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2006年9月19日 (火)

牛丼復活。

テレビでニュースを見ていると、吉野家の牛丼が2年半ぶりに復活した、としきりに報道されている。
もちろん、BSEによる日米牛肉摩擦がらみでのニュースなんだろうが、なんとなく見ていると各報道機関が、みんなして吉野家の宣伝をしているかのようだ。
で、店で牛丼を食べに来たお客さんにインタビューをしている訳だが、「いやぁ~、これを待っていたんですよ~」とか「前に比べて肉が少ないんじゃない?」とか「もちろん汁だくで(食べます)」とか、いろいろ好きなこと言っている。
君たち、ホントに牛丼食べたかったのか?ホントに牛丼を愛しているのか?ただ単に話題になっているから行ってみただけと違うのか?
な~んて、無粋なことは言いませんが(って、言ってるし)、吉野家って、そんなにうまいかなぁ?
単に牛丼の味だけ取り上げたら、なか卯の方がうまいとわしは思う。すき家は邪道っぽい牛丼(「マーボーナス牛丼」とか「かつぶしオクラ牛丼」とか)になかなか味があるし、松屋だって、吉野家に劣るとは思えない。オージービーフだってちゃんとした牛丼はできるのだ。君たちが本当に心から牛丼を愛しているのなら、我々カスタマーに背を向けた吉野家よりも、企業努力により非米国産牛肉を確保して我々に牛丼を提供し続けた他店を支持すべきではないか?
(いや、きっと牛丼フェチだったら、こんなこと言うんじゃないかな、と想像で書いています)
むしろ、そんなことより先般、吉野家で食べた「豚キムチ丼」、あれはいかん。あれは単に豚丼にキムチを乗せただけだ。それならば「キムチ豚丼」と呼ぶべきだ。「豚キムチ」は全然別の料理だ。
などと、どうでもいいことを力説しても詮ない上にみっともないので、本件に関しては、また機会を改めて。

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2006年9月11日 (月)

神主2

バリエーションを描いてみたので、あげてみます。

2_1

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「寄生人」

「七夕の国」の感想文を載せたら、次は「寄生獣」がきても、むべなるかな、って感じだが、そこはあえてはずして、紛らわしく「寄生人」である。

Kiseijin0 先日、京都駅南側の某古書店に立ち寄った。例の「人間時計」が売っていた店である。「まだ売ってるかな~」と思って見てみると、ありゃ、まだ売れてないや、う~む、なかなかレアっぽいし、もう一冊買ってみるかな・・・などとバカなことを考えていると、「人間時計」と同じ太田出版から出ているQJマンガ選書の一冊「寄生人」(つゆきサブロー著)なる本が置いてある。うわ、また変態マンガが俺を呼んでいる・・・。
手にとって見てみたが、この店では、立ち読み防止のため商品は包装されているので、中身までは見えない。そんなことしているから、子の店ははやらないのだよ。いつ行ってもお客さん少ないし。
しかし表紙のインパクトだけで、十分買うに値すると判断して、レジに持っていった。

つゆきサブローと言う人も「寄生人」という作品も、全然知らなかったのだが、絵柄は貸本時代の水木しげるによく似た感じで、いかにも1960年代初頭の雰囲気を醸し出している。本書の冒頭に水木しげるのインタビューがあったり、貸本として出版されたときには装画を水木が描いたそうで、なにかと交流のあった人らしい。つゆきサブローというのはペンネームで、本名?杉本五郎として現代美術家、フィルムコレクターとしてその筋では非常な偉人だそうだ。

作品についてだが、ストーリーは、なんだかよくわからないし(シュールとかアバンギャルドとかいうのともちょっと違う。むしろ怪奇モノなのだが)、絵も今のマンガを見慣れた目で見ると、違和感だらけ(あえて稚拙といっても差支えなかろう)の絵ではあるが、ところどころで見せる廃屋の風景や恐れおののく主人公の表情など、洗練されていないためにかえって異常な迫力を生んでいる。特に作品の最後の方で、とうとう主人公を乗っ取った「寄生人」が主人公の頭蓋をこじ開けて外に出てくる絵などは、まぁ常人の描いたものとは思えない(しかも、これが1ページひとコマなのだから、ちょっと凄まじい)。ストーリーについては、説明や紹介するのも、なんだか無意味な気がするので、省略。
併録されている「ミイラ島」という作品も、これに輪をかけて、わからん話なのだが、こちらは、なんとなくコミカルな部分もあり(とは言っても話はこれまたグロテスクなのだが)、もう少し薄味に仕上げたら初期手塚マンガ風の冒険活劇にでもなりそうな雰囲気ではある。しかし、少年少女のミイラの頭部を回路の一部としたコンピューターを作るマッドサイエンティストの支配する孤島、って、なんかそのまんま江戸川乱歩の世界みたいだなぁ。・・・この子供の脳髄を利用してコンピューターを作る話って、どこかで読んだことがあるな、と思ったら大塚英志の「木島日記」に同様なプロジェクトの話があった。大塚が「ミイラ島」にヒントを得たのかもしれない。

Kiseijin2 また、杉本五郎という人は日本ロリコン史における先駆者であり偉人でもあったらしい。このことは本作とはあまり関係ないようであるが、「ミイラ島」に登場するルミちゃんなる人物が、いかにもロリコンな人が描いたような絵になっていて、他の登場人物と一線を画しているのが興味深い。あ、残念ながらわたしはロリコンの趣味はないので、それほど萌えませんでしたが。(左の画像の少女がルミちゃんである、ってこんな風に画像載せちゃっていいのかなぁ?)

Kiseijin1 さらに巻末の解説で俳優の佐野史郎も触れているのだが、「寄生人」の作中に(20ページ)みられる老婆の絵が、つげ義春の「ねじ式」の老婆の絵と酷似している。最初見たときに「あ、これってつげのマネ?」と思ったのだが(水木の絵をマネている雰囲気が強く感じられたので、そう思ってしまったのだが)、考えてみると「寄生人」は61年ごろ「ねじ式」は68年の出版なので、むしろつげがマネしたのか、あるいは共通の元ネタがあったのか。つげは一時水木のアシスタントをしていたのは有名な話であり、水木とつゆきが友人であったことを考えると、そういう元ネタが存在することの可能性は非常に高いと思うが、どうなんだろう(多分、既にマニアな人が検証しているのだろうなぁ)。

Nejisiki1 Nejisiki2 ちなみに「ねじ式」の当該箇所はこれ。

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2006年9月 9日 (土)

「七夕の国」

岩明均の代表作「寄生獣」がハリウッドで映画化される、という報道があってから、かれこれ1年は過ぎてしまった。今となっては、「そういう報道があった」のか、「そういう報道があったという噂があった」のかも定かでないが、とにかく、その後どうなったのか、さっぱり続報がなく、気になるところではある。
岩明というマンガ家は、とにかく寡作な人で、1985年にデビューして以来、出版された作品は発表順に「骨の音」「風子のいる店」「寄生獣」「七夕の国」「雪の峠/剣の舞」「ヘウレーカ」「ヒストリエ」、これだけのはずである。このうち、4つは短編集など一巻完結のもの、あるいは一話完結の連作だから、いわゆる長編作品は「寄生獣」と「七夕の国」のふたつだけとなる。現在、唯一進行中の「ヒストリエ」は2003年に連載開始して、昨年秋に3巻が出版されたところである。我々が生きているうちには、完結しないのではないかと噂されている。この人はアシスタントを使っていないそうで、これも寡作の要因なのだろう。

Tanabata  「寄生獣」という稀代の傑作の次に発表されたのが、本作である。
本作については、雑誌連載時から読んでいたのだが、途中からマンガ雑誌を買わなくなってしまったので(とにかく増えて増えて収集がつかなくなったのである、って捨てりゃいいじゃん)、話がどう決着したかを知らぬまま数年が過ぎてしまった。先年、某古書店で発見し(というか、どこのBOOKOFFに行ってもだいたい置いてあるが)、買って帰り、やっと結末を知ることができた。
その後、訳あって手放してしまったが、先般とうとうこらえきれずに一気買いをしてしまった(と言っても4巻本だからたいしたことはない)。

本作に対する世間の評価は、思いのほか低く、どうしても「寄生獣」との比較されて、「あれに比べたらねぇ」という感じで語られてしまう。まぁ、単純に冊数だけで言っても「寄生獣」の40%しかないし、作中に語られるエピソードが少なく、その割りに結構手の込んだ謎解きを仕掛けているので、どうしても中途半端な感じは拭えない。しかし、規模の大きいテーマを扱っているので、普通の作家なら、話の風呂敷をどんどん広げたくなるだろうと思われるところであるが、「寄生獣」と同様に、主人公の日常の範囲内でストーリーをきっちり完結させている。従って、この種の超常現象を扱った作品にありがちな、後半なんだか訳のわからない展開になってぐだぐだになってしまう、ということがない。このあたりの構成の手際よさ、ストーリーテラーとしての岩明の優れた資質をみる思いである。

ストーリーを簡単に紹介しておく。一見普通の大学生で気の進まぬ就職活動にあせりを感じている主人公、南丸君は、実は「丸神の里」という地方都市の神官の血を引き、特殊な能力を持っていた。失踪した大学教授とそれを追うゼミの教官、学生たちとともに南丸君は「丸神の里」に乗り込み、そこで意外な出来事と遭遇することになる。一方、南丸君と同じだがはるかに強力な特殊能力を持った人物が東京に出現し、世間を騒がせ、果てには国家レベルの大事件を起こしてしまう。と、こんな話である。
作中にちりばめられた「窓をひらいた者」「手がとどく者」「七夕祭り」これらの謎が解き明かされ、「丸神の里」に関するとんでもない歴史が語られても、やはり主人公は日常にとどまり続けようと熱弁をふるう。話のスケールの大きさと登場人物の視点の日常的リアルさ、この落差が、いかにも岩明作品らしいテイストを醸し出している。ただ、腑に落ちないのは、作品の冒頭で登場し、なかなかいい味を出していた亜紀という女学生が途中からまるっきり出てこなくなったというところ。岩明は、ストーリーをきっちり組み立てて描いている人だと思っているのだが、この人物に関してだけは、計算外だったのだろうか。

また、この作品のカバーデザインがよくって、4冊並べると、非常にいい感じです。
「寄生獣」は読んだけど、こっちは読んでないなぁ、という方は世間にたくさんいると思いますが、そういう人に強くお勧めしておきます。

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2006年9月 5日 (火)

小さな神主

2 東京駅の「神」から連想した「小さな神主」って、きっとこんな感じだろう、という絵を描いてみたので、アップしてみます。

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2006年9月 1日 (金)

名古屋に「神」なし。

さて、大反響を呼んだ(ウソウソ)昨日の「東京駅の『神』」の記事の続編である。

たまたま今日、名古屋に出張だった。今回は新幹線に乗って行った。当然、新幹線のホームから乗ったり降りたりするのだが、そこでホームの柱をチェックしてみた。

Nagoya_1 Kyouto左の写真が名古屋駅、右の写真が京都駅。やっぱり「伊藤ハム」だ。ひょっとして、新幹線の駅はどこでも「伊藤ハム」の広告が柱に張り付いているのかもしれない。他の駅の情報があれば、ぜひ提供お願いします。

残念ながら、どちらの駅にも「神」の表示はなかった。うう~む、謎は深まるばかりだ。

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