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2007年10月25日 (木)

Loud park 2007 "Heaven and hell" Live in Osaka

今をさること、27年前。
まだ高校生で、自由になるお金もあまりない時期に彼 らはやって来た。
1980年のブラック・サバスである。
オジー・オズボーンが抜けて、元レインボーのロニー ・ジェームス・ディオが加入して発表された「ヘヴン・アンド・ヘル」は、リアルタイムで衝撃を受けた。
オジー時代(特に初期)の陰鬱で重厚な音を愛していた高校生にとって、非常に洗練されてモダンな新生サバスのサウンドは「こんなんサバスちゃうやん。けど、かっちょえぇ~」の一言であった。
ほどなく彼らの初来日公演があった。が、残念ながら見に行くことができなかった。
見に行った友人によると、京都会館第一ホールの座席が振動し続けるほどの重低音だったそうだ。
その話を聞いて、身もだえして地団駄踏んで悔しがったものだ。
その後、外タレ公演の昔話をするとき、必ず「行かなかったことをいまだに後悔しているバンド」として、ロニー在席時のサバスを挙げることとなった。

余談だが、高校生の頃、よくコピーした3大ハードロックギタリストは、ピート・タウンジェント、アンガス・ヤング、そしてトニー・アイオミ先生である。いずれもSG弾きだ。
さらにどうでもいい話だが、著名なミュージシャンで常に敬称を付けて言い習わしているのが、イアン・アンダーソン師、ロバート・フリップ翁、そしてアイオミ先生である。ジミヘンもコゾフも、激しく敬愛しているが、彼らは既に鬼籍に入った人たちなので、敬称略である。

そんなことはどうでもよくって、今回のサバス、いや、正確にはヘヴン・アンド・ヘルというバンドの来日公演である。
周知のこととは思うが、実態はロニー期のサバスである。さらに正確を期すと、「ヘヴン・アンド・ヘル」というより「モブ・ルールス」にすべきなのだが、まぁ、それはいい。
そんなわけで、やっと27年前の遺恨を晴らすときがやってきたのである。

以前から今年のラウドパークはロニー期のサバスが来るらしいと聞き、「まじっすか。それは行かねば」と思っていたが、どうやら関東だけらしいと聞き、あきらめていた。さすがにそこまでの熱意は持てなかったのだ。
ところが、大阪公演もあると聞き、さっそくぴあの会員になり、予約。それが当日の約1週間前。それでも余裕でチケット取れたから、案外人気なかったのかもしれない。

そのころは、まだ気分は醒め気味で、まぁ、これを逃したら二度と生で見られないから、行っとくかぁ、くらいの軽いつもりだったのだが、日が迫るにつれ、どんどん気分が高揚してきて、さらに27年間の鬱憤を晴らすのだという気持ちが強まり、もうどきどきしながら当日を迎えた。
6時ごろ、会場の大阪城ホールに着いた。
入場口でチケットを見せると、このチケットは席が変更になったので、別の受付カウンターで席番を再指定する、とのこと。
ははぁ、客の入りがあまりに悪いので、2階席を締めたりしたのかな、と思ったら、やはりその通りだったようだ。
通常、大阪城ホールは楕円形の会場を縦長に使い、奥行きのある設営をしているのだが、今回は横長に使って、奥行きのない設営になっていた。
この方が、お客の入りの少なさが気にならないのだろう。
おかげで、もともと前から37列目だったのが、19列目になって、大いに僥倖僥倖。

さて、アリーナに降りると、まだ客電も明るいというのに、ステージ上ではなんか演奏していた。
「なんだ、リハやってんのかな?」
と思ったら、どうやら前座の人らしい。日本の著名なバンドのメンバーのソロプロジェクトだそうだ。
まだ客は席についてもおらず、通路をうろうろしている状況で演奏させられるというのは、なかなか厳しいものがあるな。
「どうも。ありがとう!」
などと言って、彼らはステージを降りたが、拍手もまばらだった。

引き続きNileなるバンドのステージだ。
どういうバンドかはさっぱり知らないのだが、とにかくデスメタルとかドゥームメタルとかそういう感じだ。
ごついおっさんがロン毛を振り乱しデス声でがなる。
しかもギター×2、ベースの3人とも歌うのだが、みんな同じデス声。分担する意味がよくわからない。
ドラムはずーっとツィン・バスドラの連打。
こういう音楽も嫌いではないし、やってることはコワモテだけど、なんだかメンバーはフレンドリーな感じで、結構いい感じだった。
丁度30分でステージは終わり、会場が明るくなった。

会場は、予想通り会社帰りのおっさん比率が、この種のライブとしては非常に高く、あぁ、この人たちも同じなんだな、と思う。感慨もひとしおだ。
そんな中、なかなか過激なファッションに身を包んだ若者もいる。彼らの目当ては、きっと次に登場するマリリン・マンソンなのだろう。

ほどなくマンソンのステージが始まる。
巨大なステージに降りた緞帳にスポットが当たり、センチメンタルなピアノの旋律が会場に響く。
爆音とともに演奏は始まった。
マンソンの持つマイクの下側にはナイフがくっついているようだ。金属の突起物がライトに煌めく。
しかし持参したオペラグラスで観察すると、どうも移植ゴテ(スコップっていうのか)のように見える。なんかかっこ悪いな。
曲は昔風のハードロック。全然メタルじゃないけど、こっちはかっこいいぞ。
マンソンも危ない雰囲気をぷんぷん漂わせ、小汚いジム・モリソンとか頭の悪いデヴィッド・ボウイとかそんな形容が頭をよぎる。そうそう、イギー・ポップって、こんな感じだったな。
実は彼のCDは一枚だけ持っているのだが、一度聞いて、つまらんと思ったので、今回も全然期待していなかった。ところが、実物は予想外にかっこよかったなぁ。
しかし、どういうわけか、この人はしばしば股間に手を当てて歌う。かゆいのかな?んなわけないか。これはちょっとかっこ悪い。
曲中で、客席を煽って、唱和させようとするが、いまいちノリが悪かったせいか、ちょっとマンソンはふてたような態度を取ったりしていた。その後、客席に背中を向けて歌うことが多かった。ほんとに不機嫌になったのか、そういうパフォーマンスなのかはよくわからない。
スモークがんがん焚いたり照明がぐるぐる回ったり、なかなかスペクタクルな要素もあり、楽しいステージだった。
エンディングには、冒頭のセンチメンタルなピアノと弦楽のアンサンブルが会場に流れる。なかなかコンセプチャルな雰囲気だ。
マンソンも毛嫌いせずにちゃんと聞いてみようと思った。

お手洗いに行ったり、飲料を飲んで席に戻ると、さっそく次なるメインアクト、ヘヴン・アンド・ヘルのステージ設営が始まっていた。
背景中央には巨大な喫煙天使のイラスト(レコードのジャケットのあれだ)、左右には煉瓦塀に鉄条網みたいなセットが組まれた。
あぁ、いよいよか、と思うと胸が高まる。
会場が暗くなり、SE(というか"E5150"という曲なのだが)が流る。既にこの時点で会場には地鳴りのような歓声が響き渡る。
突如、アイオミ先生のヘヴィーなギターリフが会場の空気を切り裂く。
"Mob rules"だ。
「うおぉーーーっ!」
客席全体が上下に揺れる。あぁ、やっぱりメタルのライブはこうこなくっちゃ。
みんなこぶしを振り上げるのだが、人差し指と小指を立てた独特の手の形だ。 Ronnies_hand
四半世紀ぶりにメタルの血が騒ぐ。
ロニーは小さい小さいと言われているが、ほんとに小さい。その上、細い。が、額はでかい。既に還暦もだいぶん過ぎているにもかかわらず、よく動く。
ぴょんぴょん飛び跳ねて、遠目に見ると小猿のようである。
一方、先生は悠然とステージを闊歩しながら、大音量重低音攻撃で我々を攻めまくる。時折、客席に目をやり、「うんうん。皆のモノ、がんばっておるな」みたいな感じで、小さく頷いている。
オペラグラスで見ると、ヒゲがない(ように見える)。心なしか微笑んでいるようだ。
かたやギーザー・バトラーはステージの左端で直立不動でぶりぶりベースを唸らしている。
ドラムのビニー・アピスもびしびしタイトなリズムを繰り出す。
ギターソロはもはや伝統芸能と言っても差し支えないアイオミ節。SG独特のべしゃっとした音で、痙攣するが如きエキセントリックなフレーズでたたみかける。
これほど流暢とか華麗とかいう形容が似合わないギターソロもめずらしい。
怒濤の勢いで、次の曲だ。"Chldren of the sea"。
先生のもの悲しげな(だけどありがちな)アルペッジオから始まり、ロニーのこぶし回しが素晴らしいボーカル、地を這いつくばるようなリフ、この時期のサバスの代表曲であろう。

彼らの演奏を聴きながら、一生懸命彼らのコピーをしていた頃を思い出して、胸が熱くなった。
「メタルってかぁ~。だせぇ~」とフュージョン小僧に小馬鹿にされ、「アナクロやなぁ」とテクノ野郎に笑われ、「欲求不満なんちゃう」とヤンキー女に揶揄され、「おまえら旧体制に与するのか」とパンクスに罵られた青春時代が脳裏に去来する。
あぁ、来てよかった。つくづくそう思った。

その後、長めのドラムソロを挟んで、シンセのオケをバックにした先生のギターソロ。決してテクニカルではないが、唯一無二のギターだ。こんなの誰にも弾けないし、こんなの弾いたら「アイオミの真似」と言われるのがオチだ。
ソロが終わると、"Die young"。
ロニー・サバスならではのメロディアスな疾走ナンバーだ。しかしレインボーにはない重さ暗さがすばらしい。
会場は大興奮の裡に曲は終わり、ロニーの楽しそうなMC。
「じゃ、このバンドの名前になった曲をやるぜぃっ!」
「うおぉぉぉーーーーっ!!!」
"Heaven and hell"だ。
イントロのリフから会場大合唱。
「おーーおーおーおーーー」
数千人の観衆が(恐らくほとんどがオヤジだ)あのリフを大声で唱和する。
至福の一瞬である。
危うく涙がこぼれそうになった。
後半、曲は展開し、アップテンポになり大いに盛り上がった。
ここで、「どうもありがとう」とメンバーはステージを去った。

当然、アンコールがあるよね、"Neon knight"だな、と思って手拍子を打っていると、突然客席が明るくなり、スタッフがステージを片づけだした。
えぇ~、そんなんありえへん、と思ったが、ほんとにおしまいらしい。
時計を見ると10時ちょっと前。会場の制約があったのだろうか。非常に残念だ。ドラムソロ半分でよかったから、アンコールやってほしかったなぁ。

かくして27年目の遺恨は果たされた。演奏中は、「あぁ、もうこれで今日死んでも悔いはない」とまで思ったが、さすがに今日死んだら困るので、それは撤回。
でも、これで「生きているうちに一度は生で観ておきたいミュージシャン」は、あと残すところキース・リチャーズとピート・タウンジェントくらいになった。
長生きはするものである。

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2007年10月21日 (日)

筋肉少女帯と封印作品

うむむ、意味ありげなタイトルだな。
筋少の封印作品といえば、「ドリフター」「岡田ロック」などが有名だが、今回はそういうことを書くわけではない。
ひさびさに最近の読書感想文を書こうとしているのだ。

安藤健二著「封印作品の謎」「封印作品の闇」
大槻ケンヂ・橘高文彦・本庄聡章・内田雄一郎著「筋肉少女帯自伝」

う~む、見事にトレンディな読書傾向だ(どのへんが?)。
普段、江戸川乱歩だとかラブクラフトだとか、いまさら感想文を公にするのも憚られるような本ばかり読んでいるので、たまにこういうのを読むと、何か書きたくなるな。

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「封印作品の謎」「封印作品の闇」

世の中に「封印作品」と呼び習わされてる一連の映像作品、書籍が存在する。
何らかの理由で、公開がなされていない作品の総称である。
まぁ、「発禁本」「放送禁止歌」などと似たようなものであるが、なぜかそういう言い方をする。
本書でも取り上げられていて、「封印作品」の代名詞となっているのが、「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」だ。
実は、わたしはこの作品が公開されていないということをだいぶん昔に知って、かねがね疑問に思っていた。Huuinn2_3 Huuinn_2

あれは中学生のころだから30年くらい前の話だ。
近所の友人の弟(小学校低学年だった)の持っていた「ウルトラセブン大百科」みたいな本を目にして、
「お。懐かしいな。ちょっと貸して」
子供向けの本のわりに資料が充実していて、巻末に作品リストなんか載っていて、脚本、監督などのクレジットがある。
その中で、「第12話は現在欠番をなっています」みたいな注釈があり、リストが空欄になっている。
ウルトラセブンはリアルタイムで見ていたし再放送も繰り返し見て、登場する宇宙人、怪獣の類もほとんど知っていたのだが、第12話がどんな話だったか、さっぱり思い出せない。
そのときから、第12話の謎は心に引っかかり、永く疑問に思っていた。

時は過ぎ、インターネットなるものが普及して、何気に円谷プロ関係のファンサイトを見ていると、第12話についての言及があった。
「なるほど、そういうことで欠番になったのか」
と納得したものだ。
しかし、それも噂、伝聞の域を出ない記述で、真相は依然不明であった。

似たような話で、結構社会問題になったので、ご存知の方も多いと思うが、「ちびくろさんぼ」絶版事件がある。
これは本書では扱っていないが、基本的な構図は同様である。
手塚治虫、藤子不二雄などの日本マンガ史はもちろん戦後の文化史に大きな業績を残した著名なマンガ家の作品も、危うく封印されるところだったそうだ。
というか、本書によると、実際に一時的に出荷停止になたものも多かったらしい。また、実際に封印されて、今や手に取ることもできない作品が少なからず存在する。
そいうえば、手塚、石ノ森などの復刻作品には、たいてい巻末に編集部からの「おことわり」が記載されており、「人権擁護の観点から不適切な表現が含まれるが、差別を助長する意図で書かれたものでなく、時代背景を考慮して一部修正の上、出版するものである」というような文言が付け加えられるようになった。
この種の「おことわり」は乱歩などの小説にも見られる。

本書は、「謎」と「闇」で2冊一組の趣で、この種の作品が封印された真相をジャーナリスティックに追究したものである。
通常、この種の作品を扱った文章は、特撮マニアだとかその種の人が噂、伝聞に基づきおもしろおかしく書いていることが多いが、本書の著者は元新聞記者で、きちんと取材して書いている。
なにぶん微妙な問題を扱らねばならない題材だが、よくがんばって書いたなぁ、と思う。
同業者(出版人ってことね)の、ある意味で隠したい事情のある作品を扱っているわけだから、そりゃ微妙だわなぁ。きっとあちこちから圧力があったのだろう、と思わせる記述もある。

著者の視点は、この種の本にありがちな興味本位、面白半分のものではなく、極めて真面目なものである。
ファンや読者の立場に立ち、素朴に「なぜ、あの作品が今は見ることができないの?」という疑問を解き明かす。
とはいえ、著者自身はこれらの作品の特別なファンではないことは明言している。これが、私情、推測を交えないジャーナリスティックな本書の雰囲気を生み出している。
個人的には、非常に好感の持てる態度だ。
結果的に、表現の自由と差別の問題を考える上で、なかなか貴重な資料となっている。言語表現に携わる人は、一読の価値はあるだろうと思う。

しかし、そういう表現の自由と差別のせめぎ合いが原因で封印された作品ばかりではない。
共著である作品で、両著作権者の意思の齟齬が原因となったケースも取り上げられている。こちらの方が、読者としてはやりきれない思いにとらわれる。
個人的にはあまり興味がなかったから、たいした感慨も抱かなかったが、例えば「オバケのQ太郎」封印の真相には、なんだかなぁ・・・と感じた。
世に出された作品は誰のものなのか、という問題も興味深いというか深刻な問題である。

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「筋肉少女帯自伝」

立て続けにちょっとヘヴィーなノンフィクションを読んで、暗澹たる気分になったので、ちょっと気分を変えようと、買いに行ったのが本書。
「自伝」と銘打ってあるが、実際はインタビュー集だ。
わたしのごく親しい人は既に周知の事実であるが、実は筋少大好きなのである。
順風満帆に見えた90年代筋少も、実は内部にいろいろ問題を抱えていたことは既に大槻のエッセイなどで繰り返し語られているので、さほど目新しいことではないが、本書では、それらが他のメンバーの発言によって裏付けられた点に興味深いものを感じた。
まぁ、ファンの人以外には、まったくおもしろくないと思うが、ファンの人には、楽しめる内容だと思う。
個性的なメンバーを擁するバンドであるから、各人の音楽観なども垣間見える。ファン必読であろう。Kingshowjiden

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