« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月19日 (木)

「かっこいいスキヤキ」

という訳で、先日言及した「わがマンガ読み人生」に多大な衝撃を与え、いまだに個人的にはギャグマンガランキングのトップを独走し続けている、泉昌之の「かっこいいスキヤキ」である。

Groovysukiyaki こんなところで、拙い感想文なんか世間に公開するのは畏れ多いし、本書を未読の人が、この駄文を読んだために不要な予断を持ってしまったらダメじゃん、と思うところではあるが、前回記事を書いた勢いで、無謀にも、この稀代の傑作を語ってみよう。
ちなみに泉昌之というのは、作画担当の泉晴紀と原作?担当の久住昌之の二人のペンネームだそうだ。

本書は83年に初版発行されており、わたしの持っているのは85年第五版なので、結構たくさん印刷されたようである。本書は、確か85年の夏ごろ(まだ大学生だった)、京都は北大路にある某書店で、その奇妙なタイトルに惹かれて、何気なく手にしたものである。当時は、立ち読み防止の包装などという無粋なものはなかったので、気軽に立ち読みできたものだ。冒頭の「夜行」という作品をパラパラと読んでみると、ぐいぐいと話に引き込まれていく。息を凝らして、震える指を抑えてページをめくる(大げさだな)。そして、一度でもこの作品を読んだ人なら絶対に忘れることのできない(と思う)、あのオチを目にしたとき、本屋の中であるにもかかわらず、爆笑してしまった。もう、間髪を入れず、レジに走ったものである。今と違い、貧乏学生にしてみれば、850円といえば、そこそこの大金である(かなりゴージャスな晩ごはん代相当だね)。それでも、惜しいとか全然思わなかった。

内容を語らずに、わたしの個人的な感動をいくら述べても、説得力もなにもないので、本書の内容について、簡単に説明しておく。
恐らく泉昌之のデビュー短編集だと思うのだが、81~83年に「ガロ」「宝島」などの雑誌に掲載された作品を14編収めている。う~ん、当時の「ガロ」「宝島」といったら、いわゆる「サブカル」系の総本山みたいなところだったと記憶しているが、まあ、そういう若干アングラな媒体で発表されたものである。
まず、オープニングの「ガチョーン」があり、おもむろに「夜行」が始まる。
劇画調ともアメコミ調ともイラスト風とも見える独特の重苦しい絵柄で、夜行列車で旅をするトレンチコートにソフト帽のハードボイルド風の男が描かれる。彼は、これから駅弁(400円)を食べようとしている。話は、男の弁当を食べながらの独白で進んでゆく。彼は、とにかく自己の美学に則って弁当を食べることに集中している。しかし、食べ進めるうちに、予想外の事態により、それまでの至福の弁当タイムが窮地に陥る。そして一発逆転を狙った最後の砦に手をかけたとき、最後のどんでん返しが訪れ、破滅的なエンディングを迎えるのである。
あぁ~、全然説明になってないなぁ~。自らの文章力のなさを呪うばかりである。もう、とにかく読んでみてください。読まなきゃわからないから。一時期、文庫版も出ていたし、そっちはBOOKOFFでもよく見かけるので、比較的入手しやすいと思う。
「夜行」以外には、同様の趣向であるが、鍋を囲む「せめぎあい」の要素を付加し、さらに緊迫感あふれる人間ドラマに昇華した「最後の晩餐」、円谷プロに抗議されたとの噂もある一連の「ウルトラマン」もの、奴隷制度の悲劇を描いた感動編「ARM JOE」、生理欲求と戦う男の惨劇を描いた「ロボット」など、一編一編が、独自のギャグ様式を確立している傑作群てんこ盛り(とまで言ったら言い過ぎか)である。

今でこそ、劇画調の絵柄でギャグマンガを描く人もめずらしくないが、その嚆矢となるのが、この作品であろうと思われる。また、当事者以外には理解不能な日常の瑣末なことに徹底的にこだわることのおかしさ面白さを、執拗に描写する作風も、当時としては非常に斬新であったと思う。
これ以前は、ギャグマンガといえば、日常の中に非日常が侵入してくることにより発生する摩擦、歪み、軋轢が笑いを誘うという感じだが(わかりやすい例だと「天才バカボン」とか「まことちゃん」とか70年代のギャグマンガの傑作はそういう構図になっていると思う)、それに対して、本作は日常からスタートして、こだわりにこだわりを重ねていったら、終着点は日常とかけ離れた地平にまで到達してしまいました、みたいなおかしさを描いている。当時としては、非常に新しいセンスではなかったろうか。その点で、あの妙にリアルな絵柄は、必要不可欠な画法であったと理解できる。

その後、「プロレスの鬼」「感情的」「真剣なサル」(泉晴紀名義)などの作品を読んだが、どうも笑いのパターンが類型化してしまい、本書ほどのインパクトは得られなかった。残念である。「ダンドリ君」で、ややメジャーになったりしたが、これは本書で提示した新しい方法論をソフィストケイトして、再生産したかのような印象を受け、それ以降、この人の作品は読まなくなってしまった。

なお、この「夜行」は、テレビで映像化されたこともあったようだが(ビデオに録ったのだが)、なんとなく見ることができなかった。たとえ実写で映像化しても、最初に本屋で立ち読みしたときの衝撃は得られないだろうし、通常、テレビでの映像化が原作を超えることはないと思ったからである。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006年10月17日 (火)

「神罰」

Sinbatu_2 日常的に古本屋さんに足を向けていると、なんとなく本の方から「おい、俺を手にとってみろ」と声をかけてくるような佇まいの本がたまにある。文庫本なんかだと、背表紙のデザインが出版社ごとに統一されていて、あまりそういう呼び声は聞こえないのであるが、マンガ本は、作品ごとに背表紙も意匠が凝らしてあるので、そういう主張が聞こえてくるのである。
で、本作品もそういう類の本である。たまたまこの本を見かけた書店は立ち読み防止のために包装されているので、中身は見えないのであるが、マンガ棚に「神罰」という書名はかなりインパクトがある。いや、背表紙は極めて地味なデザインなんだけど、すごく惹かれるものがあって、手にとってみた。
そうしたら、この表紙である。言わずもがなだが、神様「手塚治虫全集」の装丁をパクっている。というか、これはパロディだね。思わずその場でのけぞってしまった。ちなみに画中の犬が「お願いです訴えないでください!!」と訴えているが、実は本書の帯には手塚るみ子(治虫の実娘)による「訴えます」というコメントが手書き文字で掲載されていたようである。

しかも裏表紙のイラストがこれだ。
Sinbatu2 これはもうわたしに買ってくださいと言わんばかりではないか。
しかし田中圭一という作者は、まったく知らない。ちょっと逡巡したが、これこそ一期一会かもしれない、と思い、レジに持って行った。
家に帰り、ワクワクしながら包装を解いて、読んでみた。
「田中圭一最低漫画全集」の名に恥じないサイテーなマンガがこれでもかこれでもかと繰り出されるさまは壮観であり、本気で笑ってしまった。
例えば、こんな話である。
亡くなった神父様からすし屋を引き継いだ尼僧が、開店初日に海苔を切らしてしまい、鉄火巻きが握れず、身悶えして神に懺悔する話とか、二人の恋人(マサト君と君恵さん)の別れのシーンで、実は君恵さんはにょにょ星からやってきて人類を監視する宇宙人であった(が、なぜか金沢の実家に帰ってしまう)という話とか、由香ちゃんに密かに憧れる少年の前にあわられた愛のキューピット「イチヂク坊や」の放つ矢が胸に突き刺さった由香ちゃんが、失血死してしまう話とか、この種の果てしなくしょーもない話が、実に忠実に再現された「手塚絵(しかも70年代の)」で描かれる。しかも、タイトル文字、書き文字、コマ割りに至るまで、きっちり手塚調になっている(これだけきっちり真似られるということは、この作者の画力と手塚に対する愛情が相当のものであることを物語っている)。
その他、永井豪風、藤子不二雄風、本宮ひろし風の絵で描かれる、もうどーしょーもない下ネタお下劣ギャグの嵐。う~む、これはひょっとしてすごいかもしれない。

巻末に作者としりあがり寿との対談が掲載されているが(実はしりあがりの初期作品はわたしの愛読書である。これらについては、別項でまた語ろうかな)、そこで、両者、パロディについていろいろ語っている。その中で、両者とも非常な影響を受けたマンガ作品として泉昌之の「かっこいいスキヤキ」を挙げている。うわ、実はこの作品、これこそがわたしのマンガ読み人生に大きな衝撃を与えた作品である。この作品に出会わなければ、現在のマンガ読み人生はなかった、と断言できる一冊である。いまだにこれを越えるギャグマンガとは出合っていないような気がする。これも、また別項で語ろうかな。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2006年10月16日 (月)

「木島日記」

先般「寄生人」の感想文で言及した大塚英志の著作である。
Kijima0 大塚英志という名は、「多重人格探偵サイコ」なるマンガの原作者として知られるが、残念ながら、わたしはこの作品をちきんと読んだことがない。BOOKOFFで立ち読みした程度である。
また、「ルーシー・モノストーンの真実」(三木・モトユキ・エリクソン著)というノンフィクション作品で、ルーシー・モノストーンの存在を過大に神格化し、紹介した文筆家として言及されていたのが印象に残っている程度で、特に関心のある作家ではなかったのだが、なんとなく文字の多い本を読みたくなってBOOKOFFの100円文庫コーナーで手に取ったのが本書である。

舞台は昭和初期、軍国主義の台頭する不穏な世情のもと、民俗学者折口信夫は、ひょんなことから「八坂堂」なる古書店に迷い込み、木島なる仮面の男とまみえる。そして、次々と猟奇的で不条理な出来事が折口の周囲で起こるようになり、そのいずれもが木島が関与している。折口の周囲で起こる不思議な出来事が本書に語られているのであるが、どれもこれも荒唐無稽文化財みたいな話で、「んな、あほな」と思いつつも引き込まれてしまう、そんな小説である。
たとえば、知的障害のある子供を集めて人間コンピューターを作ってしまう話や、月から来た?少女の自殺と呪術によるその蘇生の話など、およそ説明しづらいストーリーの短編連作が収録されている。
その種の奇怪な話が好きな人には、ちょっとだけお勧めしておきます。
もともと同名マンガの原作のノベライズのようで、そのマンガ作品も読んでみたが、作画担当の森美夏という人の絵が、かなり独特なので、ちょっと世界に入りづらかったなぁ。
達者な絵なんだけど、斬新すぎて、パッと見て何が書いているのかわかならいコマが多々ある。Kijima
むしろ、小説作品の方が、「よくわかる」というのは、よくよく考えてみると、そうかもしれないと思わせる。
というのは、物語の世界の中での単位時間あたりに、読者に与えられる情報量(および情報の質)が、だいぶん違うからではないかと。もちろん、マンガの方が情報量は格段に多い訳です。しかも、その情報は、ほとんどが視覚から認識するものだから、「物語り」という言語表現に変換して理解しようとすれば、そこで読者の頭の中で、視覚で認識した情報を言語に置き換える作業が発生する。これは、案外難しい作業で、特に本作のように、いろいろと衒学的なプロットやら、常識を逸脱したストーリーやら、異常な設定の登場人物群やら、非常に込み入った情報を一度に与えられると、読者は、よほど頭を整理してかからないと「よくわからない」状態になってしまう。
(普段なにげなく読んでいるマンガだけど、結構いろいろ頭使って読んでるんだと思う)
はっきり言って、本作については、マンガ版だけを読んでいたら、きっと「なんかわからん」話としか思えないのではないか。少なくともわたしはそうだった。小説版を先に読んでいたので、話は概ね(正しく)理解でき、そこそこ楽しめたが。
そんな訳で、もしこの感想文を読んで、本作に興味を持つ人がいたら、小説版を先に読むことを勧めておきます。

どうでもいい話だが、小説版の表紙に記載されている作者名のローマ字表記の字体が、Art of tranceなるテクノユニットのロゴに酷似している。まぁ、よく見かける字体という気もしないではないが。Kijima01 Artoftrance 左が「木島日記」文庫版の表紙、左がArt of tranceのCDジャケ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »