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2007年1月 6日 (土)

ビートルズ"Love"に思う。

ひょんなことで、近所の大手CD屋さんに行く用件があった。
そこで、ビートルズ最新作"Love"の試聴盤があったので、今さらながら、さわりだけ聴いてみた。
本作がどういう経緯で発表されたのか、よく知らないのだが、なんでもとある舞台芸術に使うためにジョージ・マーティンとその息子が既存音源を編集して作ったものらしい。
既存音源を編集して作ったものが「最新作」と言えるのかどうか、ビートルズ音源事情に疎いわたしにはよくわからない。
聴いた感想は、「わざわざこんなことせんでも・・・」というのが正直なところ。まぁ、こういう野暮なことを言ってはいかんのだろう。

ところで、ちょっと興味深かったのが、試聴機に飾られていたポップというか宣伝ディスプレイの文句である。
「ビートルズはいつも『Love』をテーマに歌ってきました」「これを聴いて、青春の思い出にひたってね」みたいな文言(うろおぼえだが)が手書き文字で賑々しく書かれている。
「青春の思い出」云々については、まぁ、購買層をそのあたり(いわゆる団塊世代ってヤツ?)に絞ってのコピーだろうから、理解できなくもない。
しかし、「いつも『Love』をテーマに」というのは、どうなんだろう。

ビートルズの全歌詞における単語の出現頻度を統計とって調査したら、おそらく「Love」はかなりの頻度で出現しているのだろうし、実際、愛だの恋だのを歌った歌が大半である。まぁ、ポップソングなんてそんなものだろう。

よく指摘されることだが、ジョン・レノンは「愛と平和の戦士」みたいなイメージが先行して、ミュージシャンとしての正当な評価を妨げてる、などと言われる。それもその通りだと思うが、そういうレノンのイメージを商売のネタにしている人が世の中にたくさんいるわけだし、消費者もそのイメージを大事に思っているのだから、それもそれでいいのだろう、多分。

そこで、ふと思ったのが、いささか唐突であるが、ビートルズと手塚治虫のパブリックイメージの類似である。
両者とも、「愛」とか「平和」とか、そういうポジティブ(で健全)なメッセージばかり発信していた創造者というイメージがあるように思われる。さらに、両者とも、既に過去の人でノスタルジーの対象になっていることも同様である。

ビートルズも手塚も、全然分野は違うが、その世界において革命的な業績を残し、さらに後代に与えた影響の大きさ深さは絶大なものがある。多少なりとも彼らの作品にまじめに向き合った人なら、彼らの発するメッセージがそういう一面的な文言で総括しきれないのは、すぐにわかることであろう。というか、優れた創造者は、言葉で総括できるようなメッセージを伝えるために作品を作っているわけではない、と思う。
産み出された作品からメッセージを読み取り言葉に置き換えるのは評論家に任せておいて、われわれは創作物を受け止めて、その表現(音楽なら音楽として、マンガならマンガとして)を味わい、楽しむのが正しい向き合い方ではないかと思う。

・・・てなことを書いていて、昔々に読んで、いまだに心に残っている言葉を思い出した。もう30年以上も前のことだから細かいところは曖昧だが。
作曲家の諸井誠という人がJ・S・バッハについて語ったものである。バッハの作品をポピュラー音楽に転用すること(おそらくプロコル・ハルムの「青い影」を指しているものと思う)に、世の識者は「冒涜」だと眉をひそめる向きがあることを指摘し、それに続いてこのようなことを述べる。

盲人に象の尻尾を握らせて「これが象だよ」と教えると、その盲人は「象とはこのように細長い紐のようなものなのか」と思う。ロックにアレンジされたバッハのメロディーを口ずさむサイケな衣装を身にまとった少女たちはこの盲人のようなものである。
しかし、大バッハの偉業は、それによって貶められることはいささかもない。どのようにアレンジされても、解体されて再構築されても、ゆるぎないのがバッハの偉大さなのだ。
われわれは象の尻尾を振り回しながら、バッハへと至る道を歩み続けるのだ・・・。

う~む、いつもながら、よくわからない文章になってしまった。
で、結局、"Love"は買ってないです(^^;

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コメント

新婚旅行に強引にリバプール&アビー・ロード&旧アップルビル観光を挟み込んで妻に文句を言われた僕ですが、「Love」を買っていません(笑)。
ポップ・ソングがほとんどラヴ・ソングというのはほぼ自明の理だと思いますが、それ以上にビートルズが偉大なのは、音楽を通して、戦後の欧米社会で「抑制されていた何か」を一気に吐き出す手段を提供したということでしょう。
それが愛であり、自由であり、平和といったものの根本にあたるものだったのではないかと。若者のカルチャーの根本を変えたんですよね。

もちろん、色々と裏の話やスキャンダラスな話もたくさんあるので、すべてを美化するわけにはいかないのですが。だって、「愛と平和の戦士」さんは、日本人芸術家と浮気(不倫)して離婚されているわけで(しかもその人と結婚してからも浮気して一時別居してるし)、それをもって「愛」を語るのはどうなの?っていう人もいるわけですし、先妻やその息子さんはどんな思いなの?ていう話もあったり。

でも、一般的なイメージというのは、そうした事実の積み重ね以上に既に力を持っているし、ある意味、多くの人がそのイメージどおりであることを願っているのでしょうから、そのままにしてくのが平和なのでしょう。

ま、そのうち「Love」を買うとは思います(笑)。大ファンだから(爆笑)。

投稿: KAL | 2007年1月 7日 (日) 01時29分

>KALさん
どもども。今年もよろしくお願いします。

>若者のカルチャーの根本を変えたんですよね
そうですよね。それは、"Love"だけでなく、いろいろなこと(薬物みたいな違法なものもあったわけで)に及んでいたはずで、それにもかかわらずごくごく簡単に「"Love"がテーマ」みたいに総括してしまうことに違和感を感じますねぇ。

思うに、ビートルズもレノンも、「愛と平和」のアイコンとして消費の対象になってしまっているような気がします。
とはいえ、そうやって彼らの音楽が聴き継がれていくのは、よいことだと思います。

投稿: 皇帝 | 2007年1月 7日 (日) 10時14分

おっしゃるとおりだと思います。
アイコンになったことは結果論であり、手段だと思えば、彼らの等身大の姿がわかりやすくなると思います。それは、単純に「Love」で括られるものではないわけで。インドに代表される異文化交流すらも意味していました。

ただ、彼らの素晴らしい音楽が長く語られ続けるには、アイコンになったことがプラスに働いているのも確かです。
そして、真実を知りたければ、入り口はいくらでも用意されています。そこでまた、生身の人間くさいビートルズの素晴らしさを知ることも出来ます。
そして、実はその本質の方がもっと素晴らしいのであって。皇帝の引用されたバッハの話にも結びついて行きますよね。

・・・新年早々、語りすぎました(笑)。

投稿: KAL | 2007年1月 7日 (日) 16時43分

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