2009年11月16日 (月)

「空の巻き貝」とか。

引き続きマンガねた。

これまたサブカル棚から見つけた作品。
逆柱いみり。う~ん、名前からしてかなりのインパクトだ。

以前、知る人ぞ知るマンガ読みの達人、はかせに推薦してもらった作家である。
せっかくだからと新品で探していたのだが、案外近くに売っていた。

「赤タイツ男」 2004年
「空の巻き貝」 2009年

わりと最近の作品である。
若い人かと思ったら、ほぼ同世代の人だ。
2作とも青林工藝舎から出ているとなれば、およそ作風は想像がつくような気がするが、しかし想像を遥かに超えるインパクトである。

こういうのは「シュール」だとか「不条理」だとかついつい「サブカル」用語で説明したくなるが、この作家に関しては、そういう「説明」はほとんど無意味である。
ただひたすら描きたい風景と光景を描き散らかしただけという印象。
青林堂関連といえば「つげ義春」がお約束の作家であり、陰影だらけの風景描写にその影響らしきものがうかがえるが、どう見ても現実の世界の風景ではない。
国籍、時代すら判然としない魔巣窟のような風景がみっちりとした描線で延々と描かれている。
また、人物の描写には80年代のヘタウマ系作家の雰囲気が漂っている。異様な表情の怪人たちはポリネシア美術風である(どことなく後期の杉浦茂を思わせる)。
こういう風景の中、妙にのっぺりとした人物(とか動物?とか)がひたすら移動していく。
あるときは逃走しながら、あるときは伸びきったタイツに引っ張られながら、あるいは巻き貝に乗って帰路を辿りつつ。

このようなマンガに日常的な語彙での「意味」などあるわけがない。
「意味」を考えてもわかりようがない。
そこにあるのは、悪夢のようであり桃源郷のようであり苦痛のようであり陶酔感のようなものである。
読後に「あぁ、どうしたらいいんだろう」という喪失感のような達成感のような奇妙な感覚を抱くことになる。

これまでそれなりの数のマンガを読んできたが、こういう感覚は滅多に得られるものではない。
何度読み返しても飽きることはない。
絵を眺めるだけで十分楽しめる。
いいものを勧めてもらったものである。

「空の巻き貝」には半透明のオビがついてあり、主人公の二人の少年のパンツが描かれているのだが、これを取ると当然ながらなかなかお茶目な絵になる。
やるなぁ。

Ts3g0129

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2009年11月15日 (日)

「芋虫」

ひさびさのマンガねた。

近年、「サブカルコミック」なるジャンルが確立したとみえて、そこそこ大きい書店にはそれ専門の棚もできている。
探す手間が省けてありがたいことである。

「サブカル」って何が「サブ」で何が「カル」なのか、その定義はよくわからないが、ま、とにかく花輪だとか丸尾だとかの作品が並んでいる様は、なんだかわくわくする。

さて、その丸尾先生であるが、先年江戸川乱歩原作の「パノラマ島綺譚」でえらい賞をとったらしい。
あの作品は、よかった。
乱歩の作品には、狂人の妄想を現実化したような空間の描写がしばしば現れる。
小説で読む場合、絢爛でグロテスクなその文章に基づき、我々は自分の脳内にそのイメージを具現化していくのであるが、さすがにイメージしきれない部分、ぼんやりとして靴の上から水虫を掻くような部分があった。
まさに「パノラマ島綺譚」などはその最たるもので、「な~んかよくわからんけどすごいなぁ」と思いながら読んだものである。
丸尾版「パノラマ島」は、その「な~んかよくわからんけどすごい」ところを見事な筆致で余すところなく描き切っていた。
さすがである。

先日、丸尾先生の乱歩シリーズ第二弾(なのか?)「芋虫」が店頭に並んでいた。
豪華ハードカバーだ。装丁にも気合が入っている。
しかし、前作とはうって変わって、知る限りの乱歩作品の中でもっとも奇怪で陰湿で土着的で「イヤ~な感じ」の作品が原作である。
「あ~、あのイヤ~な感じを丸尾絵で読まされるのかぁ~」と思うと、恐ろしくもあり、憂鬱でもあり。
でも、怖いもの見たさの期待感満々で買ってしまったよ。

で、読んでみてどうだったかというと、予想通りといえば予想通りなのだが、やっぱりこれはすごいなぁ。
そこまで描くかぁ~というところまでびっしり描きこまれた廃人と化した傷痍軍人とその妻の日常と妄想。
リアルグロテスクの極北かな。
やっぱり丸尾はすごい。

Ts3g0131

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2009年3月25日 (水)

「地獄くん」

ひさびさのマンガネタである。

またしても大田出版のQJマンガ選書シリーズだ。
どうもこのシリーズには惹かれるものがあるな。

Digokukun

さて、今回はムロタニ・ツネ象の「地獄くん」だ。
なんとも形容のしようのないタイトルだが、どうしても読みたくなる類のタイトルだな。
本書は’67年から複数の少年マンガ誌に掲載されたものを集めたものである。
60年代後半というと、水木しげるに代表される妖怪マンガが流行っていた時期になるので、本作もその流れの中で作られたものであろう。
ムロタニ・ツネ象って、なんか聞いたことのある名前だな、と思っていたら、60年代には少年マンガで活躍した人らしい。
「ピッカリビー」の作者といえば、あぁ、なんとなく知っている、という人もわたしと同世代の人には多いかと思う。
70年代以降は学習マンガの分野で作品を残しているようで、現在でも現役だそうだ。

「地獄くん」とは、表紙写真を転載してるが、この奇妙な人相の少年のことである。
作中でははっきりとは語られていないが、どうやら閻魔大王の孫らしい。
全部で6編のエピソードが語られるが、どれも悪いオトナによってひどい目に遭わされている少年少女を、どこからともなく出現した地獄くんが救うという話である。
救い方も半端じゃなく、殺された母親を生き返えらせたり、大ケガを3秒で治したり、火災現場に飛び込んで逃げ遅れた少年を耐火性のプラスティック容器に詰めて救い出したり、それはもう大活躍なのだ。
しかし、それにも増してすごいのが、悪いオトナの懲らしめ方である。
その徹底ぶりはただごとではない。
手をちぎりとってしまうなんてのは序の口で、ちぎった手を頭にくっつけてしまったり、違法ドライバーをタイヤに変えてしまったり、大地獄鳥に乗っけて地獄に送るわ、一万円札に閉じ込めてドブに流すわ、ムチで絞め殺すわ、もう、残虐の限りを尽くすのである。
少年マンガの勧善懲悪のレベルを遥かに超えている。
このような残酷な処分を下した後、「こんなオトナになってはだめだよ」みたいな作者のコメントをもって作品は締め括られているのであるが、それにしてもなぁ、ちょっとやり過ぎではないか、と。
本書の巻末の解説にも書かれているが、どうも作者はそういう道徳的な寓話を語りたいのではなく、こういう残酷な絵を描きたかっただけなのではないかと思える。
道徳を訴えるには、懲戒の手段が過剰である。

というか、作者は勧善懲悪の道徳話を描こうと意図していなかったのだろう。第五話「地獄の声」という話では、自動車事故で死亡した三太郎少年が閻魔大王に懇願して蘇生するのだが、ひとつ条件があり、蘇生してから24時間はひとことも口をきいてはならない、もし一言でも言葉を発したらそのまま再び死んでしまう、というなんともいえない条件を課せられてしまう。
三太郎君は、両親、友人からの問いかけにも応えず、ひたすら沈黙を続けるのだが、あと2時間ほどで24時間を経過して完全に生き返ることができるというのに、自分をひき殺した二人組みによるひき逃げ事故現場を再度目撃したばっかりに、濡れ衣を着せられようとしたトラック運転手をかばい、真犯人を告発するために声を挙げてしまう。
勧善懲悪話ならば、ここで約束を守って自分の命を優先することより正義を貫いた少年を閻魔大王は褒め称え、蘇生を許すところであるが、作者は三太郎君は無情にも再び冥界に帰してしまう。少年マンガにあるまじき、なんともやりきれない話である。
ちなみにこの話には地獄くんは登場しない。少年マンガで、主人公が登場しないってどうよ。あたかも「トイレット博士」のようである(違うな)。

第六話「死神工場の巻」の途中で本編は終わっている。死神工場(って何だ?)で強制労働を課せられている少年少女を救うべく単身乗り込んだ地獄くんが、悪人工場長に地下室に閉じ込められ溶けた鉛を流し込まれるという危機一髪の状況で不意に終わってしまう。
あぁ~、続きを読みたい!
どうやら、掲載誌が廃刊になったらしい。残念なことである。

併録された「スリラー小僧 恐怖のハエ男」という作品も、「えぇ~、そこまで引っ張って、そういう終わり方?」というくらい唐突に終わっている。
これは廃刊とは関係なく、恐らく作者の意図で終わっているようだが、なんとも無体なことである。

そういうストーリー展開のシュールさだけではない。
各話に挿入された見開き2ページを費やした大ゴマの絵は、まさしくシュールレアリズム絵画あるいは象徴派絵画である。
ダリかエルンストか、はたまたルドンか。
この画風は杉浦茂、徳南誠一郎などの正式に絵画教育を受けた作家の画風に通じるものがある。
例えば、一番下の「地獄時計」の絵は、溶けた時計と這い回る蟻の群れが描かれているが、これなんかそのまんまダリのモチーフだ。
こういう「彼岸の光景」を描く題材として「地獄くん」はぴったりだ。
作者もこういう絵を描きたいがためにこの作品を描いたのではないかと思わせる。
ストーリーはともかく、絵を味わうだけでも十分価値のある作品だ。

これだから、カルトマンガ漁りはやめられない。

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2008年8月10日 (日)

「バイオの黙示録」

昨年の「壁男」の映画化以降、諸星大二郎に対する注目度が再び高くなってきているような気がする。
近年は、2~3年に一度、作品集をまとめて出版し、また沈黙する、というパターンで活動しているみたいだ。

「海神記」も再発されたし、「栞と紙魚子」の新刊も出たし(なんとドラマ化までされたようだ)、そろそろ「魔障ケ岳」の続編でも出ないかな、と思っていたら、まったくの新シリーズだ。
雑誌の掲載作品はまったくチェックしていないので、特段マニアックなファンというわけでもないのだが、もっとも好きなマンガ家であることは間違いない。よた帝の歌詞に与えた影響も非常に大きい。

ふらっと立ち寄った書店で、彼の新作を発見した。
普段、出版情報などをチェックしていないので、新刊が出たことを知るのは店頭で、ってことが多い。
しかも平積み(正確には「縦並べ」なのだが)で置かれている。
さすが、世間の注目を集めている作家だ。

さて、今回の新作は、猟奇伝奇モノではなく、久々の幻想SF風連作である。
こういうアフターハルマゲドンというか別次元世界を描かせると天下一品。諸星ワールド全開の快作である(ややコミカルではあるが)。
近年のグリムもどきの寓話性の高い諸作や「栞と紙魚子」シリーズの軽いノリは、ちょっと無理があるかな、と思っていただけに(好きだけど)、本作は本来の持ち味が生かされていると思う。

ストーリーを紹介してしまうなんて野暮なことはしたくないが、「バイオ戦争後、人間の中にヒト以外の遺伝子が発現する者があらわれ始めた」というオビの惹句だけで、好きな人はそそられるであろう。

諸星の前に諸星なし諸星の後に諸星なし、と称される(って、わたしが言ってるんだけど)この作家の独特の絵柄によるキメラ的クリーチャーが満載。
とにかく人間と各種動物が融合した新生物が跋扈する世界の話である。
思えば、この作家の実質的メジャーデビュー作「生物都市」からして、金属と生物が融合するという悪夢のようなユートピアを描いた作品であった。
人間と別の何かが混ざったイメージがそうとう好きなんだろうな、この人は。
「孔子暗黒伝」の開明獣、「アダムの肋骨」のハーピー、「貞操号の遭難」のイケメン植物?・・・その種のキャラクターは枚挙に暇がない。
特に近年は、羽の生えた少女が多く登場する。
もちろん、本作にも羽の生えた少女(表紙画像参照)が登場し、奇怪でエロティックな雰囲気を振り撒いている。
そうそう。この人の場合、普通の人間の女性よりこういうキメラ的クリーチャーを描いたほうが、エロティックに見える、という不思議な作風だ。
どちらかというと、生身の人間のエロスは狂気と紙一重(よく気の触れた色情狂の女性がよく出てくる)、羽の生えた少女のエロスは純粋無垢みたいな描き方をすることが多いような気がする。
なにか現実の女性に恨みでもあるのだろうか。
聞くところによると作者の夫人はいたって普通の人らしいが・・・。

SFというには科学的裏付けに乏しく、ホラーというにはちょっととぼけた感じだし、現代のようにマンガ作品もジャンル分けがはっきりして、中途半端なリアリズムが有難がられる時代には、なんだかとらえどころのない作家に見えるかもしれない。
しかし、諸星先生の脳髄から溢れ、広がる異次元世界に一度はまってしまうと、そんな些細なリアリズムなどどうでもよくなってしまう。
彼の紡ぎ出すファンタジーの世界に浸るだけで心地よいのである。
あぁ、わたしもカツリ山の断崖やカオカオ様が見てみたい、などと思ってしまうのだ。

うむむ、もはや中毒と言って差し支えないであろう。

Morohoshi

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2008年5月31日 (土)

「天水」

一昨年からライブのステージ衣装に狩衣、奴袴、烏帽子を着用している。
俗に「胡散臭い神主」と言われているのであるが、実はもともとのコンセプトは「神主」というより、むしろ「公家」であった。
「皇帝」と名乗っているが、さすがに「みかど」は畏れ多い。

小学生のころ、夏休みの自由研究に公家の生活を取り上げるような妙な嗜好を持っていた。
「今昔物語」「宇治拾遺物語」など説話モノが好きでよく親しんだものだ。
今にして思えば、「『雅』と『奇天烈』」というよた帝のキャッチコピーの源流はこのあたりにあるのだろう。

花輪和一は、自らの獄中生活(銃刀法違反により懲役3年)を独特の濃密な描画によって描いた「刑務所の中」で著名なマンガ家である。
この作品も花輪の個性満開でヒジョーにおもしろいし、世界への呪詛に満ちた初期の猟奇的作品もなかなか刺激的であるが、やはりこの人の真骨頂は、平安時代を時代背景に描いた不条理王朝説話の世界であろう。
近代的合理主義思想、発想、行動様式とは明らかに異なる世界観、倫理観によって繰り広げられる花輪ワールドは、説話好き古典好きのわたしにとって、もうウハウハなのだ。

個人的な事情はさて措いて、この「天水」である。
花輪作品は現在入手困難なものが多く(本書もそうらしい)、未読作品も多々あるのだが、一連の王朝説話モノとしては、もっともエンターテイメント性に富み、花輪ワールドに初めて触れる人でも安心してお勧めできる。
もともとマニアックな雑誌に短編を中心に描いている作家であるが、これは講談社のアフタヌーンに連載され(1992~94年。作者の投獄によって中断)、講談社から出版されたものである。

ストーリーを簡単に紹介しよう。

平安の都、訳あって一人で暮らしている少女棗(なつめ)が、ひょんなことで河童さんと暮らすようになる。
棗のまわりで起こる奇怪な現象、襲い来るもののけを河童さんと協力して解決、退治する、というのが前半のストーリー。

こう説明すると、「ドラえもん」に代表される典型的な普通の子供と異界の者とのコラボレーションもののようである。
たしかにそういう面は強く感じられ、花輪作品としては、破格に明るい。商業誌での連載ということを強く意識したのだろうか。
しかし、登場人物の行動はやはり花輪世界の住人であり、あたかも上古の人々を見てきたかのように描く作者の世界観は健在である。
それよりもなによりもやはりあの濃密な花輪絵で描かれたもののけを見るだけで、安心する。
さらに、もののけ調伏の場面で繰り広げられる呪文と祭式の様子は、血沸き肉踊る。

後半は、棗の母を探す二人の旅を中心に展開する。
出会えば別れを繰り返し、ある時は狐に捕まり、ある時は地獄に堕ち、ある時は人助けをし、旅を続けながら、棗は試練を乗り越え心を強くしてゆく。
身を挺して棗を助け、仙術?を駆使して困難を乗り切る河童さんの姿は感動的ですらある。

この手の話は、主人公二人の絆の深まりと能力の高まりが面白さのポイントなのだが、まさしくその王道を行くストーリーだ。
その点だけでも、十分に読み応えはある。
しかし、綿密詳細な異界の情景、人間の心の一番暗いところを抉り取るような描写、因業因果の果てに辿り着いた結末。
これらは花輪ならではの世界であり、他の誰も真似のできないものであろう。
長編ならではの主人公のキャラの立ち具合もいい感じである。

一見、全編に漂う大衆性のため、マニアックなファンからの評価は低い作品かもしれないが、エッセンスだけをぶつけたような短編にはない「物語」性が本作の魅力であり、花輪流王朝説話マンガの傑作だと思う。
これは、広くお勧め。

Tensui_2

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2008年5月18日 (日)

「20世紀少年」

ひさびさのマンガネタだ。

今さらな話だが、浦沢直樹の「20世紀少年」を読了した。
連載当初から非常におもしろいと好評だったようだが、そのころはマンガ雑誌を買う習慣を止めていたので、完結したら一気読みしようと思って見送っていた。

浦沢については、折に触れて語っているが、マンガ的な絵のうまさとストーリー運びのうまさでは、現役のマンガ家でトップクラスではないかと思っている。
くすぐりを入れたり、人情話でちょっとほろっとさせて、一気にカタスロフに持っていく展開は、「うまい」というより「ずるい」と言った方が適切か。

初期作品の「パイナップルアーミー」から現在進行中の「プルートー」に至るまで、そのパターンは同じであるが、それでも読者を手玉にとる技術はますます冴え渡っている。
以前、毎週マンガ雑誌を7~8冊濫読していた時期、この人はスピリッツで「YAWARA!」とか「HAPPY」を連載していたのだが、ゆるいラブコメ路線がイヤで、あまり評価してなかった。後に「MONSTER」でそのうまさに気がつき、今では好きな作家の一人である。

さて、「20世紀少年」であるが、もうタイトルからしてキテるなぁ。
まんまマーク・ボランやんか。

ストーリーについては、恐らくあちこちで語られ、ヒット作でもあるので、読んだことのある人も多かろうし、またこれから読もうと思っている人の妨げになってもいかんので、ごくごく簡単に説明すると、ロッカーくずれのコンビニ店長が、世界征服を企てる秘密結社?と対決し、人類を救済する話である。
もう、これだけで、荒唐無稽文化財な話だってのがよくわかるが、これでこそ現代マンガだ、と思う。
細部に日常感覚を保ちつつ、非日常の世界に投企する人間の有様を、生活臭を漂わせた人物の群像劇として描いている。
リアリズムを保持したファンタジー。
しかも、広げに広げた風呂敷を、ちきんときれいに畳んだ腕前はさすがである(やや腑に落ちないところもあるけどね)。

さらに個人的に「やられた」と思ったのは、随所に散りばめられたキーワード。
「万博」「秘密基地」「予言の書」「ボーリング」「駄菓子屋」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」・・・。
いずれも今Over 45くらいの人々にとっては、懐かしいものであろう。いや、ある種の人にとっては、「懐かしい」というより、人格形成の根幹になっているものではなかろうか。

わたしなんぞ、「万博」で提示された未来世界、テーマ「人類の進歩と調和」を子供心に深く刻み込んで、この歳まで過ごしてきたような気がする。
同時に例の「ノストラダムスの大予言」(本書では直接的には触れられていないけど)で21世紀までに人類は滅びてしまうという終末観を万博の数年後に植えつけられてしまった。
そのような価値観、世界観の揺らぎを少年期に体験した世代の物語なのだ。

学生たちが熱く革命を語り、イデオロギーが世界を変えると信じた世代と、世の中、お金がすべて、カネのチカラこそが世界を動かす、という経済至上主義的なバブルな世代のハザマにあって、価値観が揺らぎ続けた我々の世代にとって、目の前にあらわれ、ただただ「カッコイイ」と思い、信じられたものは、「ロック」だった。
そんな青臭いことを思わずにはいられなくなるような作品である。

「ロックの神様」って、いたんだろうな、と思っているアナタ、ぜったい本書を読むべきです。
これほど、「ロック」なマンガはそうそうないよ。

Ts3g0017

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2007年9月15日 (土)

「大王」

最近、マンガネタが続くなぁ。
別に暖めていたわけでもないけど、たまたまおもしろいものにあたったからかな。

Daiou

と、そういうわけで、先日の田中政志とはまた違ったタイプの作家のことなど。

黒田硫黄という作家だ。名前からしてインパクトあるなぁ。

田中政志がイタリアン・プログレだとすると、黒田硫黄はジャーマン・プログレだ。わけわからん喩えでごめん。
以前、なにかでこの人の絵が諸星大二郎の影響が感じられる、と読んだことがあり、それ以来気になっていたのだが、なかなかBOOKOFFに出回ってないらしく、ついぞ見かけることがなかった。
それが、最近、「大王」と「黒船」の2冊を入手。例の近所の古本屋だ。ここはBOOKOFFではないのだが、そのせいかかえってマイナーな本をよく見かける。
「怪談人間時計」が2冊並んでいたこともあった。日本広しと言えども、そんな古本屋なかなかないだろう。
そんなわけで、作家論を語れるほど読んでないんだけど、ちょっと感想文など。

さて、この「大王」であるが、一見して好き嫌いの分かれる絵だと思う。
とにかく描線が異常に「黒い」。きっと筆を使って描いているのだろう。
さらに画面を埋めつくすベタ塗りは、作品世界に暗い影を落としている。
それに反して、人物の表情は明るい。明るいというと語弊があるが、背景の暗黒との対比が独特の「空気」を生んでいる。
お話自体は、やや「不条理系」なのだが、人物が明るい顔をしているので、作品のトーンは決して暗くならない。
人物の輪郭を太い線で描き、細部に細かい線(けっこう雑に描いてあるが)で陰影をつける。そういうスタイルの絵が多いが、ペンの描線をのみ使った作品もあり、そのあたりは内容で使い分けているようだ。
女の子が主人公の話が多いのだが、どことなくその表情に宮崎駿の影響が感じられる。細かい描線による陰影のつけかたも、どことなく似てるなぁ。
そういえば、比較的最近、この作者の短編がスタジオ・ジブリ系の監督によってアニメ映画になったそうだ。見てないけど。

「大王」はデビュー作を含む短編集である。
これもストーリーの紹介をしても無意味な作品の目白押しだ。
例えば、「The world cup 1962」という作品は、

昭和37年、小学生の亀子は近所の悪童にいじめられていた。それをかばう彼女を慕う寺の小坊主、小林少年。
しかし、亀子は小林少年を嫌っていた。小林少年は、寺では住職から虐待を受ける身・・・。
などと説明すると、なんとなく滝田ゆうとかそんな感じの人情系、ほのぼの系のマンガかと思われるかもしれない。
しかし、その後、住職はなんらかの抗争に巻き込まれ腹部に銃弾を受ける。住職は、どういうわけか国防上の機密に関わる人物だったようで、「核戦争後の戦略システム」の鍵を小林少年に託して絶命する。
おりしも、中米カリブ海ではキューバ危機が勃発し、全世界を巻き込んだ核戦争が始まる。
「核戦争後の戦略システム」の鍵を握る小林少年は、亀子を救うべく夕餉の最中の彼女の自宅を急襲、拉致し、その鍵を開けるのであるが・・・。

てな、調子で、破天荒なストーリーというかなんというか。
他には、恋人に逃げられた女と、アパートの隣の部屋に住む象との交流(?)を描いた「象夏」だとか、地下鉄の駅からずっとつけてくる熊の話とか、蚊の恩返しの話だとか、そういう言語で説明してもよくわからない作品ばかりだ。
手塚治虫の「メトロポリス」を翻案した作品も収録されている。これも、レッド党のロボットを率いたミッチィが、廃墟と化したメトロポリスで、ケンイチ少年(浪人中)と野球をする、という素晴らしさ。
原作のクライマックス、「摩天楼での死闘」をきっちりはずした展開になっていて、作者の特性がよくあらわれているように思う。

一見、ハチャメチャな設定なのだが、どこか地に足がついたというか、登場人物の人としてのあり様がしっかり描かれていて、読み応えがある。
奇想天外なストーリーに翻弄されながらも、自分を見つめ、あるいは自分を探しながら行動し、泣き笑う登場人物たち。
かと言ってキャラクターに感情移入せずに、突っ放した視点で描き続けるスタイルにただものでない作家の力量を見る。
このあたりが冒頭に書いた、作品のトーンが暗くない所以なのだろう。

この作者の長編作品に「大日本天狗党絵詞」がある。
これも同じような作風は貫かれているが、話が長くなった分、散漫な印象は免れない。この作家のスタイルは中短編でこそ生きてくるのではないかと思う。

Tengu_2 Nasu_2 また、「茄子」という作品がある。
これは連作短編集なのだが、こちらは非常に日常的なシチュエーションで起こる出来事を淡々と描いた作品で、初期の破天荒さはないが、これはこれで味わい深い。
ただ、デビュー当初の個性的な絵柄がやや洗練されてきて、強烈なインパクトはない。内容にあわせて淡々と描いているのだろう。

あまり多作な人でないようだが、この作家も「見つけ次第購入」リストにしっかり入っている。

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2007年9月12日 (水)

「ゴン」

Gon_2 マンガというものは、つくづく絵が勝負だと思う。
当たり前といえば当たり前なのだが、内容とかかわりなく単に絵が好きだからという理由だけで、ついつい買ってしまう作家も少数ながら存在する。

古本屋で、105円棚を漁るとき、まず背表紙とタイトルに目がいく。
そこでピンと来るモノがない本は手に取ることがない。知ってる作家の本は別だけどね。
ピンと来て、ぱらぱらとページをめくり、買って帰って中身をじっくりと読んで、「嗚呼、また無駄金を遣ってしまった」と途方に暮れることは、ほぼ日常茶飯事である。
つまり、「ピンと来る」なんて感覚もいい加減だってことだ。
そんなわけでどーしょーもないマンガが書棚に増えてゆく。困ったモノだ。

そういう経験を積み重ねて、だいぶん学習した。
もうくだらないマンガは買わないぞ、と決意してBOOKOFFの門をくぐるのだ。
それでも、帰りには黄色い袋に入ったどーしょーもないマンガの数々・・・。
ちっとも学習してないやん。

かかる臍を噛むような辛苦を経て(えらく大仰だな)、最近は特定作家のみ探すようになった。
そういう作家の一人が、今回紹介する田中政志である。圭一じゃないよ。

この人の作品の特徴は、とにかく緻密に描き込まれた「絵」である。
恐らく1ページあたりの描線の数では、ダントツに日本一ではなかろうか、と思わせる描き込みである。
スクリーントーンやマンガの用語でいう「ベタ塗り」をほとんど使用せず、これだけの陰影と奥行きのある絵を描く人は、いまだ見たことがない。

この人の作品で有名なのが「ゴン」である。
恐竜(の子供)とおぼしき生物が、世界中の自然の中で、そこにいる動物たちと繰り広げる活劇を描いた作品だ。
出版時には結構話題になったし、古本屋でよく見かけるので、当時はそこそこ売れたのだろうし、見たことのある人も多いと思う。
自然界の動物が登場人物(登場動物?)なのだが、笑いあり感動ありのオトナでも子供でも楽しめる良質のエンターテイメント作品だ。
しかし、この作品は、いっさい言葉が書かれていない。すなわち映画でいうところの「サイレント」である。
従ってすべての出来事が無音の世界で繰り広げられるのだが、実は読んでいると脳内ではきちんと音が聞こえてくる。
それはすなわち「絵」の持つ力によるものだ。
その「絵」は、一見緻密であり写実的であるのだが、実は非常にマンガ的なディフォルメがされている。
青筋を立てたリスとか途方に暮れるライオンとか、その表情はマンガ的に豊かだ。
世界各国で出版され高い評価を受けたということだが、それも納得のいく話である。

・・・などと書くと、あまり刺激的でない絵本作家みたいなマンガ家と思われそうだが、そうでもない。

Upo_3 例えば「U.P.O.(未確認プリンス物体)」。
登場人物は人間であり、最低限のセリフや擬音もあるのだが、相変わらず「絵」の力は爆発的な作品である。
ストーリーの説明は、あまり意味がない。
第二次世界大戦のドイツ?から中世ヨーロッパまでメッサーシュミットでぶっ飛ぶ展開に説明など不要だ。
とにかく圧倒的な「絵」の力を味わうだけで、十分楽しめる作品だ。


また「ミス・マーベルの素敵な商売」。
世界史の様々な場面で出没するマーベル商会のセールスレディが、瀕死の戦士に、夕陽のガンマンに、複葉機の操縦士に、武器と勇気を与える話なのだが、その与え方が非常にエロティック(というかはっきり言ってスケベだ)。
いずれも、どうしたらこんな話をこんな絵で描けるの?という作品だ。
ある種の「過剰さ」が芸術の域まで達している作家である。

今後も、この作家の作品は105円棚で見つけ次第ゲットしようと思う。

Mismarbel_3   

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2007年9月11日 (火)

田中圭一マガジン Comicサイテー

ひさびさにマンガネタです。

わたしの周りのごく一部で、そのサイテーさ加減で圧倒的支持を受けている田中圭一というマンガ家の(おそらく)最新作品集だ。
近所の古本屋でひときわ目を引く背表紙。
これは逡巡する余地もなく買わざるをえない。

で、内容はというと、サイテーマンガ満載で、決して期待を裏切らない。
地球征服を企むボンノー星人と局部を露出した人体強化スーツで戦う「ハンラ・ウーマン」だとか
傭兵部隊の隊長が退役後、小学校に入学し、級友や先生と繰り広げる破天荒な日常を描いた「ブラディ・キッド」だとか
歩美ちゃんが拾ってきた子猫(なのだが広島のヤクザさんが子猫の着ぐるみをかぶっているようにしか見えない)と家族の交流を描いた「子猫のミィちゃん」だとか
もう、こうして書いているだけでも悲しくなってくるようなサイテーさ加減である。
こういう話が例によって端正な手塚絵や豪快な本宮絵で繰り広げられる。

・・・こういうのをおもしろがっていて人間としてよいのだろうか、としみじみ思いつつ秋の夜長は更けゆくのであった。

Saite_2

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2006年10月19日 (木)

「かっこいいスキヤキ」

という訳で、先日言及した「わがマンガ読み人生」に多大な衝撃を与え、いまだに個人的にはギャグマンガランキングのトップを独走し続けている、泉昌之の「かっこいいスキヤキ」である。

Groovysukiyaki こんなところで、拙い感想文なんか世間に公開するのは畏れ多いし、本書を未読の人が、この駄文を読んだために不要な予断を持ってしまったらダメじゃん、と思うところではあるが、前回記事を書いた勢いで、無謀にも、この稀代の傑作を語ってみよう。
ちなみに泉昌之というのは、作画担当の泉晴紀と原作?担当の久住昌之の二人のペンネームだそうだ。

本書は83年に初版発行されており、わたしの持っているのは85年第五版なので、結構たくさん印刷されたようである。本書は、確か85年の夏ごろ(まだ大学生だった)、京都は北大路にある某書店で、その奇妙なタイトルに惹かれて、何気なく手にしたものである。当時は、立ち読み防止の包装などという無粋なものはなかったので、気軽に立ち読みできたものだ。冒頭の「夜行」という作品をパラパラと読んでみると、ぐいぐいと話に引き込まれていく。息を凝らして、震える指を抑えてページをめくる(大げさだな)。そして、一度でもこの作品を読んだ人なら絶対に忘れることのできない(と思う)、あのオチを目にしたとき、本屋の中であるにもかかわらず、爆笑してしまった。もう、間髪を入れず、レジに走ったものである。今と違い、貧乏学生にしてみれば、850円といえば、そこそこの大金である(かなりゴージャスな晩ごはん代相当だね)。それでも、惜しいとか全然思わなかった。

内容を語らずに、わたしの個人的な感動をいくら述べても、説得力もなにもないので、本書の内容について、簡単に説明しておく。
恐らく泉昌之のデビュー短編集だと思うのだが、81~83年に「ガロ」「宝島」などの雑誌に掲載された作品を14編収めている。う~ん、当時の「ガロ」「宝島」といったら、いわゆる「サブカル」系の総本山みたいなところだったと記憶しているが、まあ、そういう若干アングラな媒体で発表されたものである。
まず、オープニングの「ガチョーン」があり、おもむろに「夜行」が始まる。
劇画調ともアメコミ調ともイラスト風とも見える独特の重苦しい絵柄で、夜行列車で旅をするトレンチコートにソフト帽のハードボイルド風の男が描かれる。彼は、これから駅弁(400円)を食べようとしている。話は、男の弁当を食べながらの独白で進んでゆく。彼は、とにかく自己の美学に則って弁当を食べることに集中している。しかし、食べ進めるうちに、予想外の事態により、それまでの至福の弁当タイムが窮地に陥る。そして一発逆転を狙った最後の砦に手をかけたとき、最後のどんでん返しが訪れ、破滅的なエンディングを迎えるのである。
あぁ~、全然説明になってないなぁ~。自らの文章力のなさを呪うばかりである。もう、とにかく読んでみてください。読まなきゃわからないから。一時期、文庫版も出ていたし、そっちはBOOKOFFでもよく見かけるので、比較的入手しやすいと思う。
「夜行」以外には、同様の趣向であるが、鍋を囲む「せめぎあい」の要素を付加し、さらに緊迫感あふれる人間ドラマに昇華した「最後の晩餐」、円谷プロに抗議されたとの噂もある一連の「ウルトラマン」もの、奴隷制度の悲劇を描いた感動編「ARM JOE」、生理欲求と戦う男の惨劇を描いた「ロボット」など、一編一編が、独自のギャグ様式を確立している傑作群てんこ盛り(とまで言ったら言い過ぎか)である。

今でこそ、劇画調の絵柄でギャグマンガを描く人もめずらしくないが、その嚆矢となるのが、この作品であろうと思われる。また、当事者以外には理解不能な日常の瑣末なことに徹底的にこだわることのおかしさ面白さを、執拗に描写する作風も、当時としては非常に斬新であったと思う。
これ以前は、ギャグマンガといえば、日常の中に非日常が侵入してくることにより発生する摩擦、歪み、軋轢が笑いを誘うという感じだが(わかりやすい例だと「天才バカボン」とか「まことちゃん」とか70年代のギャグマンガの傑作はそういう構図になっていると思う)、それに対して、本作は日常からスタートして、こだわりにこだわりを重ねていったら、終着点は日常とかけ離れた地平にまで到達してしまいました、みたいなおかしさを描いている。当時としては、非常に新しいセンスではなかったろうか。その点で、あの妙にリアルな絵柄は、必要不可欠な画法であったと理解できる。

その後、「プロレスの鬼」「感情的」「真剣なサル」(泉晴紀名義)などの作品を読んだが、どうも笑いのパターンが類型化してしまい、本書ほどのインパクトは得られなかった。残念である。「ダンドリ君」で、ややメジャーになったりしたが、これは本書で提示した新しい方法論をソフィストケイトして、再生産したかのような印象を受け、それ以降、この人の作品は読まなくなってしまった。

なお、この「夜行」は、テレビで映像化されたこともあったようだが(ビデオに録ったのだが)、なんとなく見ることができなかった。たとえ実写で映像化しても、最初に本屋で立ち読みしたときの衝撃は得られないだろうし、通常、テレビでの映像化が原作を超えることはないと思ったからである。

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