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2008年8月26日 (火)

2008/08/24 mojo west

この日は、恒例となった感もあるmojo westのMy generationというライブイベントに出撃。

到着したのが、開演時刻から30分遅れだったので、最初のバンド、Riotというバンドは見逃した。
ひょっとしたら、これってRiotのコピバン?
と、思ったら、実は全然そんなことはなかったようで、ほっとするやら、残念やら。

余談であるが、Riotというバンド、アメリカ人でありながら、大英帝国の香りをぷんぷんと漂わしたメタル、ハードロックバンドで、実は70年代後半のデビュー当時から相当好きなバンドである(というかずっとイギリスのバンドだと思っていた)。
キャリアが長いので、その時期によって多少は変化しているが、基本は徹底したギターオリエンテッドなハードロックである。
どのあたりがブリティッシュ臭いのかと言えば、歌メロだ。
アメリカのハードロックにありがちな、大味な雰囲気(サビで単音節の単語をシャウトする、みたいな)は乏しく、初期のジューダス・プリーストを思わせる哀愁漂うメロディが極めて英国的である。
加えて、ツィンリードによるハーモニーも多用し、そのあたりにもジューダスの影響が窺える。
案外知名度の低いバンドだが、70年代後期~NWOBHMあたりのハードロックが好きな人には、激しくお勧めのバンドだ。
個人的には、アザラシ頭の相撲取りが空港の滑走路?で四股を踏んでいる、というふざけたイラストがジャケットの2ndアルバム「NARITA」が名盤である、と思う。

Riot02

閑話休題。

次に登場したバンドは、かの「カルメン・マキ&オズ」のコピバン、「orz」である。
おぉ~、マキオズかぁ~。
1stアルバムと2枚組のライブ盤は以前よく聴いたものだ。
日本のハードロックの原点であり、日本のハードロックボーカルの嚆矢である、と思っている。
特に、プログレテイストを感じさせる1st収録の「私は風」は、70年代日本のこの種のハードロックとしては四人囃子の「一触即発」と並ぶ名曲である。
また、マキオズと言えば、98年に「よた帝」復興を画策していた時期に募った人たちと連れだって磔磔にライブを見に行ったとか、高校時代に友人がレコード屋さんの店頭から無断で拝借した2枚組ライブ盤をまた借りしたまま所有しているとかいう点でも、何かと思い出深いバンドではある。

とにもかくにも、マキオズのコピバンをするからには、要はボーカルであろう。
その点、このバンドのボーカルを担当されるのは、先日都雅都雅でライブを拝見したところのthumbingのto-miさんと聞いて、期待は高まる。
演奏も手堅く、もちろんボーカルも素晴らしく、実に「ロック」なバンドであった。
このイベント用に編成したとは思えない。
何より、メンバーが楽しそうに演奏しているのがいい。
やっぱり「ライブ」はこうでなくちゃ、という感じだ。
演奏曲が有名曲に絞られていたので、ややハードロックに偏っており、マキオズのリリカルな面があまり感じられなかったのは、少々残念ではあったが、そういうことを言うのは野暮というものであろう。
アンコールでの、ジャニス・ジョプリンの「move over」も自然な流れで、会場も大いに盛り上がった。
なかなかマキオズのコピバンはお目にかかることがないので、このまま継続されたらいいのにな。

次に登場したのは、レインボーのコピバンRAKSAS(カバーバンドと自称されていたが、ここは敬意をこめて敢えてコピバンと呼びたい)。
このバンドでは初ライブだそうで、その上、演奏前にキーボードのトラブルがあったりして、相当不利なコンディションであったかと思われるが、レインボー(特にリッチー)に対するリスペクトが大いに感じられて、いい感じだった。
定番名曲目白押しの堅実なセット(でも、なかなか「バビロン」はコピバンでは聞けないぞ)であったが、ロニー曲からグラハム曲にシフトする際に、ボーカルの人が「お色直し」をするというベタな演出もあり、それはそれでこだわりを感じさせ、会場の雰囲気を和ませる。
しかし、どうせあそこまでやるなら、ロニー曲では、カツラをかぶるくらいはしてほしかったが(^^;
やや残念なのは、mojo westというあまりハードロック向きでない会場のせいかドラムの音が引っ込み気味だったことと、稀代の名曲「スターゲイザー」が聞けなかったことだ。

トリを勤めたのが、アースシェイカーのコピバンShakee's。
実は、アースシェイカーってよく知らないのだが、たまたま知ってる曲を2曲ともやってくれて、また、メンバーはセッションイベントなどでよく顔を合わせる面々が大半だったため非常に親しみが持てた。
いつもながらボーカルのAsh君の熱血パフォーマンスで、会場をぐいっと引き寄せる。
Ash君、このあたりの加減がどんどんうまくなってきているなぁ。
よく知らないバンドのコピバンというと、ややもすると飽きてくるのが通例であるが、彼らはメンバーのショーマンシップも高く、ステージから目が離せない。
「今日はサイドギター」と控えめなことを言っていた忍者氏も、ソロになると前にがんがん出てきて、弾きまくる。
これほどの弾きっぷりを目にするのは、いつぞやのジャーニーバンド以来ではないかな。
ラストの「レディオ・マジック」では、客席の前方は、どういうわけか若い女性が総立ちになって踊り狂うという(一部おじさんも含まれていたが)、この種のイベントとしては滅多に見られない光景が繰り広げられていた。

という具合に、ハードロック中心であったせいか、非常な盛り上がりを見せたイベントであった。
出演された皆さま、お疲れさまでした。

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2008年8月10日 (日)

「バイオの黙示録」

昨年の「壁男」の映画化以降、諸星大二郎に対する注目度が再び高くなってきているような気がする。
近年は、2~3年に一度、作品集をまとめて出版し、また沈黙する、というパターンで活動しているみたいだ。

「海神記」も再発されたし、「栞と紙魚子」の新刊も出たし(なんとドラマ化までされたようだ)、そろそろ「魔障ケ岳」の続編でも出ないかな、と思っていたら、まったくの新シリーズだ。
雑誌の掲載作品はまったくチェックしていないので、特段マニアックなファンというわけでもないのだが、もっとも好きなマンガ家であることは間違いない。よた帝の歌詞に与えた影響も非常に大きい。

ふらっと立ち寄った書店で、彼の新作を発見した。
普段、出版情報などをチェックしていないので、新刊が出たことを知るのは店頭で、ってことが多い。
しかも平積み(正確には「縦並べ」なのだが)で置かれている。
さすが、世間の注目を集めている作家だ。

さて、今回の新作は、猟奇伝奇モノではなく、久々の幻想SF風連作である。
こういうアフターハルマゲドンというか別次元世界を描かせると天下一品。諸星ワールド全開の快作である(ややコミカルではあるが)。
近年のグリムもどきの寓話性の高い諸作や「栞と紙魚子」シリーズの軽いノリは、ちょっと無理があるかな、と思っていただけに(好きだけど)、本作は本来の持ち味が生かされていると思う。

ストーリーを紹介してしまうなんて野暮なことはしたくないが、「バイオ戦争後、人間の中にヒト以外の遺伝子が発現する者があらわれ始めた」というオビの惹句だけで、好きな人はそそられるであろう。

諸星の前に諸星なし諸星の後に諸星なし、と称される(って、わたしが言ってるんだけど)この作家の独特の絵柄によるキメラ的クリーチャーが満載。
とにかく人間と各種動物が融合した新生物が跋扈する世界の話である。
思えば、この作家の実質的メジャーデビュー作「生物都市」からして、金属と生物が融合するという悪夢のようなユートピアを描いた作品であった。
人間と別の何かが混ざったイメージがそうとう好きなんだろうな、この人は。
「孔子暗黒伝」の開明獣、「アダムの肋骨」のハーピー、「貞操号の遭難」のイケメン植物?・・・その種のキャラクターは枚挙に暇がない。
特に近年は、羽の生えた少女が多く登場する。
もちろん、本作にも羽の生えた少女(表紙画像参照)が登場し、奇怪でエロティックな雰囲気を振り撒いている。
そうそう。この人の場合、普通の人間の女性よりこういうキメラ的クリーチャーを描いたほうが、エロティックに見える、という不思議な作風だ。
どちらかというと、生身の人間のエロスは狂気と紙一重(よく気の触れた色情狂の女性がよく出てくる)、羽の生えた少女のエロスは純粋無垢みたいな描き方をすることが多いような気がする。
なにか現実の女性に恨みでもあるのだろうか。
聞くところによると作者の夫人はいたって普通の人らしいが・・・。

SFというには科学的裏付けに乏しく、ホラーというにはちょっととぼけた感じだし、現代のようにマンガ作品もジャンル分けがはっきりして、中途半端なリアリズムが有難がられる時代には、なんだかとらえどころのない作家に見えるかもしれない。
しかし、諸星先生の脳髄から溢れ、広がる異次元世界に一度はまってしまうと、そんな些細なリアリズムなどどうでもよくなってしまう。
彼の紡ぎ出すファンタジーの世界に浸るだけで心地よいのである。
あぁ、わたしもカツリ山の断崖やカオカオ様が見てみたい、などと思ってしまうのだ。

うむむ、もはや中毒と言って差し支えないであろう。

Morohoshi

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2008年8月 5日 (火)

不覚にも・・・。

ごくまれにテレビから流れてくる音楽が妙に気になることがある。
音楽番組だと誰が演奏して誰が歌ってるかは、しっかりと紹介してくれているので、非常にわかりやすい。
また、ドラマやアニメの主題歌はきちんとクレジットが映るので、これまたわかりやすい。
しかしながら、わたしはこのいずれもあまり見ない。

従って、ドラマやアニメの話題について行けないことが多い。
そういえば、あまりバラエティ番組も見ないので、お笑い芸人情報にも疎い。
しかし、だからといって、テレビを見ていないわけではない。

休みの日にウチにいるときは、たいていテレビが点いている。
ひどいときなど、朝から夜まで点けっぱなしってこともある。
朝8時15分から「瞳」を見て、「週間ニュース」を見て、「家計診断 おすすめ悠々ライフ」を見て、「食彩浪漫」を見て・・・。
昼からはニュースを見て、「生活笑百科」を見て、また「瞳」を見て、「篤姫」の再放送を見て、このあたりで昼食を摂るので、「百歳」はとばすことが多い。その後、「スタジオパーク」を見て・・・。
あぁ、NHKばかりだ。
時期によっては、その後、相撲だ高校野球だオリンピックだ、と、さほど関心もないスポーツ中継を見て、夕方には「こどもニュース」を見て・・・。
「世界遺産」やら「太王四神記」やら「上方演芸ホール」やら「ドキュメント挑戦」やら・・・あぁ、きりがない。
と、一日テレビを見ている。
まぁ、じっと見ているというより、なんとなく点いているという感じで、その横で打ち込みやったり、採譜したり、歌詞を書いたり、ギター弾いたり、いろいろしているのだが、その背景には、間断なくなにがしかの音声と情報と映像が垂れ流されている状況なのだ。

という具合に、何か目的を持って(「ドラマ見たい」とか「野球見たい」とか)見ているわけではなく、ただ単に誰かの声が聞こえていてほしいだけなんだろうと思う。
だからと言って、民放だとCMがうるさい、というよりあまりに断片的すぎてせわしない、落ち着かない。
なによりも、なにがしかの音楽行為を行っていることが多いので、テレビから音楽が流れてきて、やかましいのは困る。
実は、意外なほどにNHKの放送は音楽が鳴らないのである。
人がしゃべっていることがほとんどだ。
そんなわけで、NHKにはずいぶんお世話になっているのである。

そういう状況で、ふと気になる音楽が流れてくるので、誰が歌い演奏しているのか、よくわからないことが多い。
何かの番組の主題曲であれば、次の放送の際にチェックすればいいのだろうが、最近は目も弱ってきて、テレビの画面の文字が読みにくい。
動体視力が落ちているのだろう。
なによりも、「チェックしなければ」という意識がないので、「あぁ、またこの曲誰のかわからんかった」と思うだけで、終わってしまう。
それで終わってしまうのだから、執着心も薄くなっているのだろう。

しかし、どうしても気になって気になってしかたがない曲があった。
ちょっと歪んだギターのストロークから始まり、ややサイケな感じのストリングスが重なる。
ミディアムテンポで、青臭い男の声で歌われる字余りのその歌は、妙に心に響いた。
「世界中に溢れている溜息と君と僕との×××(よく聞き取れない)挫折に捧ぐ。あと一歩だけ前に進もう」
という歌詞もなんかいい感じだ。
「プロフェッショナル」という夜10時から放送している番組の主題曲で、もうかれこれ2年くらいは気になり続けていた。
なにか「悔しい」気分で漫然と聞いていた。
「うわ、やられたっ」という感じか。

最近、やっと歌っているのがスガシカオで、kokuaというユニットの作品だと知った。
う~む、今さらにもほどがあるな。
調べてみると、発表年に「紅白歌合戦」で歌っていたらしい。見てなかったのかな。

というわけで、やっとCDを買って聞いてみた。
あらためて、きちんと聞いてみると、いい曲だけど、さほど感動することもない。
かと言って、番組の内容にシンクロしてないから感動が薄い、という訳でもない。
しかし、挫折と希望を淡々と綴った歌詞を、いかにも意志薄弱な感じのふにゃけた歌声で歌われると、なんともいえない安心感に満ちてくる。
不安定で根性に欠ける歌い手の心情をなぞるようなストリングスのウネウネした旋律が気持ちいい。

コブシを振り上げて愛を叫んだり、青筋立てて世界の不条理を糾弾したりするような熱情はないが、というかそんなの鬱陶しいだけだが、妙に脱力してるけど、こそっと意志を貫く。
「大きい声では言わないけど、ま、俺も頑張ってるし」みたいなマージナルな姿勢が、まさに迷える羊たちの福音となるのだろう。

・・・そんなわけで、不覚にもおっさんの歌に癒されてしまったのであった。
ワシも年とったものだ。

Kokua

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