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2006年8月31日 (木)

東京駅の「神」

年に何度かは、東京に出かける。会社の仕事で行くことが多い。まぁ、これが普通だな。

Kami2_1 仕事で行くときは、必ず新幹線を使う。これも普通ですね。東京のようなハイパーテクノポリスの玄関口であるJR東京駅の新幹線ホームにこの写真のようなものが、密かに存在しているのは、意外だ。

ホームの柱に「神」と書いたステッカーの貼られた箱が取り付けられている。まさか、この箱に神さまが宿っていたり、ご神体を奉っていたりする訳もなかろうが、一見、電気配線のジョイントボックスのようなこの箱が俄然神秘的なものに見えてくるから不思議である(見えてこないか)。

この写真は、今年の春に撮ったものである。その後、夏に行った時に、ホームを歩いていると、またあった。どうもひとつではなかったようだ。下の写真をご覧いただければ、ご理解いただけると思うが、明らかに別の「神」である。記憶が曖昧であるが、春のとは別のホームだったような気がする。どちらも帰りだったので、下りホームだったことは確実だ(ここ、突っ込むところですよ~)。

Kami_1 どちらも「伊藤ハム」と深いかかわりがありそうだ。ハムの神さまでも奉ってあるのだろうか。ふたを開けたら、鳥居があって、身長5cmくらいの神主さんが出てきたらいいな。

東京は、奥が深い。

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2006年8月27日 (日)

Djamra Live at RAG

日中は相変わらず暑いが、朝夕はちょっと秋めいてきたかな、と無理やり思って過ごす8月最後の週末。昼間は、新曲のデモの歌録りにスタジオ入り。曲数の割りに時間が短かったので、やっつけ仕事でぱっぱっとと録ってしまったが、後で聞いてみると、こりゃひどい。いくらバンド用デモとはいえ、これでは、何を歌っているのかわからんがな。

Mudmen 夕方から標記ライブを聴きに出かける。まず三条京阪のBOOKOFFに立ち寄る。なにかめぼしいものは・・・と、なんと諸星大二郎「マッドメン」の創美社版(大判)が上下セットであるではないか。ところが、実は先日この文庫版をオークションで落札したところなんだよなぁ(実は創美社番と勘違いして落札したものだ)。しかも、中公文庫の「完全版」も持っているし・・・。同じマンガを三冊も持つのもいかがなものかと思い、断念した。悔しい。

その後、京阪三条の地下の駅前にあるドトールコーヒーに行って、遅い昼食(と言ってもホットドッグなのだが)を摂る。食べている最中にソーセージがつるんとすべってパンから飛び出した。とっさに左手で落ちかけたソーセージをつかみ、ことなきを得たが、あのまま床面に落下していたら、さぞや悲憤慷慨したことであろう。普段はゆっくりとしか動作しないわたしであるが、こういうときは非常に機敏に反応できる。先だっても似たような状況で機敏な反応を示したが、どういう状況だったかは忘れた。確実に記憶力が低下している。老化が進行しているのだ。

Djamralive さて、Djamraのライブであるが、先日のファンダンゴでの企画モノとは違い、本来のアグレッシブで、かつちょいと軽妙なジャズロックを聞かせてくれた。いやぁ~、かっこよかったなぁ。「もう~、なんでそこまでやるのぉ~」という感じの怒涛のユニゾン、高速サックスソロ、一聴しても、さっぱりわからない変拍子の嵐(でも気持ちよい)。あとでベーシストでリーダーの中来田氏に話をうかがったら、現在のメンバーは史上最高の結束を実現しているそうで、なるほどと思わせる。ライブの映像を載せてみますが、暗くてよくわからないね。

ほかのバンドにも触れよう。最初は東京から来たと言うkn(i)tというジャズバンド。Djamraのメンバーとも交流があるようで、Djamraのメンバーが参加してセッションのようなこともしていた。この日はレギュラーメンバーのキーボードが不参加とのことだが、そういうハンディはまったく感じさせない。やはりジャズのプレイヤーのフレキシビリティというのは見事なものだ。

2番目がDjamraで、3番目がこの日レコ発ライブという山賊スマイル。ジャズロック風インストで、なかなかおもしろかったが、なんせ一つ前がDjamraだったので、ちょっとインパクトが弱かった。残念。

最後はフナ橋というソウル・ファンクバンド。これまでジャズっぽくインストバンドばっかりだったので、新鮮に感じた。演奏もしっかりしており(熱い!)、ファンクに対する愛情が伝わってくる演奏であった。もうのりのりで終了。

Djamra3 終演後。中来田氏からDjamraの3rdCDを購入。当然メンバーのサインをしてもらう(最近、こいう場でCDを買うときは必ずサインをしてもらっている)。

そのサインをしてもらったのが、中ジャケなのだが、その写真がまた秀逸で、思わずのけぞってしまった。ちょっとわかりにくいが、メンバーがさらし首になってるんですよ。また、各人の表情がおもしろい。

Djamra31

終演後、同行いただいたB姐と、しばしこの秋のBBAおよびRAG対策について議論し、四条通りまで徒歩移動し、散会。

四条通りからだったら歩いてでも帰れるな、と思い、歩いてみたら、案外楽に帰れた。ちょっと涼しくなってきたからか、酔っ払っていたからか。

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2006年8月26日 (土)

「怪談 人間時計」

「消えたマンガ家」というルポ本で、その存在を知って以来、読みたい読みたいと思っていたのが本書である。徳南晴一郎というマンガ家の作品で、1960年代初頭に出版されたのであるが、今回入手したのは、今から10年ほど前に出た復刻本である(「怪談 人間時計」と「猫の喪服」の2編を収録)。徳南の人となりについては、「消えた~」に記述があるが、相当偏屈な人らしい。本書を出版してから数年後、マンガ界とはすっぱりと手を切って、職業を転々されたそうな。

Kaidan 「奇書」といわれるだけあって、さすがに強烈なインパクトがある。まず絵が尋常でない。徳南は正式に美術教育を受けた人らしいので、一見へたくそに見えるこの絵も、意図的に神経症的、強迫的にコワレタ絵を描いているのであろう。ムンクやエゴン・シーレを思わせる歪んでささくれだった人物。ベタ塗りを多用し、漆黒の闇を宿した街の風景。グニャグニャして、不安感を煽る書き文字。さらにぶっ飛んだストーリー。脈絡なく進展する物語。伏線かと思わせて、結局何も結実しないプロット。登場人物はほとんどすべて、その行動、思考、風貌いずれも常人の理解を超えている。実例を挙げていったら、きりがないので、ここでは詳述しない。とにかく、ほとんどありえない作品である。マンガ史上、特筆すべき作品であることは疑いない。というか、マンガがまだ手軽な娯楽だった時代にこのような作品が出版されたこと自体が驚異である。

まぁ、わたしの拙い説明では、到底この作品のすごさは伝わらないだろうから、いい加減にしておくが、つげ義春「ねじ式」より数年前にこのような作品が世に出ていたとは、マンガの世界は奥深いものだ。

この本を探して、大型書店、古本屋などを巡ったこともあるが、某オークションで、簡単に見つかって、安値で落札できた。ほんとオークションって便利だなぁ~。と、思っていたら、近所の古本屋に、ちょっと高値だったが、ぽつねんと置いてあった。振り込み手数料や送料を考慮すると、こっちの方が安いな。ちょっと悔しい。

同じ作者の「ひるぜんの曲」という作品集もあるが、こちらはティーンエイジャー向け?の青春マンガ集である。が、話はどれも奇妙に歪んでいて、まぁ、突っ込み対象として相当おもしろい。しかし、本書でもやはり強迫的な風景が描かれている。作者の心の歪みっぷりがうかがわれる興味深い本である。

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2006年8月21日 (月)

日本の夏、産業ロックの夏

毎日暑いなぁ~、なんてことを言っているうちに、はや8月も20日を過ぎてしまった。そろそろ秋の気配が感じられるようになるかと思いきや、まだまだ日中はもちろん夜になっても暑い日々であることよ。

という訳で、標題のライブイベントを見に京都は北山BBAに出撃した。地下鉄の北山駅を降りたのが6時40分ごろ、そろそろ日没というのに、非常に蒸し暑い。汗をかきかき徒歩15分、BBAに着くと、丁度演奏が始まったところだったようだ。本日の出演者は、

FOREFINGER (Foreigner)
BON VOJI (Bon Jovi)
T.I.M. (BOSTON)

の3バンド。いつものセッションとはいささか趣が異なり、いずれもバンドというスタンスを維持しているので、びしっと決まった演奏を聞かせてくれた。とはいえ、ほとんどの演者が顔なじみという状況なので、それはそれでなごやかな雰囲気であった。

まず一番目はボストンのコピーバンドT.I.M。ボストンってドントルックバックくらいしか知らんなぁ、と思っていたが、演奏された曲は、どれもなんか聞き覚えのあるような気がしたので、やはり我々の年代には原初体験として刷り込まれているのであろう。ボストンといえば、あのトム・シュルツのダビングの嵐による分厚いギターサウンドと東海岸バンドらしからぬさわやかなコーラスなのだが、少ないメンバーで、手堅く再現していたように思う。本来のギター担当の方が急遽不参加になったらしく、たいへんだったろうと推測するが、そういうハンディを感じさせない演奏であった。

さて二番目は、以前客演したこともあるフォリナーのコピーバンド、フォアフィンガー。産業ロックと言いつつも、やや地味な感じのあるフォリナーであるが、軽妙なMCとしっかりした演奏で、観客を楽しませてくれた。セットリストのうち、大半は以前から演奏している曲なので、なんら不安なところのないステージであった。

トリをつとめるのがボン・ジョビのコピーバンド、ボン・ヴォジ(と読むのかな?)。こちらは女性コーラス3名を含む大所帯で、また本日の演目の中で一番ハードロック的である。賑やかで、お祭り的な雰囲気で、これまた観客もおおいに盛り上がった。ボーカルの人がずいぶん若い人だったので、MCのたんびに客席の常連オヤジにいじられて、ちょっと気の毒であったが、めげずによくがんばったと思う。えらいぞ。

演奏が終了して、打ち上げにも参加していたのだが、しばしば会っている人は別にして、多くの人から「皇帝が来ているとは気づかなかった」と指摘された。最近、ちょっとこの界隈から遠ざかっていたので、存在感が希薄になってしまったのだろう。由々しきことかな。特に「髪型変わったでしょ」と言われたりしたのだが、実は髪型はいささかも変えていない。それは単に「減った」ということを指摘されているのだと理解した。やや悲しい。来月はB姐ナイトもあるのだが、まめに顔を出しておかないと、このまま忘れ去られてしまうと困るので、精進しようと思った。

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2006年8月19日 (土)

「生活笑百科」

「世の中いろんなトラブル続き、四角い仁鶴がまあ~るく収めまっせ」

土曜日のお昼時、NHKで放映している番組である。実は結構この番組が好きで、よく見ている(実は今も見ている)。いろいろな生活上のトラブル(主に金銭上のものが多いように思う)に対して、本職の弁護士が見解を示す、という番組である。民放でも弁護士を出演させて法律相談をする番組があるが、これはその種の番組のはしりなのだろう、恐らく。

で、常々疑問に思っているのだが、この番組って東京とか関西以外の地域でも放送しているのだろうか?そもそも相談室長の笑福亭仁鶴という落語家は関東ではどの程度の知名度なのだろう。レギュラー相談員の辻本なんかどうなんだろう?漫才仕立てで当該のトラブルを説明するのだが、大助花子とか結構メジャーな漫才師も登場するが、中田カウスボタンのような、かなりディープな上方芸人もしばしば登場する。とにかく全編上方お笑いの生ぬるい雰囲気がぷんぷん漂っているのである。こういうのを全国区で公共放送が延々と流しているのかと思うと、不思議な気分である。

関東出身の知人に、訊ねたら、「そんな番組知らないですね」と言われてしまった。関西から関東に移り住んだ友人に聞くと、「う~ん、見てないけどやってるんとちゃうかぁ」と言う。土曜日のお昼時にこのような番組が公共放送で放送されていること自体も不思議だが、(関西人以外には)なじみの薄い芸人が大挙してテレビに現れ、べたべたの関西ノリで進行する番組を関西圏以外の人はどのように受け止めているのか、まことに疑問である。深夜枠とかなら理解できるんだけどなぁ。

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「洗礼」

このブログを始めてから、マンガネタが続いているなぁ。まぁ、平均したら週に3冊ずつくらいのペースで増えていっているから、ネタにはこと欠かない状態が続いているという訳だ。

さて、標題の本についてである。

「洗礼」 楳図かずお

Senrei2 なんで今更楳図なの、と思われるだろうが、子供のころからあの絵が怖くって読めなかったのである。オトナになってからも、なんとなく怖くって敬遠していたのであるが、最近やっと読めるようになった。で、読んでみたら、こんなにすごかったのか、これは人生の機会損失だった、と激しく後悔している今日この頃である。

楳図先生といえば、「漂流教室」が一番の代表作だろうが、最近楳図作品をいろいろ読んでみると、あれはやや異色なのではないか、と思うようになった。執筆時期にもよるのだろうが、やはり楳図の楳図たる最大の魅力は、「ほんとに怖いのは人間」というテーマを徹底的に描いていることではないかと思う。恐怖マンガと言いつつも、幽霊や妖怪の類は、あまり出てこないのよね。その点、「漂流教室」は、あの突拍子のない状況に学校ごとふっ飛ばされてしまうこと自体が相当怖い話なので、そのテーマがやや希薄に感じられるのである。もちろん、あの異常な状況でも、やはり人間の恐ろしさを徹底的に描ききるスタイルは貫かれていると思いますが。

「洗礼」は、かなり有名な作品なので、読んだ人も多いと思うが、これほど人間の怖さを描ききったマンガはないのではないか、と思わせるほどである。同時に人間の愚かさ、悲しさ、う~ん、なんと言うか、まぁ、そういうもろもろのものを文庫本4冊の中で、これでもかこれでもかとばかりにわれわれの目前に突きつける。あまりに度を越しているので、「怖い」というより「笑っちゃう」というところまで行ってしまっている。よく言われることだが、「恐怖」と「笑い」は紙一重ってやつでしょうか。しかしながら、登場人物のイケメン・ルポライターの長い独白の後、背景がまっ黒になり、一瞬の沈黙の後、突然駆け出しながらつぶやくセリフ「そうさ この世に希望と知恵がある限り 人はいつも罪深い・・・」。う~む、なんか芥川龍之介あたりのアフォリズムになりそうな、意味深長な言葉だ。深いなぁ~。

この作品に限らず、楳図作品に登場するヒロインは例外なく恐怖のどんぞこに落とされるのであるが、これまで見たマンガ作品(楳図作品に限らず)の中で、最大級と思われる「恐怖のどんぞこ」顔がこの作品にはある。小学館文庫版の第一巻168ページ上段で、ヒロインさくらが頭髪を剃られ手術台に縛り付けられ、その横で医師が母親に麻酔針をぶすぶすと刺しているコマである。沈黙の中で、一見笑っているのか泣いているのかわからない表情でこちらをむいているさくらの表情は何度見ても見飽きない。さらに175ページ最終コマでは、ほとんど同じ表情をしている。小さいコマに描かれているので、わかりにくいのだが、このような小さなコマに描かれているから、却って彼女の感じている恐怖と痛み(このとき、彼女は足に麻酔針をぶすぶすと刺されている)をリアルに感じることができる(ような気がする)。この前後、医師が針を刺す「ブスーッ」「ブスーッ」という音だけが続き(針を刺す音が「ーッ」と伸びるのもすごいが)、さくらの悲鳴は聞かれない。もはや声も出ない状態なのだろう。

・・・とまぁ、こんな調子でディーテールの感想を述べて言ったらきりがないので、やめておくが、とにかく読みどころの多い作品である。あぁ、疲れた。

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2006年8月18日 (金)

「陰獣トリステサ」

さて、先日のBOOKOFFネタも今回で3回目。

「陰獣トリステサ」 池上遼一

Tristeza 池上遼一というと、個人的には一時期スピリッツに連載していた小池一夫原作の一連の作品の印象が強いのだが、これは原作なしの幻想作品集。タイトルからして、なにやら淫靡な雰囲気がプンプン漂ってくる。実際、この短編集は、かなりエロティックで倒錯した作品で占められており、小池一夫原作のオトコ臭いイメージと全然違うので、非常に新鮮に感じた。

夏目房ノ介だったか、マンガ評論を書いている人が、池上と大友克洋の絵の比較を論じていて、なるほど、と目から鱗が落ちた経験がある。確かに池上の絵は非常に写実的で、かつ肉体的であるが、必ずしも現代的ではない。むしろ劇画世代の究極の到達点という印象がある。しかし、一見非常に緻密に見える絵であるが、よくよく見ると、描線を極力省略して、微妙な陰影で面を表現していることがわかる。そう思って見ると、単に「劇画」的ともいえず、きわめて独自のマンガ手法を用いているような気がする。

さて、本作であるが、まぁ、よくもこれだけ次から次へと倒錯したイメージが湧き出てくるものだ、と感嘆する。しかも、その描写は、あの池上絵で濃密に描かれている訳で、もちろんエロティックで淫靡なんだけども、不潔な感じがしない。絵がうまいというのは、こういうことなのか、と思ってしまう。しかし、ほとんどの作品が90年代のものだが、表題作だけが70年代のもので、たしかにこれだけ絵も雰囲気も異質である。いわゆる劇画的な描線で緻密に描き込まれているのである。すると、途端に不潔な感じがしてくるのだ。まぁ、ストーリーも、かなりおぞましい話だからねぇ。20年の間にこの人の絵は、だいぶん変わってしまったのだな、と今更ながら感じる。パッと見た感じは、例の典型的な池上絵で、昔っからうまい絵を書く人だな、という印象を与えるが、画面に漂う雰囲気は、これほどまでに違う。

この人の絵のもうひとつの特徴は、「動き」が感じられない、というところだと思う。それはダイナミックなマンガ的表現ができないということではなく、絵の一枚一枚が、あたかも彫像を描きとったかのような印象を与えるということである。それは、写実的であろうとするあまりマンガ的ディフォルメを排しているからであろう。このあたりも、独特の池上絵の質感のもとになっているのではなかろうか。

な~んて、作家論みたいな慣れないことを書いてみたから、支離滅裂な文章になってしまった。よくわかんないから、もういいや。ちなみにこの本は550円の値札が貼ってあったのだけど、店員さんが間違えて105円でレジを打ってくれた。ちょっと得した気分(せこっ)。

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2006年8月17日 (木)

電波大サーカス at Fandango

いささか旧聞に属する話になってしまったが、先週末8/12、大阪は十三ファンダンゴに標記イベントを観戦に出かけた。

Denpa 出演者は以下の通り。

ストロベリー・ジャンラ・オーケストラ

る*しろう

日比谷カタン

ストロベリー・ジャンラ・オーケストラとは、見世物パンク一座として、アングラ演劇とロック音楽を融合させた電波系楽団として関西アングラ界では非常に知られた存在であるストロベリー・ソング・オーケストラと国際的に活躍する関西発のハイパージャズロックバンド、ジャンラが合体して、名乗るユニット名である。

ちなみに、よたろう帝國は、2年ほど前にストロベリー・ソング・オーケストラと、とあるイベントで共演させていただいたことがあり、そのとき以来、ファンになってしまった。また、ジャンラのメンバーの方々とは、何度かセッションをさせていただいたこともあり、それぞれに何かしら交流のある方々で、なんとなくそれぞれの音楽性なんかも知らない訳ではないので、非常に気になる組み合わせである。

この一見水と油かと思われる2つの集団が協同してひとつのステージを作るのであるから、ただごとではすまされないに違いない、と思っていた。実はこの試み今回が初めてではなく、昨年もファンダンゴで共演しているのだが、そのときは都合がつかず見られなかったので、今回は絶対に行くのだ!と決意をして臨んだ。

ファンダンゴは初めて行ったのであるが、地図がなければまず到達できないだろうと思われる立地である。大きな車庫にくっついているので、うっかりしていると通り過ぎてしまう(というか、一度は通り過ぎてしまった)。十三の駅からは近いので、便利ではあるのだが。どうもわたしは極度の方向音痴らしく初めて行く場所はもちろん、何度も行ったところでも、大概迷うので、早い時間に着いて、明るいうちに場所を確認した。まだ開場まで時間があるので、一旦駅前で時間を潰そうと思い歩き始めると、向こうからジャンラのメンバーがやってくる。今日の演奏の仕上がりなどについて、ちょっと話を聞かせてもらった。リーダーの中来田氏は、いつもは飄々とした感じの人なのだが、いや、この時も飄々とはしているのだが、いつになく気合が入っている感じではあった。

いかにもアングラな佇まいの会場で、こういうアングラな出し物をやるって、なかなかいい感じだなぁ。18時開場で、18時20分ごろ会場に行ったら、入場待ちの人が道路に並んでいる。結構お客さんが来ているようだ。並んでいると、「おお~、皇帝!ありがとうございます」と声をかけてくる人が。SSOの鍵盤奏者であるピアノマンこと高橋氏である。この日はギターを弾くそうである。

店内に入ると、サーカス風のBGMがかかっている。天井からは万国旗のように紙が下がっているのだが、そこには「苺楽団」など出演者の名なんかが書かれてある。いつの間にやら、ステージではアコギを抱えた着流しの怪しげな青年がサーカス風のBGMを弾いている。この人が日比谷カタン氏である。

いや、この日比谷カタン氏の演奏と歌のすごいことすごいこと。ジャズギターをかなり研究しているのではないか、と思わせる複雑なコードワーク、正確な右手のストロークとピッキング、アラン・ホールズワースを思わせる速弾き、その上、奇妙な歌詞を奇妙なメロディーで朗々と歌う(これがまた音域が広く、かつ美声)。世の中にこんな人がいるとは知らなんだ。MCでは、ちょっと幇間芸っぽい語り口ではあったが、これって江戸風なんかな。まさに圧倒的なパフォーマンスであった。

続いて、る*しろうの登場である。噂には聞いていたが、これも凄まじかった。キーボード、ギター、ドラムのトリオなのだが、いきなりの変拍子ばりばりの轟音サウンドで飛ばしまくる。複雑怪奇な曲なのだが、実に楽しそうに演奏している(特にキーボードの女性が)。いわゆるプログレとかレコメンとかのジャンルに括られたりするのだろうが、そういうジャンル分けなんかどうでもいいような気分になる豪快な演奏である。途中、ジャンラの中来田氏やピアノマン高橋氏(久々に彼のギターを聴きました。もう弾きまくりでした)をゲストにまじえ、適度な緊張感をまじえながらも、始終なごやかに?演奏していたのが印象的であった。

そして、本日のメインアクト、ストロベリー・ジャンラ・オーケストラの登場である。今回はサーカスに行ったきり行方知れずになった恋人?を探す青年の話のようであるが、いつもながらの狂った時間軸と倒錯した世界観をジャンラの重厚なサウンドに乗せて圧倒的な表現で見せる。座長の軽妙なトークや甲子園7回裏のような風船飛ばしをまじえ、恐ろしくもありおかしくもあるステージであった。特にジャンラのメンバーの衣装がかわいかった。最後は先般発売されたDVDに収録されている「真夏の手毬歌」をSSOのメンバーで演奏し、電波大サーカスは終了した。

毎度のことながら、彼らの独特の世界観の徹底した表現はすばらしいと思った。なかなかまねる訳にはいかないが、非常に刺激を受けた。終演後、メンバーの方々に挨拶をして、早々に会場を後にした。実は、この後、京都で友人と落ち合う予定があり、急いで阪急電車に飛び乗ったのであるが、残念ながら、この後の予定は流れてしまった。今回、同行していただいた某B姐も感ずるところがあったようで、お誘いしたかいがあったというものである。京都に着いて、いろいろと打ち合わせたり世間話をしたりして散会。暑い夏の一夜であった。

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2006年8月16日 (水)

「入神」

さて、日があいてしまったが、先般入手した本の話その2である。

「入神」 竹本健治

カバーが碁盤をあしらったデザインで、一見して囲碁をテーマにしたマンガだとわかる。「陰陽師」を読んで以来、「碁」にちょっと興味があるので(とはいっても、ルールはほとんどわからないのだが)、手にとってみた。

はっきり言って、失礼ながら相当へたくそな絵である。よくある自治体のPRマンガみたいなゆるい絵柄だ。「なんじゃこれは」と思って作者紹介を見てみると、この竹本某はミステリー作家として著名な人らしく、どうやらもともと漫画家志望だったのが、ひょんなことで作家になってしまった人だそうだ。さらに、この人、文壇の囲碁の強豪だそうだ。ひょっとしたらおもしろいかも、と思って買ってみた。

Nyusin_1 つくづくマンガのおもしろさと絵の巧拙は比例しないことを感じた。はっきり言って、これはおもしろい。囲碁のことはよくわからないが、それでもおもしろい。「マンガ」表現としてのおもしろさとは違うかもしれないが、読み物として、スリリングに展開し、コンパクトに転結するきれいな作品である。秀逸なエンターテイメントである。

話は、プロ棋士である主人公とそのライバルである天才棋士の対局を軸に、囲碁の解説、主人公とその恋人との葛藤、棋士仲間の友情、ゆる~いギャグなどを織り交ぜて、進むのであるが、数少ないエピソードで、登場人物のキャラクターをうまく表現して、冗長なところがなく、やはりストーリーテリングのうまさは、作者が小説を本業にしているだからこそ、と思われる。特に、主人公は天才であるがライバルをそれを上回る天才(「囲碁の神様がそばにいる」と評されているが、見た目は全然そんな風に見えない)という設定が絶妙である。

また、「へたくそ」などと失礼なことを書いてみたが、主人公たちの対局中に現れる幻視の描写は、なかなか凄みがある。「もう対戦相手もいない 誰もいない 世界は 盤と石だけだ」と主人公が独白するシーンなどは、なるほど棋士は対局中にこういうものが見えているのだ、と納得してしまうほどのパワーがある。自分が囲碁や将棋などを全然嗜まないものだから、常々、こういう人たちは何を考えながら碁を打ち、将棋を指しているか疑問であったが、その疑問に対する答えを垣間見た気分である。

「ネタ」のつもりで買ってみた本であるが、不覚にもかなり引き込まれてしまった。ちなみに喜国雅彦、高野文子、綾辻行人、京極夏彦、島田荘司、谷山浩子、法月綸太郎など著名な漫画家、作家が作画協力しているようである。

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2006年8月12日 (土)

「真・黙示録」

今日は(というかもう昨日だ)、ほとんど一日自宅に引きこもり、バンド用デモ音源の作成にかかった。前に作った打ち込み音源だけだとどのように歌が入るのかがわかりにくいので、MTRに打ち込みデモを録音して、ついでにギターパートをダビングして、オケを作成。夕方から近所のスタジオに入り、仮歌を録音。なんか昔々に一人バンドしていたころを思い出す。一応3曲分は、完成したが、いつ聴いても自分の声は好きになれない。音程が不安定な上に、もごもごした声で、気色悪い。やはり、自分で歌うのはやめよう、と思う。

さて、昨日BOOKOFFで入手した、ちょっと傾向の変わった本を紹介しよう。まず一冊目。

「真・黙示録」 原作・深見東州 画・森義一、小島剛夕

105円マンガ棚にマンガサイズと違うハードカバーの本があると、なんとなく目立つ。これがまさにそうで、一見して興味をそそる。しかもタイトルは「真・黙示録」ときたら、これはとりあえず手にとってみるしかあるまい。

Sinmokusiroku こんな風に、マンガ本とは明らかに風情が異なる。どうみてもトンデモ本か新興宗教関係の本である。いや、実際、新興宗教本なのですが。

まぁ新興宗教の教義や教祖の生い立ちなんかをマンガにした本はめずらしくもないが、これは、なんといても小島剛夕が描いているという点でポイントが高い。そう、あの「子連れ狼」で有名な時代劇画の小島先生ですよ(先般お亡くなりになられましたねぇ)。

本書は小島画「すめらあいす 橘カオル物語」と森義一画「み・ろ・く神話」の二編で構成されている。森義一という人は全然知らないが、調べてみると、かつては麻雀劇画を多く描いていたようだ(ほとんどが絶版になっているが)。この人の絵は、いわゆる大人劇画の絵で、矢島正雄あたりが原作の作品を書いていそうな雰囲気の絵ではある。端正で達者ではあるが、特に個性があるわけでもない。いや、そんな話はどうでもいいよな。

Sinmokusiroku1 本書を開くと、いきなり写真のページがあらわれる。なんと袋とじになった「夢判断」である。なんで袋とじなんだろう?しかも未開封。開封するのも惜しいので、隙間からのぞいてみると、「桃・栗を食べる夢<大凶> 身近な人と別れる夢 死別もある」なんて書いてある。さっぱり根拠がわからないが、まぁ、夢判断なんて、こんなものであろう。

で、本編についてであるが、「すめらあいす」はこの原作者深見氏が主宰する宗教団体「ワールドメイト」の開祖?橘カオルなる人物の伝記である。

東京大空襲の場面から物語は始まるのであるが、やや唐突に出口王仁三郎に言及されている。本書を通読するとなんとなくわかるのであるが、この「ワールドメイト」なる団体は出口の「大本教」と成り立ちが共通する部分もあり、そのあたりを意識しているものと思われる。主人公の少女カオルは空襲の脅威から謎の老人の加護により脱し、その後(どういう訳か)小動物を意思の疎通ができるようになる。さらに円盤状の発光する飛来物から降りてきた人物と接触し、観音菩薩のひざに乗り・・・などと書いてみても、おそらく何のことやら理解しがたいと思われるので、ストーリーは省略。簡単に説明すると、成人したカオルはどえらい不幸に見舞われるが、神仏の加護により、その不幸を克服し、最高神「スの神(うずめ観音?)」より「すめらあいす(皇愛主)」の神名を授かる、というお話。なんのことやら。

このような、荒唐無稽というか神人合一というか、なかなかおいしいお話を小島剛夕の重厚なタッチで描かれると、なるほど、説得力がある・・・のかなぁ?この人は人物の細かな表情や動物のしぐさなどを描くと、さすがと思わせるものがあるが、物語の後半で突然蛇が変化したドラゴン(どうみても竜には見えない)と、これまた突然飛来した青年(この人が原作者の深見氏らしい)との「激闘」シーンは、う~ん、手を抜いているとも見えなくもないが、こういう超自然なものが描けない人だったのかな、と思わないでもない。この激闘シーンの最後に、ドラゴンを粉砕した青年がヒョロヒョロと空に帰っていくシーンの脱力感はすさまじいものがある。

「み・ろ・く物語」は、原作者深見氏が建設会社の営業マンとして活躍するかたわら(アプローチしている会社の社長さんにストーカーまがいの営業を仕掛けて、とうとう注文をとってしまうエピソードが描かれている)、何かよくわからないが道場で修業を重ね、日本一の霊能者となってしまい、そして橘カオルと出会い、「ワールドメイト」を創設するまでの経緯が描かれている(のだと思う)。で、またここでも後半に唐突にドラゴンが現れ、深見氏と激闘を繰り広げるのである。

和服姿の上品な婦人であるカオルが突然マリー・アントワネットみたいな服装になって、「さぁ、これが銀河系宇宙の波動です!!」と手にした杖の先端からビビビビ・・・と光線を発すると(まるでセーラームーンの必殺技だ)、深見氏が突然白髪の老人になってしまい(どうもこれが「すめらあいす」の冒頭でカオルを救った謎の老人のようなのだが、一体この人たちの住んでいる世界の時間軸はどういうことになっているのだろう?)、カオルと深見氏の霊力を恐れた「この世の邪悪なるもの」が襲いかかってくるのである。なんのことやらわかりませんね。

Sinmokusiroku3こっちは画を載せちゃおう。こんな感じで、ドラゴンというよりも東映の特撮ものに出てくる怪獣って感じですね。しかし、ほんとにビルとか壊しちゃって、単なる霊能者の幻視ですんでないところがすごい。この怪獣、ビルよりだいぶん大きいので身長100mくらいありそうだが、結局、再度カオルの「波動」を受けて巨大化した深見氏によって一刀両断されてしまうのであった。なんか、すごい話だなぁ~。

という訳で、女性霊能者を創始者とし、その一番弟子みたいな人が指導して大きくなった教団という点で「大本教」に似ているのかな、と思ったのですが、いやぁ~、ちょっと違うかな。

というのは、巻末に深見氏の著作紹介が掲載されているのであるが、それを見たからである。その書名をいくつか挙げてみよう。

「金しばりよこんにちは」 フランソワーズ・ヒガン著(深見東州ペンネーム)

「吾輩は霊である」 夏目そうしき著(深見東州ペンネーム)

「悪霊おだまり」 美川憲二著(深見東州ペンネーム)

「パリ・コレクション」 ピエール・ブツダン著(深見東州ペンネーム)

・・・絶対この人、まじめに宗教家やってないよね(でもちょっと読んでみたい気もする)。

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2006年8月11日 (金)

世界で最初の弦楽器専用ミュート

そんな訳で、今日も炎天下の京都市内を自転車で走る羽目になってしまった。
結局目的の品物は手に入らなかったのだが、某大手W楽器店に注文したところ、メーカー在庫があり、今週末くらいには入荷とのこと。たかだか2000円くらいの品物なのに店員さんが親切に対応してくれたので、ちょっと気分がよかった。

案外、用件が早く終わってしまったので、ついでに某J楽器店の本店に行ってみる。ギター関連の小物を見ていると、なんかそこだけ昭和にタイムスリップしたかのような、商品がぶら下がっている。

Jakuonki

「世界で最初の弦楽器専用ミュート 弱音器」というものらしい。

現物の構造は、樹脂でできたクリップのようなものにスポンジを貼り付けてあるだけのもので、これを使ってブリッジの手前で弦を挟み込んで、ミュートするようである。う~む、そんなことしたら、音程が変わってしまうのではないか?写真は、その商品のパッケージなのだが、左側にクリーム色みたいな長方形の物体が見えるが、それが「弱音器」だ。

右側には、アコースティックギターを抱えた女性が恥ずかしげに微笑む写真をあしらっている。この人のたたずまいが、どう見ても昭和50年代前半なのだ。頭の上には、どういう訳か日の丸と星条旗があるし。多分日米で特許を取っているのだろう(違うかな)。これがまた、すぐれもので、ギター、ウクレレはもちろん、マンドリン、リュート、バンジョー、バラライカ、シタール、果ては馬頭琴にまで使えるそうだ。シタールの指板って、こんなに狭かったかなぁ?このパッケージの鄙び具合から、一見すると、中国製の製品かと思うが、ちゃんと日本製なのだよ、これが。

で、この女性の抱えているギターのブリッジ下部に黒い丸が見えるでしょ?これが何か気になってしまって、裏側を見ると・・・

Jakuonki2

いささか見えにくいが、「世界で最初のWホールギター」の宣伝なのだ。「World Sound Guitar大好評発売中!!」などと書いてある。発明者の博士の顔写真まで載っている(残念ながら名前は失念したが、おそらく実名を記載している)。どこで売ってるのかね、などという無粋な突っ込みは抜きにして、どうもこのWホールギターというのは、簡単に言うと、ボディーにもうひとつ穴を開けただけのようだが、これで、飛躍的に大音量を確保できるそうだ。なんでも、大ホールでも、マイク不要の大音量なのだと。それはすごいかも。

しかし、そんなに大きな音が出るアコースティックギターだったら、練習のときにうるさくって困るじゃん、と思った善男善女の諸君、心配召さるな。そんなときのために、かの「弱音器」は、発明されたのである。

・・・う~む、ちょっと21世紀の大手LM楽器専門店で、このようなものを見ることになるとは、お釈迦様でも知らぬ仏でる。田舎の鄙びた楽器店ならいざ知らず。発する空気があまりに昭和なので、ひょっとしたら、古~いデッドストック品を店頭に出しているのではないか、などと思ったが、メーカーの住所を見ると、ちゃんと郵便番号が7桁になっているので、すくなくとも平成の御世になってから10年ほどは営業していたことになる。グランドギター社、なかなか侮れんなぁ。

さて、J楽器店に行ったら帰りには当然、三条京阪のBOOKOFFに寄ることになる。
最近の探し物は楳図かずおと柏木ハルコの著作なのだが、今日はめぼしいものがなかった。そのかわり、なかなか興味深い本を見つけたのだが、その話はまた別項に譲ろう。

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2006年8月10日 (木)

さて、新規一転、新しいブログで。

やっと自宅のネット環境が整ったので、さっそくブログを新規作成しよう。

う~む、これでいくつめのブログになるのかな。

さて、今日から会社の夏休み。

朝から台所、風呂など水周りの掃除にいそしみ、午後からは銀行の用件。

炎天下の京都の街を自転車で走る。暑いわ、やっぱり。

例のごとく、BOOKOFFによって、なにかないか物色。

漫☆画太郎の単行本を一冊立ち読みしてしまう。この人のうまいのか下手なのかわからない絵で(多分下手なんだと思う)、あの支離滅裂というかアバンギャルドというかおよそメジャー誌で発表されたとは思えない強烈な作品は、かねてから「すごい」とは思っているのだが、手元に置いておきたいと思わせない、というか、できたら手元に置いておきたくないと思わせる。この感覚は山野一や根本敬あたりに対するものと共通するものがある。

で、結局、J・P・ホーガンのガニメアンシリーズの2冊を発見し、ゲット。ホーガンの著作、特にこのシリーズは、あまり古本屋で見かけないので、ちょっと幸福。残念ながら105円ではなかった。

某CDショップに立ち寄ると、輸入盤30%OFFのワゴンの商品がだいぶん入れ替わっている。

チェックしてみると、結構おいしいものがザクザクあった。

Wishbone Ash / Argus

Led Zeppelin / Houses of the holy

Free / Live!

Yes / Close to the edge

かなり悩んだ末、以上をゲット。いずれも、レコードで持っていたり、CDで持っていたりするのだが、リマスター盤が出てしまって、「うう、買いなおすのもなんかなぁ~」と思っていたのもである。丁度よい機会だ。

リマスターされたせいか、再生環境の違いのせいか、「アーガス」は昔聴いてたより、音が軽くなって、どういう訳か演奏のテンポが早くなったような気がする。

これはほぼLP全曲コピーするくらい聴きこんだから、テンポ感が狂うはずはないのだが、かなり違和感があった。どういうことだろう。

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