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2011年10月 7日 (金)

【温故知故】Klaatu

先日の記事で「ニュートリノ」について言及した。
「ニュー」だからといって「新しい」という意味ではない。
「トリノ」だからといって北イタリアの都市ではない。
「トリノ・オリンピック」だからといって、ツバメが金メダル、スズメが銀メダル、カラスが銅メダルを取ったりしたわけでもない。
従って、大阪に「新大阪」があるように、横浜に「新横浜」があるように、トリノに「ニュートリノ」があるわけでもない(と思う、たぶん)。
ちなみに「ニューキョート」はウチの近所のパチンコ屋さんの名前だ。

そんなことはどうでもよく、いや、さらにどうでもよい話だが、わたしが「ニュートリノ」という言葉を初めて聞いたのは、1976年のことだったはずで、そのときは「新しい(イタリアの都市の)トリノ」だと思っていた。
標題に記したKlaatu(クラトゥ)なる妙な名前のカナダのバンドのデビュー作の最後に収録されている長尺曲のタイトルが、「リトル・ニュートリノ」というものだった。
これは、発表当時(だと思う)、NHKのFM(渋谷陽一のヤングジョッキーだったか)でオンエアされたときのことである。
ラジオで耳にしたものだから、「新トリノ」だと誤解したとしても責められまい。

クラトゥというバンドはデビュー当時、「ビートルズのメンバーが変名で発表したものだ」という噂がまことしやかにささやかれ、かなり話題になったと記憶している。
このほど、「ニュートリノ」つながりで久々に聴いてみた。
最初にラジオで聴いてから10年くらい後にレコードを入手したときもそう思ったが、
「これって、どこがビートルズ?」
まぁ、百歩譲って「ビートルズ」の影響が濃い作風であることは認めるが、何といっても、歌声が全然違う。
しかし、だからといって、このバンドの魅力が失われるわけではなく、叙情的で親しみやすいメロディと大掛かりでいささか偏執狂的なアレンジはなかなか個性的で、70年代後半の爛熟したロック音楽のある種の極北とでも言おうか。
はっきり言って名作でしょう。

ところで、「リトル・ニュートリノ」という曲は、ビートルズ臭さはほとんど感じられず、シンセサイザーを多用した、単調ながらも重厚でドラマティックなプログレ曲である(どうにも矛盾した表現だが)。
ボーカルにボコーダーみたいなエフェクトがかけられていて、どことなくクラフトワークっぽくもある。
ただ、クラフトワークのような乾いたユーモアみたいなものは感じられず、北東ヨーロッパ的叙情が溢れている。
「ニュートリノ」などという現代物理学用語を冠し、電子音にまみれた音楽であるにもかかわらず、冷たいながらも温かみのある不思議な感触のサウンドである。
いったいどんなことを歌っているのだろうか?気になる。
同時期にイーノやフリップ翁など悪い友達に唆されてベルリン3部作なんか作っちゃったデヴィッド・ボウイをちょっと思い起こさせる。
ちなみに、本作には、後にカーペンターズがカバーして有名になる"Calling Occupants Of Interplanetary Craft"も収録している。

実は手元のCDはデビュー作「3:47 EST」とセカンドの2in1。
むしろ2ndアルバム「Hope」の方が、変態度が高く、ある意味ビートルズ的ではある。
なんだか、映画のサントラみたいな組曲があったり、叙情性と変態性を無理矢理同居させたような曲があったり、拍子抜けするようなポップスがあったり、そういう予測不能で、めくるめく展開が心地よい。

確かに、部分的にはビートルズの影がちら見えするが、ただのエピゴーネンではなく、独自(というか空前絶後?)のスタイルは貴重だ。
ビートルズ云々を離れて評価されるべきバンドだったと思ふ。

Klaatu

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