にも書かれているが、どうも作者はそういう道徳的な寓話を語りたいのではなく、こういう残酷な絵を描きたかっただけなのではないかと思える。
道徳を訴えるには、懲戒の手段が過剰である。

というか、作者は勧善懲悪の道徳話を描こうと意図していなかったのだろう。第五話「地獄の声」という話では、自動車事故で死亡した三太郎少年が閻魔大王に懇願して蘇生するのだが、ひとつ条件があり、蘇生してから24時間はひとことも口をきいてはならない、もし一言でも言葉を発したらそのまま再び死んでしまう、というなんともいえない条件を課せられてしまう。
三太郎君は、両親、友人からの問いかけにも応えず、ひたすら沈黙を続けるのだが、あと2時間ほどで24時間を経過して完全に生き返ることができるというのに、自分をひき殺した二人組みによるひき逃げ事故現場を再度目撃したばっかりに、濡れ衣を着せられようとしたトラック運転手をかばい、真犯人を告発するために声を挙げてしまう。
勧善懲悪話ならば、ここで約束を守って自分の命を優先することより正義を貫いた少年を閻魔大王は褒め称え、蘇生を許すところであるが、作者は三太郎君は無情にも再び冥界に帰してしまう。少年マンガにあるまじき、なんともやりきれない話である。
ちなみにこの話には地獄くんは登場しない。少年マンガで、主人公が登場しないってどうよ。あたかも「トイレット博士」のようである(違うな)。

第六話「死神工場の巻」の途中で本編は終わっている。死神工場(って何だ?)で強制労働を課せられている少年少女を救うべく単身乗り込んだ地獄くんが、悪人工場長に地下室に閉じ込められ溶けた鉛を流し込まれるという危機一髪の状況で不意に終わってしまう。
あぁ~、続きを読みたい!
どうやら、掲載誌が廃刊になったらしい。残念なことである。

併録された「スリラー小僧 恐怖のハエ男」という作品も、「えぇ~、そこまで引っ張って、そういう終わり方?」というくらい唐突に終わっている。
これは廃刊とは関係なく、恐らく作者の意図で終わっているようだが、なんとも無体なことである。

そういうストーリー展開のシュールさだけではない。
各話に挿入された見開き2ページを費やした大ゴマの絵は、まさしくシュールレアリズム絵画あるいは象徴派絵画である。
ダリかエルンストか、はたまたルドンか。
この画風は杉浦茂、徳南誠一郎などの正式に絵画教育を受けた作家の画風に通じるものがある。
例えば、一番下の「地獄時計」の絵は、溶けた時計と這い回る蟻の群れが描かれているが、これなんかそのまんまダリのモチーフだ。
こういう「彼岸の光景」を描く題材として「地獄くん」はぴったりだ。
作者もこういう絵を描きたいがためにこの作品を描いたのではないかと思わせる。
ストーリーはともかく、絵を味わうだけでも十分価値のある作品だ。

これだから、カルトマンガ漁りはやめられない。

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2008年8月10日 (日)

「バイオの黙示録」

昨年の「壁男」の映画化以降、諸星大二郎に対する注目度が再び高くなってきているような気がする。
近年は、2~3年に一度、作品集をまとめて出版し、また沈黙する、というパターンで活動しているみたいだ。

「海神記」も再発されたし、「栞と紙魚子」の新刊も出たし(なんとドラマ化までされたようだ)、そろそろ「魔障ケ岳」の続編でも出ないかな、と思っていたら、まったくの新シリーズだ。
雑誌の掲載作品はまったくチェックしていないので、特段マニアックなファンというわけでもないのだが、もっとも好きなマンガ家であることは間違いない。よた帝の歌詞に与えた影響も非常に大きい。

ふらっと立ち寄った書店で、彼の新作を発見した。
普段、出版情報などをチェックしていないので、新刊が出たことを知るのは店頭で、ってことが多い。
しかも平積み(正確には「縦並べ」なのだが)で置かれている。
さすが、世間の注目を集めている作家だ。

さて、今回の新作は、猟奇伝奇モノではなく、久々の幻想SF風連作である。
こういうアフターハルマゲドンというか別次元世界を描かせると天下一品。諸星ワールド全開の快作である(ややコミカルではあるが)。
近年のグリムもどきの寓話性の高い諸作や「栞と紙魚子」シリーズの軽いノリは、ちょっと無理があるかな、と思っていただけに(好きだけど)、本作は本来の持ち味が生かされていると思う。

ストーリーを紹介してしまうなんて野暮なことはしたくないが、「バイオ戦争後、人間の中にヒト以外の遺伝子が発現する者があらわれ始めた」というオビの惹句だけで、好きな人はそそられるであろう。

諸星の前に諸星なし諸星の後に諸星なし、と称される(って、わたしが言ってるんだけど)この作家の独特の絵柄によるキメラ的クリーチャーが満載。
とにかく人間と各種動物が融合した新生物が跋扈する世界の話である。
思えば、この作家の実質的メジャーデビュー作「生物都市」からして、金属と生物が融合するという悪夢のようなユートピアを描いた作品であった。
人間と別の何かが混ざったイメージがそうとう好きなんだろうな、この人は。
「孔子暗黒伝」の開明獣、「アダムの肋骨」のハーピー、「貞操号の遭難」のイケメン植物?・・・その種のキャラクターは枚挙に暇がない。
特に近年は、羽の生えた少女が多く登場する。
もちろん、本作にも羽の生えた少女(表紙画像参照)が登場し、奇怪でエロティックな雰囲気を振り撒いている。
そうそう。この人の場合、普通の人間の女性よりこういうキメラ的クリーチャーを描いたほうが、エロティックに見える、という不思議な作風だ。
どちらかというと、生身の人間のエロスは狂気と紙一重(よく気の触れた色情狂の女性がよく出てくる)、羽の生えた少女のエロスは純粋無垢みたいな描き方をすることが多いような気がする。
なにか現実の女性に恨みでもあるのだろうか。
聞くところによると作者の夫人はいたって普通の人らしいが・・・。

SFというには科学的裏付けに乏しく、ホラーというにはちょっととぼけた感じだし、現代のようにマンガ作品もジャンル分けがはっきりして、中途半端なリアリズムが有難がられる時代には、なんだかとらえどころのない作家に見えるかもしれない。
しかし、諸星先生の脳髄から溢れ、広がる異次元世界に一度はまってしまうと、そんな些細なリアリズムなどどうでもよくなってしまう。
彼の紡ぎ出すファンタジーの世界に浸るだけで心地よいのである。
あぁ、わたしもカツリ山の断崖やカオカオ様が見てみたい、などと思ってしまうのだ。

うむむ、もはや中毒と言って差し支えないであろう。

Morohoshi

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2008年5月31日 (土)

「天水」

一昨年からライブのステージ衣装に狩衣、奴袴、烏帽子を着用している。
俗に「胡散臭い神主」と言われているのであるが、実はもともとのコンセプトは「神主」というより、むしろ「公家」であった。
「皇帝」と名乗っているが、さすがに「みかど」は畏れ多い。

小学生のころ、夏休みの自由研究に公家の生活を取り上げるような妙な嗜好を持っていた。
「今昔物語」「宇治拾遺物語」など説話モノが好きでよく親しんだものだ。
今にして思えば、「『雅』と『奇天烈』」というよた帝のキャッチコピーの源流はこのあたりにあるのだろう。

花輪和一は、自らの獄中生活(銃刀法違反により懲役3年)を独特の濃密な描画によって描いた「刑務所の中」で著名なマンガ家である。
この作品も花輪の個性満開でヒジョーにおもしろいし、世界への呪詛に満ちた初期の猟奇的作品もなかなか刺激的であるが、やはりこの人の真骨頂は、平安時代を時代背景に描いた不条理王朝説話の世界であろう。
近代的合理主義思想、発想、行動様式とは明らかに異なる世界観、倫理観によって繰り広げられる花輪ワールドは、説話好き古典好きのわたしにとって、もうウハウハなのだ。

個人的な事情はさて措いて、この「天水」である。
花輪作品は現在入手困難なものが多く(本書もそうらしい)、未読作品も多々あるのだが、一連の王朝説話モノとしては、もっともエンターテイメント性に富み、花輪ワールドに初めて触れる人でも安心してお勧めできる。
もともとマニアックな雑誌に短編を中心に描いている作家であるが、これは講談社のアフタヌーンに連載され(1992~94年。作者の投獄によって中断)、講談社から出版されたものである。

ストーリーを簡単に紹介しよう。

平安の都、訳あって一人で暮らしている少女棗(なつめ)が、ひょんなことで河童さんと暮らすようになる。
棗のまわりで起こる奇怪な現象、襲い来るもののけを河童さんと協力して解決、退治する、というのが前半のストーリー。

こう説明すると、「ドラえもん」に代表される典型的な普通の子供と異界の者とのコラボレーションもののようである。
たしかにそういう面は強く感じられ、花輪作品としては、破格に明るい。商業誌での連載ということを強く意識したのだろうか。
しかし、登場人物の行動はやはり花輪世界の住人であり、あたかも上古の人々を見てきたかのように描く作者の世界観は健在である。
それよりもなによりもやはりあの濃密な花輪絵で描かれたもののけを見るだけで、安心する。
さらに、もののけ調伏の場面で繰り広げられる呪文と祭式の様子は、血沸き肉踊る。

後半は、棗の母を探す二人の旅を中心に展開する。
出会えば別れを繰り返し、ある時は狐に捕まり、ある時は地獄に堕ち、ある時は人助けをし、旅を続けながら、棗は試練を乗り越え心を強くしてゆく。
身を挺して棗を助け、仙術?を駆使して困難を乗り切る河童さんの姿は感動的ですらある。

この手の話は、主人公二人の絆の深まりと能力の高まりが面白さのポイントなのだが、まさしくその王道を行くストーリーだ。
その点だけでも、十分に読み応えはある。
しかし、綿密詳細な異界の情景、人間の心の一番暗いところを抉り取るような描写、因業因果の果てに辿り着いた結末。
これらは花輪ならではの世界であり、他の誰も真似のできないものであろう。
長編ならではの主人公のキャラの立ち具合もいい感じである。

一見、全編に漂う大衆性のため、マニアックなファンからの評価は低い作品かもしれないが、エッセンスだけをぶつけたような短編にはない「物語」性が本作の魅力であり、花輪流王朝説話マンガの傑作だと思う。
これは、広くお勧め。

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2008年5月18日 (日)

「20世紀少年」

ひさびさのマンガネタだ。

今さらな話だが、浦沢直樹の「20世紀少年」を読了した。
連載当初から非常におもしろいと好評だったようだが、そのころはマンガ雑誌を買う習慣を止めていたので、完結したら一気読みしようと思って見送っていた。

浦沢については、折に触れて語っているが、マンガ的な絵のうまさとストーリー運びのうまさでは、現役のマンガ家でトップクラスではないかと思っている。
くすぐりを入れたり、人情話でちょっとほろっとさせて、一気にカタスロフに持っていく展開は、「うまい」というより「ずるい」と言った方が適切か。

初期作品の「パイナップルアーミー」から現在進行中の「プルートー」に至るまで、そのパターンは同じであるが、それでも読者を手玉にとる技術はますます冴え渡っている。
以前、毎週マンガ雑誌を7~8冊濫読していた時期、この人はスピリッツで「YAWARA!」とか「HAPPY」を連載していたのだが、ゆるいラブコメ路線がイヤで、あまり評価してなかった。後に「MONSTER」でそのうまさに気がつき、今では好きな作家の一人である。

さて、「20世紀少年」であるが、もうタイトルからしてキテるなぁ。
まんまマーク・ボランやんか。

ストーリーについては、恐らくあちこちで語られ、ヒット作でもあるので、読んだことのある人も多かろうし、またこれから読もうと思っている人の妨げになってもいかんので、ごくごく簡単に説明すると、ロッカーくずれのコンビニ店長が、世界征服を企てる秘密結社?と対決し、人類を救済する話である。
もう、これだけで、荒唐無稽文化財な話だってのがよくわかるが、これでこそ現代マンガだ、と思う。
細部に日常感覚を保ちつつ、非日常の世界に投企する人間の有様を、生活臭を漂わせた人物の群像劇として描いている。
リアリズムを保持したファンタジー。
しかも、広げに広げた風呂敷を、ちきんときれいに畳んだ腕前はさすがである(やや腑に落ちないところもあるけどね)。

さらに個人的に「やられた」と思ったのは、随所に散りばめられたキーワード。
「万博」「秘密基地」「予言の書」「ボーリング」「駄菓子屋」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」・・・。
いずれも今Over 45くらいの人々にとっては、懐かしいものであろう。いや、ある種の人にとっては、「懐かしい」というより、人格形成の根幹になっているものではなかろうか。

わたしなんぞ、「万博」で提示された未来世界、テーマ「人類の進歩と調和」を子供心に深く刻み込んで、この歳まで過ごしてきたような気がする。
同時に例の「ノストラダムスの大予言」(本書では直接的には触れられていないけど)で21世紀までに人類は滅びてしまうという終末観を万博の数年後に植えつけられてしまった。
そのような価値観、世界観の揺らぎを少年期に体験した世代の物語なのだ。

学生たちが熱く革命を語り、イデオロギーが世界を変えると信じた世代と、世の中、お金がすべて、カネのチカラこそが世界を動かす、という経済至上主義的なバブルな世代のハザマにあって、価値観が揺らぎ続けた我々の世代にとって、目の前にあらわれ、ただただ「カッコイイ」と思い、信じられたものは、「ロック」だった。
そんな青臭いことを思わずにはいられなくなるような作品である。

「ロックの神様」って、いたんだろうな、と思っているアナタ、ぜったい本書を読むべきです。
これほど、「ロック」なマンガはそうそうないよ。

Ts3g0017

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2007年9月15日 (土)

「大王」

最近、マンガネタが続くなぁ。
別に暖めていたわけでもないけど、たまたまおもしろいものにあたったからかな。

Daiou

と、そういうわけで、先日の田中政志とはまた違ったタイプの作家のことなど。

黒田硫黄という作家だ。名前からしてインパクトあるなぁ。

田中政志がイタリアン・プログレだとすると、黒田硫黄はジャーマン・プログレだ。わけわからん喩えでごめん。
以前、なにかでこの人の絵が諸星大二郎の影響が感じられる、と読んだことがあり、それ以来気になっていたのだが、なかなかBOOKOFFに出回ってないらしく、ついぞ見かけることがなかった。
それが、最近、「大王」と「黒船」の2冊を入手。例の近所の古本屋だ。ここはBOOKOFFではないのだが、そのせいかかえってマイナーな本をよく見かける。
「怪談人間時計」が2冊並んでいたこともあった。日本広しと言えども、そんな古本屋なかなかないだろう。
そんなわけで、作家論を語れるほど読んでないんだけど、ちょっと感想文など。

さて、この「大王」であるが、一見して好き嫌いの分かれる絵だと思う。
とにかく描線が異常に「黒い」。きっと筆を使って描いているのだろう。
さらに画面を埋めつくすベタ塗りは、作品世界に暗い影を落としている。
それに反して、人物の表情は明るい。明るいというと語弊があるが、背景の暗黒との対比が独特の「空気」を生んでいる。
お話自体は、やや「不条理系」なのだが、人物が明るい顔をしているので、作品のトーンは決して暗くならない。
人物の輪郭を太い線で描き、細部に細かい線(けっこう雑に描いてあるが)で陰影をつける。そういうスタイルの絵が多いが、ペンの描線をのみ使った作品もあり、そのあたりは内容で使い分けているようだ。
女の子が主人公の話が多いのだが、どことなくその表情に宮崎駿の影響が感じられる。細かい描線による陰影のつけかたも、どことなく似てるなぁ。
そういえば、比較的最近、この作者の短編がスタジオ・ジブリ系の監督によってアニメ映画になったそうだ。見てないけど。

「大王」はデビュー作を含む短編集である。
これもストーリーの紹介をしても無意味な作品の目白押しだ。
例えば、「The world cup 1962」という作品は、

昭和37年、小学生の亀子は近所の悪童にいじめられていた。それをかばう彼女を慕う寺の小坊主、小林少年。
しかし、亀子は小林少年を嫌っていた。小林少年は、寺では住職から虐待を受ける身・・・。
などと説明すると、なんとなく滝田ゆうとかそんな感じの人情系、ほのぼの系のマンガかと思われるかもしれない。
しかし、その後、住職はなんらかの抗争に巻き込まれ腹部に銃弾を受ける。住職は、どういうわけか国防上の機密に関わる人物だったようで、「核戦争後の戦略システム」の鍵を小林少年に託して絶命する。
おりしも、中米カリブ海ではキューバ危機が勃発し、全世界を巻き込んだ核戦争が始まる。
「核戦争後の戦略システム」の鍵を握る小林少年は、亀子を救うべく夕餉の最中の彼女の自宅を急襲、拉致し、その鍵を開けるのであるが・・・。

てな、調子で、破天荒なストーリーというかなんというか。
他には、恋人に逃げられた女と、アパートの隣の部屋に住む象との交流(?)を描いた「象夏」だとか、地下鉄の駅からずっとつけてくる熊の話とか、蚊の恩返しの話だとか、そういう言語で説明してもよくわからない作品ばかりだ。
手塚治虫の「メトロポリス」を翻案した作品も収録されている。これも、レッド党のロボットを率いたミッチィが、廃墟と化したメトロポリスで、ケンイチ少年(浪人中)と野球をする、という素晴らしさ。
原作のクライマックス、「摩天楼での死闘」をきっちりはずした展開になっていて、作者の特性がよくあらわれているように思う。

一見、ハチャメチャな設定なのだが、どこか地に足がついたというか、登場人物の人としてのあり様がしっかり描かれていて、読み応えがある。
奇想天外なストーリーに翻弄されながらも、自分を見つめ、あるいは自分を探しながら行動し、泣き笑う登場人物たち。
かと言ってキャラクターに感情移入せずに、突っ放した視点で描き続けるスタイルにただものでない作家の力量を見る。
このあたりが冒頭に書いた、作品のトーンが暗くない所以なのだろう。

この作者の長編作品に「大日本天狗党絵詞」がある。
これも同じような作風は貫かれているが、話が長くなった分、散漫な印象は免れない。この作家のスタイルは中短編でこそ生きてくるのではないかと思う。

Tengu_2 Nasu_2 また、「茄子」という作品がある。
これは連作短編集なのだが、こちらは非常に日常的なシチュエーションで起こる出来事を淡々と描いた作品で、初期の破天荒さはないが、これはこれで味わい深い。
ただ、デビュー当初の個性的な絵柄がやや洗練されてきて、強烈なインパクトはない。内容にあわせて淡々と描いているのだろう。

あまり多作な人でないようだが、この作家も「見つけ次第購入」リストにしっかり入っている。

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