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2010年10月22日 (金)

Bad Company at なんば Hatch

中学生のころ、初めて人前で演奏したのが、"Can't get enough"だった。
どういう経緯で実現したのかよくおぼえていないが、文化祭のイベントだった。
会場は中学の体育館、PAなんてものはないから、ひどい音響だったはずだ。
カセットテープに録音したのがあったはずだが、現存しているのかどうかも定かではない。
たしかこのときのセットリストには、他に"Rock steady"とか"Live for the music"とか"All right now"とかもあったはずだ。
チューリップとかやりたがるメンバーに無理矢理コピーさせたように思う。

当時、同級生の間で人気のロックバンドは、キッス、クィーン、エアロスミスの御三家?だった。
フリー、バドカンというとよくいえば渋い、普通の感覚だといささか地味であったことは否めない。
しかし、好きだったなぁ~。
バドカンの1~3枚目はほぼ全曲コピーしたぞ。シンプルだったから、初心者でも真似はできた。

そういう昔話はさておいて、行ってきましたよ、バドカン35年ぶりの日本公演。
直前まで大阪公演があるとは知らずに、あぁ、東京まで行くのはちょっと無理かな、と知らんぷりを決め込んでいたが、あれ、大阪公演あるやん。
では、さっそくチケットをゲット。
しかし直前にミック・ラルフスが病欠と聞き、ありゃ、これじゃバドカンだかフリーだかわからんなぁ、と思いつつ払い戻しなど考えもせず、この日を迎えた。

実はポール・ロジャースは15年ほど前の来日公演を見ている。
あのときは、確かロジャースのソロ"Muddy water blues"のツアーで、演目はジミヘンの曲を交えた渋めのブルースロックであったが、ギターがニール・ショーンでなんとなく違和感があった。
しかし、今回は正真正銘のバドカンである。
本来のロジャースのあるべき姿が拝めるはずだ。

会場に着くと、予想通りかなり年齢層の高い人々が集まっていた。
若者は皆無と言ってよかろう。
うんうん、これでこそバドカンじゃわい。小僧どもにあの渋さがわかってたまるか。

前座はスティーブ・ロジャース。
ポールの息子のはずだ。
アコースティックギターの弾き語りだが、父親譲りなのかなかなか渋い声をしている。
ちょっとエスニックっぽい曲調でこれはこれで楽しい。
が、はよ終われ、と思っていたのも紛れもない事実。すまぬ、スティーブ。

再び客電が落ちて、どよめきとともに始まったのは"Rock'n'roll fantasy"。
うわぁ、いきなりかぁ~。
ポールは伸びやかな声でステージを動き回り歌う。
溌剌とした動きは、今年還暦を迎えたとは思えない。元気なジイサンだ。
サイモン・カークは、見た目年相応の老け具合だが、スティックを振り上げる高さは往年のフリーのライブビデオで見られるのと変わりない。
スネアの一撃に魂が籠もっている(ように感じたのは多分に思い込みだろう)。
ベースの人は、若いころのギーザー・バトラーみたいだ。
ギターの人は見た感じ普通のジイサンなのだが、ところどころでタッピング奏法なんか披露して、ほほえましい。
でも、ミックが見たかったなぁ・・・。
ボズがいないのが惜しまれる。

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ボズ・バレルって人は、なかなか不思議な経歴の人で、もともとシンガーだったのだが、キング・クリムゾンに加入したときにフリップ翁に無理矢理ベースを弾くように強要されたらしい。
クリムゾン時代にはシンガーとしてもすばらしい仕事をしているにも関わらず、バドカンではベース一筋。
まぁ、ロジャースという不出世のシンガーがフロントにいるからしかたないといえばしかたない。
で、バドカンでは、クリムゾン時代の色は一切出さず、サイモン・カークと鉄壁のリズムセクションを形成していた。
こうやってバドカンとして来日公演なんかするってわかっていたら、もう少し長生きしてほしかった。

"Honey child"、"Run with the pack"と元気なハードロックナンバーが続くが、会場はおとなしい。
先日のLoud Parkと比較したらいかんが、ああいう粗暴な振る舞いをする人はいないので、落ち着いて聞いていられる。いいことだ。
"Burning sky"でちょっとクールダウンした後、"Oh, Altanta"をやったのは、ちょっと意外だがうれしい。
地味な印象の曲だが、実は大好きだったりする。
ロジャースのシャウトしつつも丁寧な歌いっぷりは、"Desolation Angels"収録曲では白眉だと思っている。
さすがにレコードで聴かれる若いころの声の張りはなかったが、それも渋さが増したと思えば文句もでない。
ただ、残念なのは、特徴的なサビでのギターのオブリガートが省略されて普通のコード弾きになっていたところ。
ボーカルとギターの微妙な掛け合いがいいんだけどなぁ。
ミックは、こういうボーカルを引き立てるバッキングが絶妙だ。
返す返すも今回の病欠が惜しまれる。聴きたかったなぁ。
ところで、"On my way back to Georgia”と歌うところを"On my way back to Osaka”と歌っていたのはお約束か?

引き続き、ロジャースのアコギ弾き語りによる"Seagull"。
うわぁ~涙が出てきた。
歌詞がいいのよね、この曲。
しみじみとくるなぁ。これでこそロジャースじゃわい。

「次の曲は、ボズに捧げるよ」と言って始まったのが"Gone, gone, gone"。
これまた地味目の曲だが、初期バドカンではほとんど作曲者にクレジットされていないボズが作った数少ない曲だ(共作だったかも?)。
ひょっとしたらこれ一曲かもしれん。
残念ながら、手元にある"Desolation Angels"には作曲者のクレジットがないので確認できないが、たしかそうだったと思う。

途中、へんてこりんなブルース曲を挟んで(新曲だ、とか言っていたような・・・)、後半戦は一気に全盛期の名曲オンパレード。
特に"Shooting star"は会場大合唱で大盛り上がり。
ロックスターを夢見る少年が一発当てて成り上がったけど、睡眠薬中毒で死んでしまう、という悲しい歌だが、どうしてもポール・コゾフの鎮魂歌のように感じてしまう。
実はコゾフの亡くなる前に作られた曲なんだけどね(ロジャースはジミヘンのことを歌ったと何かで読んだ気がするけど、違ったかもしれん)。
ボズもいなくなって、この歌を歌うロジャースの胸中はいかばかりなものだったろうか。
客席(スタンディングだったけど)で、目頭を熱くしてしまった。

"Can't get enough"、"Movin' on"と1stから景気のいいロックナンバーを連発して終了。
"Movin' on"の出だしのギターリフがなんか変だったような気がする。"Honey child"かと思った。
気のせいかな。
ここまで、ほぼ1時間ちょっと。短い。短すぎる。
アンコールは、"Bad company"は当然として、"Ready for love"はちょっと地味だったか。
いや、ロジャースの美声を満喫できたので、文句は言いませんが。
やはり体力的に限界なのかな、でも、もうちょっとやってほしかった。
"Good lovin' gone bad"も、"Deal with the preacher"も、"Early in the morning"も聴きたかったぞ。
まぁ、あまり観客が跳ね回るような音楽ではないので、こんなものかとは思うが、汗もかかずに終わってちょっと拍子抜け。

P9120015

案外早く終わり、まだナンバの地下街が営業していたので、ふらっと「黒門カレー」という店に入って晩ごはん。
チキントマト煮込みカレーをオーダー。
いや、これうまいやん。
木曜日の晩ごはんはカレーと決めているのだが、いつもの「すき家」のカレーとは比較対象にならん。ちょっと高かったけど。

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2010年10月17日 (日)

Loud Park 10 その2

Loud Park 10の観戦記は、だらだらと続くのであった。

神戸ワールド記念ホールのアリーナは、鋼鉄王モーターヘッドのもたらした興奮冷めやらぬ様子であった。
ここで既に1時間半くらいは立ちっぱなしなので、ちょっと座って休憩したいところである。
しかし、いよいよヘッドライナー、オジーの登場なのだ。
一番前から人垣4枚目という好位置を手放すわけにはいかない。

20101017_loudpark_3

ステージ上では、てきぱきと転換が進み、MESABOOGIEのアンプの壁が積み上げられている。
ふと頭上になにかしらの気配を感じて上を見ると、ステージ上方に天井から吊るされた照明設備に人がしがみついてなにやら調整している。
それも一人ではなく、2~3人はいるようだ。
これは相当怖い仕事だなぁ。落ちたら怪我ではすまんなと思って眺めていたのだが、結局降りてくるところは見かけていないので、恐らく終演まで天井からぶらさがっていたのだろう。
ひょっとしたら、ライティングって手動なのか。

そうこうするうちに舞台は整い、オジーの登場を待つばかり。
アリーナ前方は既に押し合いへし合いのダンゴ状態。
その上、みんな汗ばんでいるので、前後左右の人々の表面からにじみ出る液体が自分の皮膚に接触して気持ち悪いことこの上ない。
後ろから押し寄せる人の波に抗いながら立っていると、呼吸困難になりそうだ。
実際、顔を顰めて撤退していく人もいた。付き合いでこの場にいあわせたのであろう。

Image_ozzy

バックステージから舞台袖に移動するオジーの姿がちらっと見えた。
「おおぉーっ!」と喚声が上がり、「オジー!オジー!」と連呼する聴衆。
マイクを通して「おーおーおおおおおおー」と歌声が会場に響く。
あ、これはサッカーの試合でひところよく聞かれた「おーれーおれおれおれー」のメロディだ。
アリーナもそれに呼応して大合唱。
あぁ、どんどんアドレナリン濃度が上がっていく。

そして、いよいよメンバーがステージに上がると、興奮は最高潮。
一曲目は「月に吠える」(馬鹿だもん)だ。
演奏よりも周囲の観客の歌声がうるさい。
後方からの押しあがりはますます強くなり、前後左右の密着度が急上昇。
うわぁ~。

生オジーを見るのは実は2回目だ。
初来日のときの京都公演以来だ。あのときはランディ・ローズの急逝直後だったなぁ。
MTVもPVもなかった時代だから、海外のミュージシャンの演奏する姿を見る機会は滅多になく、ましてやその当時のオジーは元ブラック・サバスのボーカリストというだけで、現在のような明るいエンターティナーとしてのイメージはなかった。
雑誌などによると、黒魔術の儀式を執り行うとか、ニワトリを生きたまま頭から喰いちぎるとか、蝙蝠を生食して食あたりで死んでしまったとか、記者会見でバケツ一杯の豚の臓物を会見場にぶちまけたとか、そういう情報ばかりが垂れ流されていたので、どういうパフォーマンスを見せてくれるのか、大いに期待したのだが、いたって普通のライブで拍子抜けした記憶がある。
しかし、にこやかに両手ピースサインを掲げ、頭上で手を叩き、スローな曲では妙な体操のような動きを見せ、"I love you!"を連呼する彼は実に楽しそうで、むしろ心温まるほがらかなライブであった。
このあたりが、この人が多くの人に慕われる理由なのかもしれない。

30年近くたって、小太りのオヤジが小太りのジイサンになったが、やはり同じだ。
楽しそうだねぇ。変わっていない。
メタルの帝王などという殺伐とした雰囲気はまるでなく、やっぱりにこやかだ。
「ミスター・クロウリー<死の番人>」、「アイ・ドント・ノウ」など初期曲に交えて「ブラック・サバスの曲をやるよ~」と演奏したのは、
"Fairies Wear Boots"だよ。
初期サバスでは、もっとも好きな曲だったりする。うれしい。

バンドのメンバーもよく動いて、楽しそうだ。
ドラムの人はとにかくオーバーアクションで、ほほえましい。
ベースの人がやたら唾を吐くのがちょっと気になった。扇風機の前に立っているので、風で長髪が口に入るからかな。
ギターの人は、「えへん、おれってうまいやろ」みたいな感じで、ちょっと鼻についたが、まぁ、ギタリストってそういうものだ。
でも、ランディーのソロプレイはほぼコピーに徹していたのが高感度高し。
キーボードの人は、う~ん、目立たなかった。

しかし、よくステージからものの飛んでくるライブだ。
オジーの飲みさしのペットボトル(あれはCrystal Geyserだったか)とか、ギターのピックとか、ドラムスティックとか、オジーの持ってきたバケツからの水とか。
どれもわたしの近くに飛んできて、ちょっとずれていたら手に入ったかもしれない。
バケツの水はきっちりかぶってしまいましたが。

途中、ギター ソロ~ドラムソロを延々と続けてくれて、ちょっと退屈してきたが、「アイアンマン」で復活。
ブラック・サバスを代表するアイオミ先生ならではのあのリフを、会場みんなで大合唱。
その後、「クレイジー・トレイン」でエンディングに向かって疾走する。
そういえば、なぜか2ndからの曲は演奏してないような気がするな。
アンコールの一曲目は、聞いたことのないバラード曲。なかなかいい曲だ。
周りの人はみんな歌っていたので、知らないのはわたしだけ?なのだろう。
オジーらしい訥々とした歌いっぷりが素晴らしい。
そして最後は、あぁ~やっぱりこれかの"Paranoid"。

Ozzy_2 

終わったら既に9時を回っていた。
1時間半ほどのステージだったが、3時間以上立ちっぱなし、跳ねっぱなしでだいぶん足が弱ってきたので、これ以上やられてもちょっと困るという状況である。
みな、ぐったりした感じでポートライナーの駅に向かう。
外の空気はひんやりして気持ちよかった。

三ノ宮について、さて晩飯食おうと思って重い足を引きずって駅の東側の飲食店街に行く。
土地勘もなく、疲れていたので、以前に行ったことのあるところに行こうとしたのである。
で、吉野家で牛丼。
どこの吉野家も、最近はなんとなくやる気が感じられないなぁ。
カウンターに前の客のこぼした飯粒がついていたり・・・。
味とか値段以外にもするべきことがあるだろう、吉野家よ。

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Loud Park 10

2007年に続いて2回目の参戦となった今年のLoud Park。
今年はロニーの急逝もあって、ひょっとしたら、今回見逃すとオジーもレミーも二度と見られないかもしれん、という焦りにも似た気分でチケットを入手。
いろいろ私的な事情があって予定が立てられない状況であったが、ええいままよとばかりにぴあのサイトでぽちっとな。

今回のラインナップは、
TURISAS
LOUDNESS 
KUNI 
SPIRITUAL BEGGARS 
ANGRA 
AVENGED SEVENFOLD 
MOTORHEAD 
OZZY OSBOURNE 
・・・である。
よく知らないバンドも多数出演。
LOUDNESS って、あのラウドネスなんかな。オフィシャルサイト見るとどうもそうらしい。
現地に着いたときにはもう出番が終わっていたので、確認できず。

今回は、モーターヘッド、オジー・オズボーンは当然ながら、アングラに大いに期待していた。
90年代のメタルはさほど詳しくないのだが、なぜかアングラは何枚かCDを持っている。
ブラジルのバンドだそうだが、典型的なメロディック・メタルで、割と好きだ。

会場は神戸ワールド記念ホール。
初めて行く会場だ。
三ノ宮からポートライナーに乗り換えて行くらしい。
JRで三ノ宮まで出て、昼食を摂ってから現地に行こうかな、と思ったが、とりあえず近くまで行ってみようと思ったのが失敗。
最寄り駅を降りてみると、いやぁ、展示会場のような施設があるばかりで、飯屋がない。
ホールは駅と目と鼻の先で、ちょっと歩くとすぐに着いてしまった。
しかたないので、ひもじさを堪え会場に入ることにする。
入り口でグッズを売っていた。
モーターヘッドのTシャツは売り切れ・・・残念。
しかたないので、オジーので我慢する。
なんか不本意な現実の連発で、ちょっとめげてしまった。

一応指定席は確保しているのだが、結構広い会場の後ろのほうの2階席で、しかも椅子が小さく落ち着かない。
遥か彼方で演奏しているのが見えるという寂しい状況だ。
隣の席のヤツも寝てるし・・・。

20101017_loudpark_1

SPIRITUAL BEGGARSの演奏を席で見ていたのだが、いかんせん遠くでがちゃがちゃと演奏されても、なんだか退屈で、うとうとしてしまった。
なるほど、指定席って休むためにあるのだな、と納得。
というわけで、アングラの演奏はアリーナに降りていって観戦。
いやぁ、やっぱりアリーナで間近で観ると、全然気持ちの入り方が違う。
俄然テンションが上がってくるぞ。
超高速チューンで、クラシカルなフレーズを決めまくり、あまつさえ、バイオリン奏者も擁している。
ボーカルもハイトーンがよく伸びて美しい。
中盤でほとんどのメンバーがパーカッションを叩いてサンバ調のリズムでバイオリンソロをやってみたり(MCで「ブラジルからの贈り物だ」みたいなことを言っていたような気がする)、緩急自在な演奏で飽きさせることはなかった。
アングラの演奏が終了したので、一旦指定席に戻り休憩。

Image_angra

AVENGED SEVENFOLDって、全然知らないのだが、どうもドリーム・シアターをやめたマイク・ポートノイが参加していると司会の人が言っていた(ような気がする)。
この日のためにカスタムメイドのドラムセットを用意して、世界初公開とか言っていたような。
後ろの方で観ていたので、あまり感動はなかったが、演奏も曲もよかった。
アリーナで観ていれば、また印象も変わったのだろうと思うと、ちょっと残念かも。

しかしだ。
モーターヘッド、オジーの連発は何が何でもアリーナ前方に出撃しようと思っていたので、ここで限られたエネルギーを消費するわけにはいかない。
もう十分初老の域に達しているので、若者に混じってアリーナ前方でのりのりって、体力がもたないだろう。

AVENGED SEVENFOLDの演奏が終了すると同時にアリーナに出撃。
まだ人垣が薄いうちに前方に立ち位置を確保して、開演を待つ。
周りを見ると、2007年のHeaven and Hellのときよりずっと年齢層が下がっているような気がする。
結構多いのだ、若者が。
もう熱気むんむんっ!
天井からMotorheadのロゴ垂れ幕が下がってくるだけで、会場はどよめく。
スタッフの人がサウンドチェックを念入りにやっているが、ベースのチェックをしているのは、いたって普通の禿げたじいさんだ。
レミーと同年代なのかな。見た感じ、ジェスロ・タルのデイヴ・ペグみたいな感じの人だ。
そんなじいさんがレミーセッティングのベースをぶりぶり弾くもんだから、違和感たっぷり。

ほどなく、客電が落とされ、レミーのお出まし。
いやぁ~、相変わらずの悪人ヅラだわい。
「わしらはロックンロールでぶっ飛ばすぜぃ」みたいなMCとともに演奏が始まる。
一曲目はIron fistだったように思う(どの曲もほぼ同じなので区別がつかない)。
前の出演者のような華麗なテクニックも演出もなく、ひたすら単調なエイトビートを繰り返す。
で、あのレミーのダミ声だ。
会場は阿鼻叫喚、興奮の坩堝。
モッシュなるものを初めて経験した。いやぁ、ちょっと怖かった。
ギターの人が「盛り上がってるか、オーサカ!」みたいなことをしきりに言うが、ここは神戸だ(と小声で突っ込む)。
たぶんロンドンから見れば、大阪も神戸も京都も一緒なのだろう。
ドラムの人がやたらとスティックを上に放り投げる。
くるくると回って、再び受け止めて叩き続けている(ように見える)。なかなか器用な人だ。

演奏開始直後は、なんだか音圧が低い気がしたが、徐々に改善されていい感じになってきた。
途中、ギターの人が一人でステージに残り、延々とソロを弾く(が、たいしたことはしていない)。
恐らくレミーの休憩タイムなのだろう。
ベースをかき鳴らしながら再登場したのだが、音が鳴っていない。
先ほどの禿げたじいさんが慌てて駆け寄って、ベースにプラグを差し込んでいた。
シールドささってなかったんかい!
しかも気付いてなかったんかい、レミーよ(やっぱりどうかしてるな、このオヤジ)。

モーターヘッドが、このように単調でガサツで下品な演奏をするのは、彼らの初来日(82年だったかな)のときに経験済みなので、あぁ、なんも変わってないなぁ。
などと、目頭が熱くなる気分になる。
演奏は後半に突入し、やってくれました、Ace of Spade。
一気に会場は大合唱。
押し合いへし合い汗まみれ。
とどめの一発はOverkill。
きっちり3回エンディングもやってくれて、うひょうひょと大満足。

21世紀の現在からすると、もはやヘヴィーでもメタルでもない古風なハードロックにしか聞こえない彼らであるが、それでも、というかそれだからこそというべきか、一層の凄味を感じさせる演奏であった。
変わらないものの強さみたいな。
偉くなってもチンピラみたいな。

(後半戦に続く)

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2010年10月12日 (火)

進撃の巨人

進撃の巨人(著:諌山創)

マンガが日本を代表する文化の一ジャンルとして認知されて久しい。
いろいろなメディアでマンガの新刊が紹介されるようになって、これまで思いもよらなかった作家の作品に興味を持つことが多くなった。
少し前の話だが、この作品は某雑誌社系週刊誌(保守オヤジ系)の書評欄で紹介されていた。
いしかわじゅんなどが評者をしているコラムなのだが、このいしかわじゅんって人は、本人の書くマンガにはあまり関心がないが、マンガを読む目は相当鋭く、評論などを読むとなるほどと思わせてくれることが多い。
そのいしかわじゅんが「面白い」と断定していたのが、この作品。

書店で何気なくマンガ棚をふらふらと見てまわり、好きな作家の作品や、表紙、背表紙が訴えてくるもので判断して買ってくるという買い方をしているとどうしても選択肢が狭くなり、ハズレも多くなる。
そういう経験を重ねた結果、やはりそれなりの人が薦める作品にはそれなりのものがある、という当たり前の結論に達して、最近は書評買いをすることが多い。
本作品も、掲載誌は「別冊少年マガジン」、単行本は「講談社コミックス」なので、普通ならノーチェックのジャンルである。

で、「面白い」と断定されたこの「進撃の巨人」であるが、確かにおもしろい。
いしかわじゅんだけでなく、結構いろいろなところで評判がよいのもうなずける。
どんな話かというと、巨人が人類を捕食するという悪夢のような世界のお話。
どこの世界か、いつの時代かもはっきりしないが、ディテールは意外と細かい。
世界に突然出現した巨人によって人類の相当数を捕食された人類は、城塞によって囲われた土地で巨人の襲撃に怯えながら暮らしている。
物語は、安全とされていたその城塞都市の壁を超大型巨人が破壊し市街地に侵入し、主人公の少年の母親が喰われてしまう、といういきなりトップスピードな展開で始まる。
主人公の一見熱血漢的少年(しかし何かしら謎めいている)と、主人公に寄り添う少女(並外れて強力)、この二人を中心に同期の新兵、先輩兵士、街の人々とのドラマと、ところどころでフラッシュバックのように現れる回想シーン、講義の形で挿入される巨人の生態、人類との戦いの歴史、コラムの形で叙述される解説などにより、多面的に物語世界を構築し、伏線盛り沢山でこれからの展開を大いに期待させる。
いしかわじゅんも指摘しているとおり、画力という点ではやや不満を残しつつも(しかし、巨人の造形はなかなか不気味でいい)、月刊誌掲載ならではの力の入った世界観の造り込みによって、荒唐無稽なストーリーに強引に引き込まれる。
若い作家であるが、読ませる技術はすばらしい。

ところで、人類を捕食する「天敵」をストーリーの中心に据えた点では、名作「寄生獣」(岩明均)を想起させる。
以前にも書いたが、「寄生獣」が「天敵」との戦いを軸に、主人公の日常世界で話を完結させ、ある意味リアリズムに徹した作風とはまるっきり異なり、「天敵」の存在する「世界」の叙述を徹底させている点で優れてファンタジーな作品と言えるであろう。
そういう意味で非常にコンテンポラリーな作風である。
別世界における物語を、細部の描写にこだわってリアリティを持たせ、物語を構築するという手法は、マンガの世界では比較的新しいものではないかと思う。
続刊が待たれる作品である。

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2010年10月11日 (月)

僕らが作ったギターの名器

「僕らが作ったギターの名器」(文春新書) 椎野秀聰著

永年ギターを弾いて暮らしているが(とはいえ、それで飯を食っているわけではないよもちろん)、あまりハードウェアには興味がない。
そこそこいい音が出て、弾きやすい楽器ならば、それほどスペックは気にしないで弾いている(だからダメなのか)。
とはいえ、ギターを弾き始める前(あぁ、もう30年以上前の話だ)は、楽器屋さんでパンフレットを集めてきて眺めては、こういうのが弾きたいな、ああいうのがほしいな、と夢見る小僧だった。

だから、70年代後半の国産ギターの数々はよくよく憶えている。
ヤマハ、グレコ、フェルナンデスはちょっといい感じ。
グヤトーン、フレッシャー、ウエストミンスターは廉価版。
トムソン、トーマスはさすがに対象外。
ギブソン、フェンダーは手の届かない高嶺の花。
やっぱりハードロックやるならレスポールタイプ、ストラトは若干軟弱な感じ。
・・・そんなイメージだったなぁ。

新興のブランドもいろいろあったな。
トーカイとかキャメルとか。
そんな新興ブランドの中でちょっと異色な感じだったのが、HSアンダーソンだった。
コピーモデル主流の当時、微妙にオリジナリティを発揮したデザインは印象的だった。
そのブランドをプロデュースしたのが、この本の著者、椎野氏だったとは、この本を読んで初めて知った。
さらに、ESP、Vestax(ってギターじゃないし)などのブランドを立ち上げたのも椎野氏だと知って、ひょっとしてこの人、ものすごい人だったの?と今さらながら驚いている。

本書は、著者のギター開発に関わった人生を通して、「よい楽器」とはどんなものか、「よい音楽」とは何だ、ということを書き綴ったものである。
普段、ギターのスペックをみるときでも、あまり木の材質など気にしないのであったが、当然ながらそれらによって音は違ってくるし、出したい音によってそれらの選択は変わってくるものであるはずである。
そういうところには無頓着な自分は、つくづくギタリストではないな、と感じてしまう。
一方で、ギターの音は木の音が基本、という自分の信条は間違ってないなぁとは思った。
ギターと自分のやっている音楽とのかかわりを見直すきっかけになりました。

ところで、日比谷カタン氏の弾いている年代もののアコースティックギターが、どうやらサックスで有名なセルマー社が製作していたマカフェリというギターらしいということがわかって、ちょっと納得。
マカフェリはジャンゴ・ラインハルトの使用していたギターであり、著者が30年以上前に出会ったパリのビストロでシャンソンの伴奏でマカフェリを弾いていたギタリストとの短いエピソードは、なんだか軽く胸を熱くさせるものがある。

楽器は単なる工業製品ではないという極々当たり前のことを再認識させてくれ、また、「ものづくり」とはどういうことなのかについて考えさせてくれる意義深い本であることよ。

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